【甲子園】「家族のような」3年生の思い…花巻東4番古城大翔が涙、来年こそ「岩手から日本一」
<全国高校野球選手権:東洋大姫路8-4花巻東>◇15日◇2回戦
2年生主砲の涙は、泣いても、泣いても枯れることはなかった。
花巻東(岩手)が東洋大姫路(兵庫)に4-8で敗れ、2回戦で姿を消した。1年から4番を担う古城大翔(だいと)内野手(2年)は2安打。8回には左前打で好機を広げ、チームは6点差を3点差に詰めた。反撃及ばず、「岩手から日本一」は後輩たちに託された。3季連続甲子園を経験した古城を中心に、3年生の思いも背負って前へ進む。
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真っ黒なユニホームに大粒の涙がこぼれ落ちた。「ずっと隣にいてくれて、家族のような存在でした」。古城は何度も、何度も3年生への思いを口にした。
1年春から主戦。メンバー発表があり、この夏も背番号「15」をもらった。その裏でベンチを外れる3年生もいた。それでも朝早くから夜遅くまで、練習のサポートをしてくれた。「嫌な顔せずにバッティングピッチャーをしてくれて」。熱量はみんな同じだった。だからこそ、その思いに何としても応えたかった。
1-7の8回には1死一塁で左前打。「何が何でも」。3年生の夏を終わらせたくなかった。「後ろには頼れる仲間がいるので、つなぐ思いでした」と執念の1本だった。
1年生から4番。「正直苦しいこともたくさんありました」。打線の顔にもなる大黒柱には、背負うものもあった。そこで支えになってくれたのは中村耕太朗主将(3年)だった。「結果が出ないときも、耕太朗さんが声をかけてくれました。そのおかげで乗り越えることができて、結果を出すことができました」。試合後には感謝の思いを伝えた。「一緒に過ごすことができて幸せでした。ありがとうございました」。涙が邪魔して、うまく話せなかった。
そんな古城の背中を、中村主将はポンッとたたいた。「あとは頼んだぞ」。次は3季連続の甲子園を経験した古城が新チームを引っ張る。「まだまだ未熟です。周りが納得するくらい練習して、耕太朗さんのように背中で示せるプレーヤーになりたいです」。誰よりも側で3年生の姿を目に焼き付けてきた。「『立派になったぞ』と言える素晴らしい代をつくりたいです」。そして1年後、この場所で「岩手から日本一」をかなえる。これが大好きな先輩への恩返しだ。【木村有優】
◆古城大翔(ふるき・だいと)2008年(平20)6月4日生まれ、神奈川県出身。小1から山田バッファローズで野球を始め、中学では都筑中央ボーイズでプレー。花巻東では1年春からベンチ入り。50メートル走6・4秒。遠投115メートル。180センチ、94キロ。父は巨人の古城茂幸内野守備走塁コーチ。
○…これぞ集大成。高校野球最後の打席は、一生忘れられないものになった。千葉脩平(3年)が9回先頭に代打で登場。左翼線に強烈な二塁打。「小さい頃から見てきた憧れの舞台だったので。人生の中でも貴重な経験でした」。右手の拳を高く突き上げた。今春センバツでは代打で空振り三振だった。「2度目のチャンスで打つことができて良かったです」とすがすがしい表情で話した。