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「真夏日」は新しい言葉で、あまり詩歌には使われてこなかったようです。
〈真夏日のひかり澄み果てし浅茅原にそよぎの音のきこえけるかも〉斎藤茂吉
真夏の太陽の光が極まったころ、耳をすませば葉のそよぐ音が聞こえるというのです。むせ返る真夏の昼日中の、しんとした空気を詠んだ歌です。
この言葉を使った俳句には、
〈乱心のごとき真夏の蝶を見よ〉阿波野青畝
〈新しき色氷塊と真夏空〉飯田龍太
いずれも真夏のあざやかな色を詠っているのですが、そこには静かな空気も流れているようでもあります。
あえて「真夏」という言葉を使わなくとも、ギラギラ照りつける陽光によって時間が止まったような、夏ならではの空気感を詠った歌もあります。
〈砂浜のランチついに手つかずの卵サンドが気になっている〉俵万智
〈夏まひるしんと寂しき居並びて一方へ引く棒杭の影〉黒木三千代
「暑し」という、夏の気分ズバリ!の季語もあります。
〈暑き日を海に入れたり最上川〉芭蕉
〈恋しさも暑さもつのれば口開けて〉中村草田男
〈蝶の舌ゼンマイに似る暑さかな〉芥川龍之介
芥川龍之介は、俳句をたくさん作っています。7月24日は彼が自殺した日で、「河童忌」と呼ばれます。同じ漱石門だった内田百閒(ひゃっけん)は、「あんまり暑いから死んだのだろう」という意味のことを記しています。
〈河童忌の朝から口の乾きける〉加古宗也
この季節らしい風景の代表としては、入道雲があるでしょう。俳句では「雲の峰」といいます。もくもくと力強くそびえる姿を山に見立てたのです。
〈投げ出した足の先なり雲の峰〉小林一茶
〈補陀洛(ふだらく)の雲の峰より滝の音〉角川春樹
「補陀落」とは観音様が住んでいるという山のこと。日光の男体山のことも補陀落山と呼びます。「滝」も夏の季語です。昔から和歌などにも詠まれてきましたが、夏の季語になったのは大正以降です。
〈滝の上に水現れて落ちにけり〉後藤夜半
〈滝落ちて自在の水となりにけり〉小林康治
〈天地のはじめのごとき滝かかる〉津田清子
暑い中、夏に見る滝の姿は、涼しさを感じさせるとともに、あふれ出る水には、何か古代的な物事の始まりを感じさせます。
“暑い”を越えて、ときに“痛く”、ジリジリと音を立てるように陽光照り返すアスファルト。室外機から吹き出す熱風。太陽が沈んだ後も街を覆う熱気。
大人にとってはなんとも不快な夏ですが、詩歌の言葉の中に、キラキラとした夏の“味わい”を発見できるかもしれません。