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古くは、明治初年より女学生が袴を用いることが始まり、その袴の上着として銘仙が流行りだしました。その後、関東では八王子、秩父、桐生、村山、館山、佐野などがこぞって銘仙を生産。それぞれに特徴ある柄や織りなどで競い合い、発展をしました。大正に入るとこの流行が関東だけではなく関西にも飛び火し、派手な大柄がブームとなりました。
第一次世界大戦後、世界的な大恐慌が起こりました。民衆の絶望的な嘆きを歌った「枯れすすき」や「籠の中の鳥」などのメロディが巷に流れていた時代。バーで働く女給に縞柄の銘仙が流行しました。その後、画家や作家が集まった東京・京橋の「カフェ プランタン」や銀座の「メイゾン 鴻の巣」「カフェ・バリスタ」でも派手な縞柄の銘仙を着た女給達が接客をしていました。
昭和初期には空前の銘仙ブームが起こります。度々の社会的不況から退廃的なデカダン(人間として精神的な高みを目指さず、既成の道徳や価値観を否定したり、「美」だけを追い求める)な風潮が生まれ、カフェーやバーなどが賑わいをみせました。そこに勤める女性達が着ていた銘仙が大流行。一般の女性へ大きな影響を与えました。また当時はダンスホールもかなり賑わっていて、ダンスホールの女給も銘仙を身につけていて、色や柄など時代の流行を牽引する存在だったようです。
また昭和30年頃には戦後の復興と開放感、また憧れからアメリカンデコの銘仙がブームになりました。
秩父織物や銘仙などに関する展示などもあり、染織りなどの体験もあります。
「ちちぶ銘仙館」
<所在地>埼玉県秩父市熊木町28-1
<連絡先>Tel: 0494-21-2112
<休館日>年末年始(12月29日~1月3日)以外は無休
※その他詳しくは公式ホームページをご確認ください。
参考 別冊太陽「銘仙」/平凡社