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出雲大社の巫女だったという阿国は、桃山文化の華やぎを残しつつ、時代が幕府統治へ転換する一瞬の隙間に登場しました。当時は、京の都と商業都市大阪が、経済と文化の中心。関ヶ原の戦いの後は、街中にいまだ不安な空気が漂っていました。そこへ芸能団を率いる阿国が現れ、初めは勧進の形で、やがて北野天満宮境内や五条河原に小屋がけして踊るようになります。最初は「ややこ踊り」や「念仏踊り」といった単純な踊りだったのが、次々に演出を加えて「阿国かぶき」として人気が広まります。
阿国かぶきでの念仏踊りは宗教性は薄く、切支丹風俗をはじめ、当時の流行やはやりうたを取り入れた即興的な歌舞でした。やがてその歌舞に、簡単な所作やストーリーが加味されます。阿国の一団には男性もいました。阿国の踊りに、猿若とよばれる道化役の寸劇や、絲縷(いとより)という女装した芸人の踊りが加わり、コミカルな味を添えたようです。
当時の『当代記』にこう記されています、「異風ナル男ノマネヲシテ、刀、脇指、衣裳以下殊異相」。女性の阿国が男装して太刀や脇差を携え、茶屋の女と戯れる樣を演じる歌と踊り。妖しげで官能的な雰囲気であったことでしょう。『東海道名所記』から一部を抜粋しますと、男装した阿国がまず登場し「てんかたいへいの御代なれば、みやこへまかりのぼり候て、おどらせばやと存候」と名乗りを上げます。
はじまる念仏踊りは、こんな雰囲気です。
光明遍照
十方世界
念仏衆生
摂取不捨
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀
はかなしやかねにかけてはなにかせん
心にかけよ弥陀の名号
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀
ここで「念仏の声にひかれつつ」と、名古屋山三の亡霊が、いよいよ客席の中から登場したそうです。名古屋山三は阿国と縁深く、当時随一の伊達男といわれながらも、不慮の死を遂げた人物。その亡霊役と阿国の対話とともに、座の者が続いて念仏踊りを乱舞し、鉦や笛、鼓が鳴らされる。道化や女装の猿若も加わり、客席と舞台は一体化して、やんやの喝采を浴びたといいます。
阿国の正式な記録は少なく、のちにさまざまな話が加えられ伝説化しています。しかし客席から演者が登場したり、ジェンダーに倒錯や誇張があり、亡霊まで出てくる舞台演出は、まさに現在の歌舞伎の原型ともいえますね。
そもそも「かぶき」は「傾き」から来ており、派手な身形や行動を好み、常識から逸脱した行動をする者が傾き者と呼ばれました。当時は関ヶ原の合戦の敗残兵浪人が溢れ、江戸には築城や土木に従事する荒くれ男がたむろしていました。阿国はそんな庶民たちや傾き者から、「天下一」と称されます。
人気を博した阿国の一座は、ときどきの権力者をパトロンとして巧みに世を渡り、宮廷女院御所や、伏見城、そして江戸城での勧進興行にまで登りつめました。残念ながら、その後の阿国の行方は定かではありませんが、巷では阿国を模倣した歌舞団や女かぶきが、次々に現れます。しかし歌舞伎は幕府から風俗取り締まりとして次々に制約を受け、女歌舞伎や若衆歌舞伎は禁止となり、1652(承応一)年以降は、成年男子中心の野郎(やろう)歌舞伎となって次第に演劇色を深め、今に至ります。
平安時代から中世にかけて、歌や踊りとともに各地を漂泊した女性芸能者は少なくなかったものの、彼女たちはずっと底辺でのみ、存在を許される者たちでした。そんな中で、いわば一時的でも、目抜きの地で定舞台を構えた阿国かぶきは、まさに女性史、文化史の上でも大きな意味を残したといえるでしょう。
江戸時代から現代まで阿国は語り継がれていますが、小説での傑作は、有吉 佐和子(著)『出雲の阿国』といえるでしょう。雪深き出雲に生を受け、芸能の才を花開かせていく阿国を、秀吉から家康へ移る時代の空気や、河原や町の描写まで、見事に描いています。女性としての喜びと哀しみを、ふるさとの「たたら」の如く、熱く躍動する芸に昇華させていく展開は圧巻です。
現代に阿国かぶきを蘇らせた演目が、『阿国歌舞伎夢華(おくにかぶきゆめのはなやぎ)』。楽しげな導入部から一座が勢ぞろいし、もうこの世の者ではない名古屋山三も現れ、まさに念仏踊りの如くの、幻想的で艶やかな踊りを繰り広げます。坂東玉三郎さんが阿国役を演じる公演に遭遇したら、ぜひ観劇をお勧めしたいほど、美しく儚い舞台です。
そしてまさに今、池袋の東京芸術劇場プレイハウスで上演されているのが、NODA・MAP『「足跡姫」~ 時代錯誤冬幽霊 (ときあやまってふゆのゆうれい) ~』。「三、四代目出雲阿国」率いる江戸の芸能一座を描く、野田秀樹さんの作品です。急逝した歌舞伎俳優、中村勘三郎さん、坂東三津五郎さんへのオマージュと明かされており、芸能そして歌舞伎への想いが、通奏低音として流れています。上演は3月12日まで。
歌舞伎は阿国の発祥から四百年を経てもなお、全国各地で江戸から続く作品が上演され、新作も発表されています。何度観ても新たな発見があり、高い席から安い席まで、それぞれの楽しみ方が見つかる歌舞伎。。ぜひ一度、劇場に足を運んでみてください。
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<一部引用と参考文献>
有吉佐和子(著)『出雲の阿国』(改版、上・下巻)中央公論新社
林屋辰三郎(著)『歌舞伎以前』 岩波書店
小笠原恭子(著)『出雲のおくに――その時代と芸能』中央公論社