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この季節の気分にぴったりの「春近し」という季語があります。「春隣」という言い方もあります。近い言葉としては「余寒」「春浅し」といった季語もあります。
〈匂へ梅春やは遠き雪の窓〉飯尾宗祇
〈蹲(うずくま)る枯枝の鳩や春隣〉富安風生
〈叱られて目をつぶる猫春隣〉久保田万太郎
〈何気なく春のちかづく橋渡る〉松村蒼石
〈春近し雪にて(ぬぐ)拭ふ靴の泥〉沢木欣一
宗祇は、室町時代の連歌(れんが)師。「やは」は反語の助詞なので、「梅よ、存分に香ってくれ、春は遠いのだろうか、いやそうではあるまい、窓には雪が積もっているけれども」といった意味でしょうか。
蒼石の句は何でもない風景のようでいて、味わいがある句です。この季節は橋を渡って別の時間に近づいている季節なんですね。和歌では次のように詠まれます。
〈春近く降る白雪は小倉山峰にぞ花の盛りなりける〉御撰集 よみひと知らず
春の直前に大雪がふることがありますが、白雪を盛りの花と見立てているのです。春の到来を待つ心を詠んだ歌は、天皇の命で選ばれた勅撰和歌集に、冬部の終わりに必ず出てくるということです。
春先には各地で「野焼き」が行われます。
1月に行われる奈良の若草山の山焼きが有名ですが、春先のまだ草本の新芽が出ない時期に、野山の枯れ草を焼きます。
枯れ草を焼くことで、若草のための肥料としたり、害虫を焼き殺す効果もあり、古代から行われてきました。
草原を焼いて、リセットした状態で、春を迎えよう、という意味もあるのでしょう。
山焼きに限らないのですが、ものを焼いて立ち登る煙は、霊力や生命力がさかんであることの現れだとされていたようです。和歌や短歌にも詠まれています。有名な万葉歌があります。
〈天の香具山 登り立ち 国見をすれば 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ〉舒明天皇
煙は国民のさかんな活動のしるしとしてもあったようです。火の粉が混じるもくもくと立ち上る煙は、なにか力強いものを感じさせます。
また煙は春のもやもやとして見える新芽の比喩としても使われました。
〈まだもえやらぬ若草の煙みじかき荻の焼原〉新勅撰集
またはゆらぐ煙はあてにならない人の心の比喩としても使われ、つまり恋愛の行方と重ねられたりしました。
〈須磨の海人(あま)の塩焼く煙風をいたみ思わぬ方にたなびきにけり〉古今集
「いたみ」は「強いので」という意味で、須磨の海人の塩を焼く煙は、風が強いために、思わぬ方向にたなびいた、という意味です。風によって変わってしまう、人の心変わりを嘆いているのです。
この歌は必ずしも季節には関係ありませんが、春のどこかたよりない、曖昧な気分に通じるものがあるような気がします。
春は、心がウキウキする一方で、気分が不安定になったりする、そんな季節です。春をめぐることばにもそうしたイメージがあるようです。