3月18日は、精霊の日。西洋の妖精の雰囲気が漂いますが、「せいれい」ではなく、「しょうりょう」の日と読みます。となると、東洋的な背景を感じますね。実はこの記念日の由来は、和歌と関係があります。小野小町(おののこまち)、和泉式部(いずみしきぶ)、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)。3月18日が、この偉大なる歌人たちの命日と伝えられていることが発端で、「精霊の日」の記念日となったようです。和歌と精霊の関係を紐解いてみましょう。

色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける


彼岸の入りと「夢の歌人」

柿本人麻呂は飛鳥時代、小野小町と和泉式部は平安時代の歌人。実際には、三人の正確な忌日は未詳で、3月18日はあくまで一部の伝承です。けれども、春の彼岸の入りはちょうどこの頃。中世は盛んに和歌が詠まれ、次々に新しい仏教思想が発展した時代。死者の霊魂や祖霊、そして歌を紡ぐ言霊への畏敬は、私たちには想像もつかないほど、重いものだったことでしょう。そんな思いが受け継がれ、春の濃厚な気配が強まるこの頃に、いつしか「精霊の日」が設けられたのかもしれません。

そんな「精霊記念日」にふさわしく、小野小町はよく「夢の歌人」と言われています。花ひらく貴族文化で活躍した、六歌仙や三十六歌仙の一人でもあった才女です。意外にわかりやすい歌も多いので、黙読ではなく、ぜひ声に出してうたいあげてみてください。言霊が立ち上がることでしょう。



・花の色はうつりにけりないたづらに我身(わがみ)よにふるながめせしまに

・思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを

・夢路には足も休めず通へども現(うつつ)に一目見しごとはあらず

・色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける

・瑠璃の地と人も見つべし我が床は涙の玉と敷きに敷ければ



百人一首の中の有名な一首、夢をうたう和歌、仏教を詠んだもの。小町は華麗な技巧とともに情熱的な恋愛をうたいあげ、和歌に新しい風を起こしました。絶世の美女とされて伝説も多く、謡曲、浄瑠璃、御伽草子などで物語化されています。作品のみならず小野小町自身も、夢と現が揺らめく世界に今も生きているのですね。

冥きより冥き道にぞ入りぬべきはるかに照らせ山の端の月


恋多き和泉式部、歌聖なる柿本人麻呂

一方、和泉式部(976~1036頃)も宮中の女房として活躍した、いわばキャリアウーマン歌人です。華やかな恋愛を繰り返し、1500余首の歌の他、『和泉式部日記』 を遺しました。大胆でストレートな表現の人ですね。



・春霞立つや遅きと山河の岩間をくぐる音聞こゆなり

・あらざらむこの世の外の思ひ出に今ひとたびの逢ふこともがな

・冥(くら)きより冥き道にぞ入(い)りぬべきはるかに照らせ山の端(は)の月



最後に、黒一点の柿本人麻呂です。『万葉集』の代表的歌人であり、三十六歌仙の一人で、持統・文武両天皇に仕えました。小野小町や和泉式部とは作風はガラリと変わり、重厚で雄大な世界観です。その一生には謎の部分も多いようですが、後世、歌聖とあがめられました。国家の中央集権体制が強化の中の儀礼的なシーンの歌も多く、文字通り「宮仕え」を感じさせる作品群ですね。



・東(ひむかし)の 野には炎(かげろひ)のたつ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ

・近江(あふみ)の海夕波千鳥汝(な)が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

・もののふの八十(やそ)宇治川の網代木(あじろぎ)にいさよふ波の行方知らずも



一千数百年前に詠まれた歌の数々。あえて当時の言葉遣いのまま、声に出して詠んでみてください。中世の精霊へのタイムスリップで、新たな発見を楽しめることでしょう。



【歌の引用と参考文献】

高松寿夫(著)『コレクション日本歌人選 柿本人麻呂』(笠間書院)

大塚英子(著)『コレクション日本歌人選 小野小町』(笠間書院)

高木和子(著)『コレクション日本歌人選 和泉式部』(笠間書院)

もののふの八十宇治川の網代木にいさよふ波の行方知らずも

近江の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ

情報提供元: tenki.jpサプリ
記事名:「 3月18日は何故「精霊の日」?―和歌と彼岸と言霊の関係を探ります