四国IL高知時代の阪神ドリス(中央)と、同球団の斗夢野手コーチ兼外野手(左)、サンフォ外野手(高知ファイティングドッグス提供)

<猛虎リポート>

日刊スポーツの阪神担当が独自の視線で現場報告を行う「猛虎リポート」。今年7月、6年ぶりに阪神復帰を果たしたラファエル・ドリス投手(37)の四国IL高知時代の「秘話」をリポートする。

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7月23日のSGL。6年ぶりにドリスと再会した阪神の選手たちは皆、笑みを浮かべた。18、19年にもチームメートだった高橋は「周りを明るくする存在」と右腕を紹介する。そんな“愛されキャラ”は7月まで所属した四国IL高知ではどのような存在だったのか? 同球団の青木走野チーム強化・選手育成ディレクター兼国際担当兼スカウト(38)が笑顔で明かした。

ドリスが高知に在籍していた期間、青木氏は単身来日した右腕とほぼ毎日一緒に過ごしていた。「兄貴分というか、もうお父さんみたいでした」。プライベートでは仲間たちと温泉や川へ。「食べていきなよ。使っていきなよ」と自宅で手料理を振る舞い、高級マッサージチェアも使用させた。月10万円ほどで生活する選手たちは当然、助っ人右腕のサポートに心の底から感謝していたという。

練習でも多方面でアドバイスを送っていた。直伝のスライダーは「ドリスラ」と呼ばれ、チーム内で流行。DeNA4位ルーキーの若松もスライダーを伝授された1人らしい。現在も「ドリスラ」を投げている投手は多く、“DNA”は脈々と受け継がれている。

阪神育成2位ルーキーの嶋村はリードのみならず、打撃面でも金言を授かった。当てただけのような左前打が続いていた時、「それではNPBには行けないよ。いいスイングをしているんだから」と指摘された。「追い込まれるまでは全力。思い切り振れ」。そんな金言を胸に本塁打を増やし、今では縦じまに袖を通して日々汗を流している。

ドリスは背中でも見せる男だった。昨オフにNPB球団と契約できなくても、今季は引き続き高知でプレー。「7月末までにNPBに戻る」と覚悟を決めていた。高年齢でNPB復帰の可能性が低くなっても再来日する熱意に、青木氏は「NPBに劣るものがあっても、不平不満や環境のせいにすることもなかった」と胸を打たれた。

阪神再入団の直前には「3週間で10キロ痩せる」と決意。午前7時に自宅を出発。約1時間も車を運転し、弁当持参で練習参加。さらに1人で家事を全てこなした後、初動負荷トレーニングなどで汗を流してから温泉へ。このルーティンを毎日繰り返し、約1カ月半で9キロも減量したそうだ。

「阪神でセーブ王を取ってメジャーまで行っても、もう1回日本に来て独立リーグから。情熱がないと来れません」。青木氏も目を見張るストイックさに発奮した選手は多い。右腕は通訳を介さずに仲間とコミュニケーションをとり、トレーニングに連れていくこともあった。藤川監督の古巣でもある四国IL高知で周りに広がった情熱は、阪神でも若虎に好影響をもたらすことだろう。【塚本光】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 【虎番秘話】四国IL高知でドリスは仲間に手料理!?同球団の青木氏「兄貴分というかお父さん」