旧都桐生歴史館オープン記念式典で「各世代日本一の名将対談」でトークする(左から2人目から)渡辺久信氏、川島勝司氏、前野和博氏、河原井正雄氏。左は、司会の小野塚康之アナウンサー。

群馬・桐生が生んだ「名将対談」が実現した。

球都桐生歴史館オープン記念式典が23日、群馬県桐生市の同館で行われ、「各世代日本一の名将対談」を開催。勢多郡新里村(現桐生市)出身で08年に西武を日本一に導いた渡辺久信氏(60)、桐生高出身でヤマハで3度の都市対抗優勝へ導いた川島勝司氏(80)、同高出身で83年に東芝で都市対抗優勝した前野和博氏(76)、同高出身で青学大で東都リーグ12回、大学日本一4回を達成した河原井正雄氏(71)、桐生第一で99年夏の甲子園優勝に導いた福田治男氏(63=現利根商監督)がそろい、それぞれ優勝へ導いた秘訣(ひけつ)を明かした。

渡辺氏は「ベテランの離脱と若手台頭が重なり優勝につながった」と振り返った。前年リーグ5位、主力のカブレラ、和田が抜けた状態で監督に就任した。当時1軍に定着していなかった中村、栗山を打てない時も我慢して起用し続け、一人前に育て上げた。「開幕前の予想は最下位が多かったから、みんな反骨心を持ち、世間の評価を覆す意欲が強かった」と話した。そして最近の野球選手について、「情報、知識が豊富で、指導者も常に勉強し続ける必要がある。勉強を怠る指導者は指導者を辞めるべきだと思っています」とも話した。

川島氏は、都市対抗で3度の優勝に加え、96年アトランタ五輪では銀メダルへ導いた。「優勝は監督の力じゃない。選手の力をいかに引き出すか」と言い切った。選手の気持ちを盛り上げ、夢や目標を持たせることで力を引き出すことが重要で、そのために「練習後は選手と一緒によく風呂に入った。個々の状態や悩みを把握するよう努めた。選手1人1人をきめ細かく見るのは監督の絶対条件」と話した。

前野氏は東芝の監督を5年間務め、都市対抗優勝1度、準優勝2度の実績を誇る。「優勝したのはまぐれですよ」と冗談めかしたが、当時は神奈川予選を勝ち抜くことも難しかったチームを常勝軍団へと引き上げた。

河原井氏は「監督の力じゃなくて、いい選手を入れて、いいところで使っての循環です」とチーム作りの秘訣(ひけつ)を明かした。初めて大学日本一を遂げた時の主力だった小久保が、アトランタ五輪で唯一、大学生で日本代表入りした。それを見た井口が、「五輪を目指したい」とプロから大学に進路を変更。そして井口も大学日本一に輝いた。これらの経験から「高校生が入りたくなるような魅力ある大学づくりを目指してきた」と話した。

福田監督は、優勝した99年と最近の高校球界の変化について触れた。「今は休養日が入るが、あの時は3回戦から4日連続4連戦だった。当時は当たり前で、連戦に耐えうるチーム作りをしていた」と振り返った。技術面だけでなく、体力、精神力を鍛えて上げ、4連投のエース正田を中心とした守りの野球で頂点に立った。

約2時間の対談を終えた渡辺氏は「先輩方と話す貴重な経験になった。稲川東一郎さんが礎を築いた桐生の野球を誇りに思う」と話した。稲川東一郎は、桐生高野球部の監督を40年以上務め、当時は珍しかったデータ野球や筋力トレをいち早く導入。春夏合わせて24度の甲子園出場を話した名将だ。この日オープンした「球都桐生歴史館」は、歴代ユニホームや優勝旗な、バットなど名将たちの功績を後世に残す資料館となっている。渡辺氏は「群馬が大好きなので、これからも地域を盛り上げるために協力していきたい」と話した。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 渡辺久信氏、河原井正雄氏、川島勝司氏…群馬・桐生が生んだ「名将対談」実現 優勝の秘話語る