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伝来当初、薬草とされていた「あさがお」は下剤の作用がある成分が含まれており、日本に伝来してからも長い間薬草として扱われてきました。また、中国から入ってきた当時の朝顔は、現代の朝顔の姿とは違ったそうです。なんでも、丸い小さな青い花を咲かせていたそうです。
広島県の厳島神社に奉納された写経の巻物 「平家納経」(1164年)に、この青色の朝顔が描かれています。
江戸時代1806年に起きた江戸大火により、下谷(現在の東京都台東区)に大きな空き地ができました。このスペースを活用して、植木職人たちが品種改良した朝顔を栽培をはじめ、人々の注目を集めました。
特に、「変化朝顔」と呼ばれる八重咲きや、花びらが細くなっているもの、黄色い朝顔など変わった形・色の「あさがお」が人気でした。
これらの珍しい「あさがお」は菊などと並んで高値で取引されたといいますから、収入の低い下級武士たちも、内職として、独自に朝顔の栽培と品種改良を行い、さらにブームに火をつけました。
入谷鬼子母神(いりやきしもじん)の境内とその付近の歩道で開催される朝顔市(あさがおまつり)は、毎年、七夕前後の7月6日~8日に開催され、およそ12万鉢の朝顔が並べられます。入谷の朝顔市は、江戸時代後期から続く下町の夏の風物詩。期間中には早朝5時から夜の23時までたくさんの朝顔露店が出て、都内や関東各地で栽培された赤や青や淡い紫などの朝顔がずらりと並べられ、法被姿の売り子たちが威勢の良い掛け声と共にこれらを販売します。
販売する朝顔業者は約100との話。売られる朝顔の七割は江戸川区産だそうで、下谷観光連盟と入谷朝顔実行委員会公認の札(タグ)が付けられています。
花弁中央から放射状の白い筋模様が入っている『曜白(ようじろ)』といわれる品種や、文字通りに桔梗(ききょう)の花を思わせる『桔梗』という変わり咲き品種、ちょっと高価な『団十郎』ほか、色も種類もいくつかあります。ほとんどは、ツルが鉢に立てられた五本の支柱に巻きつけられた『あんどんづくり』と呼ばれる造りをしています。『団十郎』は二代目市川團十郎が、歌舞伎十八番の内「暫」で用いた衣装の色が海老茶色であったことにちなんでつけられた名前です。「あさがお」の品種のネーミングとあわせて、その姿をみてみると楽しくなってきますよ。浴衣をきて、朝顔を眺めにいくのもよし、お気に入りの「あさがお」を連れて帰るもよし。毎年少しずつ様々な種類を増やしてくのも楽しいですね!
有名な「あさがお」のエピソードがあります。
織田信長、豊臣秀吉と代々とりたてられた利休。屋敷の庭に朝顔の花が一面に咲く姿が大変美しいとの噂を聞いた秀吉が、利休に「明日早朝のそなたの屋敷に朝顔を見に行くから、茶会の準備をせよ」と申し付けました。
翌朝、秀吉が利休の屋敷へ行ってみると、朝顔の花などどこにも咲いていませんでした。秀吉は、あの噂は偽りだったのかとがっかりし、「まったく利休のやつ、朝顔の花が咲いていないなら咲いていないと、はっきり言えばいいものを」と腹を立てながらも、仕方なく躙口(にじりぐち)を開けて茶室に入ってみると、床の間に一輪の朝顔が生けてありました。それを見た秀吉は、庭一面に咲いている朝顔とは違う、独特の美しさに深く感動したという話です。
「あさがお」の美しさを別の視点から味わうおもてなしとみせかけ、利休の秀吉に対する強烈な裏メッセージも感じさせるエピソードですよね…。
7月7日は七夕ですね。夜に、年1回わし座の牽牛星(けんぎゅうせい=アルタイル)とこと座の織女星(しょくじょせい=ベガ)が出合うとされるています。
牽牛とは「あさがお」のこと。そして「あさがお」の花言葉は夕方にしぼむことから「はかない恋」。一方で、つるをまくため「私はあなたに結びつく」という正反対の花言葉も持っています。
そう考えると、やはり「あさがお」がロマンあふれる神々しい花に見えてきます。
軒先で朝顔を育ててらっしゃるお宅がご近所にあるのではないでしょうか?朝の通勤や通学、拝まさせていただきながら、ゆっくり通り過ぎるのもいいですね。
また次々とあがる花火のように花をさかせてくれますので、鉢植えで十分楽しめます。花を楽しんだあとは種を採取し、来年の楽しみとするのもいいですね。
冷房の冷気と外気の熱気との急激な差で、体がつかれやすくなっていますので、くれぐれも熱中症などないよう、ミネラル、水分補給をしっかり摂取して、よい七夕をお迎え下さい。