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クリスマスプレゼント、クリスマスケーキ、クリスマスパーティ……。もはや、年末の国民的行事化しているクリスマスですが……、クリスマスって一体、何なのでしょう? 何がそんなにおめでたいのでしょう? そして、みなさんはクリスマス何をお祝いしますか?
今回は、知ってるようで実は知らないクリスマス……について、簡単に学んでいきましょう。
クリスマスがイエス・キリスト……キリスト教の信仰と関係があるというのは、なんとなく知られているようですね。
12月25日はイエス・キリストが誕生した日で、つまり、イエスの誕生日を祝うと思っている人も多いようです。
しかし、聖書のなかには、イエス・キリストがいつ誕生したか、という記載はありません。逆に、聖書を読むと、イエスが誕生したのは12月25日ではない、と解釈することができます。
【イエス・キリストが12月25日に生まれたのではないとする理由】
・聖書には、イエスが生まれた頃の状況が書かれています。
「そのころ、世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。(略)人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った」(ルカの福音書2章1、3節)とあり、これによって身重のマリアも登録のため、夫のヨセフとともに、ヨセフの出身地であるベツレヘムまで 約150キロの旅をしました。
住民登録は出身地で行うもので、移動が難しい真冬には決して行われないものでした。
・マリアがイエスを産んだのが冬期ではなかったというのは、その知らせを最初に聞いた羊飼いたちの生活からもわかります。
「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた」(ルカの福音書2章8節)ときに、彼らはイエスが馬小屋で誕生したと御使いから聞かされます。
しかし、羊飼いの群れが野営できる季節は4~10月までで、11月以降は冬期の上、雨季でもあるので野営しないとされています。
12月には野原に出ることなく、羊飼いたちが真冬の寒空の下、夜番をしているなどありえないことでした。
結局のところ、「イエスが生まれた日」については諸説ありながら確証はなく、正確なことは「わからない」ということのようです。
イエスの死後何百年かたってから,イエスの生誕を祝う日として12月25日が選ばれました。
でも、12月25日に選ばれのはなぜでしょうか。多くの歴史家によれば、異教の祭りがその時期に祝われていたため。
「冬至」の時期であるこの日前後には異教の祭りが重なっており、当時の教会が布教拡大を狙って、この日をイエス誕生を祝う日としたものと思われます。
従って12月25日は、イエス・キリストの誕生を祝う日ではあっても、誕生日ではないことがわかりますね。
「イエス・キリスト」の名前なら子どもでも知っているでしょう。でも、何をした人なのか、どうして十字架に架けられたのか……具体的なことは、あまり知られていないようです。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つためである」(ヨハネの福音書3章16節)
聖書の福音(good news)の神髄を表し、「小聖書」とも呼ばれる有名な聖句です。ここにある「神のひとり子」がイエス・キリスト。つまり、イエス・キリストは、人のかたちをしてこの世に遣わされた神(神の子は神)なのですね。
なぜ、神であるイエスが、わざわざヨセフとマリアの息子としてこの世に生まれたのかといえば、「御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠の命を持つため」でした。
聖書では、人間が生まれ持っている、自己中心や傲慢、情欲、神などいないという不信仰……を罪だと言います。
つまり、人間はすべて「罪人」であり、その罪ゆえに、永遠の滅び(=死)を免れない者でした。
神の子であるイエスが十字架に釘付けにされたのは、人間の罪を身代わりとなって償(つぐな)うため、人間が永遠の滅びに堕ちるところを救い上げ、永遠の命へと変えるためでした。
イエス・キリストが「救い主」と呼ばれる由縁(ゆえん)ですね。
イエスと一緒に十字架刑についていた重罪人の一人は、「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになる時には、私を思い出してください」とイエスを神としてあがめました。
するとイエスは、「あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます」──。(ルカの福音書23章42、43節)
過去にどんな大罪を犯していても、悔い改めて神の前にひれ伏す時、罪は許され、パラダイス(=天国)へ迎えられるというのです。
聖書にある「福音」とは「よい知らせ=good news」という意味ですが、本当に、これ以上の「good news」はないのかもしれません。
Christmasとは「Christ-mas」、「キリスト」の「ミサ」── キリストを礼拝するという意味です。
クリスチャン人口は1%未満といわれる日本では、クリスマス本来の意味は無視され、お祭り騒ぎで終わってしまう感があります。
せっかくのクリスマス、今年は、今まで素通りするだけだった教会に、足を踏み入れてみるのはいかがでしょう。
讃美歌を聴きながら、心静かに祈りを捧げてみるのもいいかもしれません。