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オノ・ヨーコ(本名:ヨーコ・オノ・レノン、Yoko Ono Lennon、日本名:小野 洋子 1933年2月18日 〜)は東京に生まれ、小学生の時に父親の転勤でニューヨークに転居、幼少期より日本とアメリカを行き来して成長しました。学習院大学在学中に再び父親の転勤にともないニューヨーク郊外に転居し、数々の芸術家を生み出したサラ・ローレンス大学において音楽と詩を学び、1959年からニューヨークを拠点に前衛芸術家として活躍します。
その後、日本での活動を経て1966年に拠点をロンドンに移し、同年11月に開催した個展会場でジョン・レノンと運命の出会いを果たし1969年に結婚。1960年代後半から1970年代にかけて、ジョンとともに数々の創作活動や平和運動を行なっていきます。ジョンとのパートナーシップは、彼が亡くなる1980年まで続きました。ヨーコは現在もニューヨーク在住で、ジョンとともに暮らしたセントラル・パークを臨むダコタ・ハウスに住んでいます。
「この本を燃やしなさい。読みおえたら。」
衝撃的なこの言葉で締めくくられる著書『グレープフルーツ』は、1964年にわずか500部の限定版として東京で出版されました。「想像しなさい」「聴きなさい」といった、言葉による指示(インストラクション)で、詩的に綴られたコンセプチュアルな作品は、当時の日本では全く理解されず、ヨーコは売れ残った本をロンドンで芸術家仲間にあげてしまったそうです。
そのロンドンで出会ったジョン・レノンは、この作品に触発されてビートルズの名曲「イマジン」を生み出したとインタビューで語っているのです。今では『グレープフルーツ』を持っていないアーティストはいないとまでいわれるこの作品は、1970年に加筆され英語版がニューヨークで世界発売されました。日本では初版から約30年後の1998年に改編された作品が『グレープフルーツ・ジュース』として出版されています。
『グレープフルーツ』というタイトルついて、「グレープフルーツはレモンとオレンジのあいの子です。ちょうど私の頭がアジアと西洋のあいの子のように」とヨーコは語っています。この作品には、幼少期より日本とアメリカの文化の間で多感に成長した彼女の心と想像力がいっぱいに詰めこまれているのかもしれません。『グレープフルーツ・ジュース』の本人による序文には、日本での戦時中のエピソードが語られています。幼いヨーコと弟の、戦争による辛い現実を子供らしい豊かな想像力で乗り越えるやり取りは、何度読んでも温かい気持ちにさせてくれます(気になる方は、ぜひ読んでみてください)。
実際に『グレープフルーツ』には、幼い頃にしていた遊びや空想していたことを思い出すような言葉に出会い、はっとさせられることが少なからずあるのです。
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ある期限で名前を変えなさい。
年齢によって。
年によって。
日によって。
その時々によって。
洋服の色によって。
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立ちつくしなさい。
夕暮れの光の中に。
あなたが透明になってしまうまで。
じゃなければ、
あなたが眠りに落ちてしまうまで。
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道を開けなさい。
風のために。
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『グレープフルーツ』から50年の時を経た2015年、「今の社会を生きていくために、何かパワーをあげられたら」というヨーコの思いが一冊のコンセプチュアル・インストラクションの本として出版されました。
『どんぐり』というタイトルは、ジョンとヨーコによる「どんぐり」を使ったユニークな平和運動に由来します。「どんぐりを植えるイベント」は、1968年6月にイギリスのコベントリー大聖堂の庭で行われました。ジョンとヨーコは2個のどんぐりをそれぞれひとつずつ東と西に向けて地面に植えました。西洋人のジョンと東洋人のヨーコが出会って愛し合ったように、西洋と東洋の人々が理解し合って世界が平和になるようにとの願いが込められているのです。
どんぐりが芽生え、木になり、枯れ、そしてまたその木に実ったどんぐりが芽生える、という永遠に続く生命活動そのものをアートとしてとらえ、これをふたりは「生きているアート」と呼びました。ジョンはこのイベントで「近いうちに東と西がひとつになることを望みます」とスピーチしたそうです。
『どんぐり』という著作について、ヨーコは『グレープフルーツ』の続きの作品と位置付けています。そしてこのような言葉を付け加えています。
「私は種を蒔いているだけです。さあ、楽しんでください。」
『グレープフルーツ』が刺激的で強い光が心に射し込むような作品であるのに対し、『どんぐり』では、足もとを照らしてくれる穏やかな光を思わせるメッセージに数多く出会います。その眼差しの一端にふれてみましょう。
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夕方 日が暮れる前に、
自分の住んでいるところから なるべく離れたところへ行く
家が見えなくならない程度に。
しばらく家を眺める。
そこで起こったすべてのことを考える。
家の中を歩き回った距離を考える。
ある日、引っ越すかもしれない。
ある日、そこで亡くなるかもしれない。
今夜は自分にやさしくなる。
a) 自分のために何かを買う。
b) 自分のためのごちそうを食べる。
c) 鏡を見て自分に微笑みかける。
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このインストラクションは、『どんぐり』のなかに収められた「縁の作品」というカテゴリーのうちのひとつです。
家を遠くから眺めることで、自分自身の外側に出てみる。
毎日の生活を、立ち止まってゆっくり観察する。
ネガティブな感情があっても、客観的に観察して気づきを得る。
家自体や家族に不満あったとしても、かけがえのない毎日がここにある。
やさしい気持ちを、まず自分に向けてみよう。
縁あって共にある人やものに感謝し、かけがえのない自分に感謝しよう。
今の私は、こんなメッセージを受けとることができました。
あなたは、どんなメッセージを受けとりましたか。
最後に、ヨーコの想像力と言葉の力が、ジョンの魂を通して世界中の人々の心に響く現実になった物語をご紹介します。
「イマジン・ピース・タワー」の構想は、今から50年前の1967年にヨーコが発表したコンセプチュアル・アートによるもの。この作品を大変気に入っていたジョン・レノンは、この塔の実現を生涯の夢として温めていたそうです。その意思を継いだヨーコによって、ジョンの67歳の誕生日になるはずだった2007年の10月9日、地球最北にあるアイスランドの首都レイキャビク沖合のヴィーズエイ島に平和を祈念するモニュメントとして建設されました。
「イマジン・ピース・タワー」は、建築物ではなく光そのものによる壮大なアート作品。円筒形の台座にはライトがセットされており、青白い一本の光の束が力強く天空に放たれます。台座の壁面には、世界の平和へ願いを込めた「IMAGINE PEACE(平和な世界を想像してごらん)」の言葉が24カ国語で刻まれています。
点灯は常時ではなく、ジョンの誕生日である10月9日からジョンの命日である12月8日までの期間と、12月31日、イースターに限定されています。ヨーコは「世界の人々の心が、この光を思い起こすことでひとつになれればいいですね」と語っています。
これからも歌い継がれるであろうジョン・レノンによる名曲「イマジン」、そして「イマジン・ピース・タワー」。ヨーコの想像力と言葉の力がふたつの歴史的な現実となり、私たちに力強いメッセージを発信しています。
「すべての人が平和に暮らしているのを想像してごらん」 (ジョン・レノン)
「ひとりで見る夢はただの夢、みんなで見る夢は現実になる」 (オノ・ヨーコ)