沖縄尚学対日大三 ナインの動きを見る沖縄尚学の比嘉監督(撮影・加藤哉)

<全国高校野球選手権:沖縄尚学3-1日大三>◇23日◇決勝◇甲子園

縄尚学(沖縄)が日大三(西東京)を破り、夏の甲子園で初優勝した。沖縄県勢は2010年の興南以来、15年ぶり。比嘉公也監督(44)は選手として99年春のセンバツで優勝投手。指導者として08年春に続き夏の甲子園でも優勝監督となった。

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2008年のセンバツ制覇から17年の時を経て、沖縄尚学監督の比嘉公也は深紅の大優勝旗に巡り合った。17歳の春はエース、26歳の春は監督で紫紺の大旗を手に。自身2度目の優勝時は青年だった指導者も44歳となり、渋さと貫禄が加わった。持ち前の人を見る目の確かさは、経験を摘んでよりいっそう磨かれた。

高校日本代表のコーチも務め、23年第31回U18W杯では馬淵史郎代表監督(69=明徳義塾監督)を支えて世界一に。大阪桐蔭・前田悠伍(ソフトバンク)ら投手陣1人1人の個性、適性を把握。的を得た進言が適確な投手起用になった。「他校のエースの人となりを短期間でつかんでいた。さすがの観察力、洞察力でした」と、ともにコーチを務めた智弁学園(奈良)の小坂将商監督(48)は語る。

沖縄尚学から愛知学院大に進学。左肘を痛めたことで指導者を志し、在学中に高校社会の教員免許を取得した。卒業後は沖縄県職員として浄水管理事務所に勤めながら沖縄大に通い、地理と歴史の免許を取った。「教員になっていなければ高校野球の指導者になってはいなかった」と明かす。教え子の教室の顔、グラウンドの顔を見守り、個性を生かす道を探り続けてきた。

試練も知る。06年6月の監督就任の3カ月後、部内の暴力事件で対外試合禁止処分を受けた。翌春センバツはなくなった。08年センバツ優勝の実績を残しても、指導方針が周囲の理解を得られないこともあった。何度もカベにぶつかった。経験が、人としての温かさにつながっている。駒大苫小牧(北海道)の佐々木孝介監督(38)は「公也さんに『我慢だぞ』と言われると、頑張ろうという気になります」と語る1人。人を引きつける磁力がある。

監督初Vのときは新婚の夫人と2人だったが、今は高校生、中学生の娘2人の父。部活のない日は、塾の送り迎えにハンドルを握る。優しい父親の目も併せ持つ。「全員の能力を最大限に引き出した上で勝てた、というのが1番の理想」と究極を求める指導者。日本一になっても、理想は変わらない。春夏の優勝旗に、まだまだ巡り合うことだろう。【堀まどか】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【甲子園】沖縄尚学・比嘉公也監督 選手でV、監督でV2 個性生かす道探りつかんだ栄冠