戦争知る86歳権藤博 今もメジャー視察の“現役”は35歳菅野智之を絶賛「山本と互角」/寺尾で候
<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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この人が終戦を迎えたのは小学1年、6歳のときだったという。中日の投手で、1998年に横浜(現DeNA)監督として、リーグ優勝、日本一に導いた権藤博と戦争体験の話をした。
「毎日、お寺にある小学校に行って、空襲警報のサイレンが鳴ると、林の中を歩いて帰った。子供だから下から戦闘機が飛ぶ空を見上げると、大人から『おいっ、そんなことしてると撃たれるぞ!』と叱られた」
佐賀県鳥栖市で生まれた権藤は86歳になった今もなお、日刊スポーツ評論家として野球場に足を運んで熱い視線を注ぐ。戦後80年を迎えた“現役”は遠くを見つめながら振り返る。
「とにかく食べ物がないのがつらかった。小学3年になって給食が出るようになったが、それまではイモばっかりでさ。これがほくほくしてて、あとはヒエを食べてたんだ」
鳥栖高から社会人ブリヂストンタイヤを経て61年(昭36)に中日入り。1年目から69試合に登板し、35勝19敗、防御率1・70。シーズン429回1/3登板はセ・パ両リーグ分立後では最多記録だ。
ひたすら投げまくったことから「権藤、権藤、雨、権藤」といったフレーズが生まれた。最多勝利、最多登板、最多完封、最多投球回数、最多奪三振、最優秀防御率に、沢村賞、ベストナイン、新人王と、賞を総なめにした。
プロ野球界の“史上最強ルーキー”といえる。翌年も最多勝利だったが、そこから成績は下降し、わずか5年で投手生命を絶たれた。その権藤のすごさは、今もメジャー視察に通っていることだ。
今年は7月にメリーランド州ボルティモアに向かった。空路ワシントンDCに到着し、車で約80キロを走って現地入りするのだから、恐るべき86歳だ。拙者にも経験があるが、米国最古の都市ボルティモアの夏は蒸し暑い。
権藤は現地で巨人からオリオールズに移籍した菅野智之に会った。11日の地元メッツ戦で6回4安打3失点で7勝目。6月は調子を下げたが、再び上昇の兆しを見せる右腕を絶賛した。
「(チームが)弱いし、暑いし、もっとも厳しいところで頑張っている。山本(ドジャース)もあそこまでやってるけど、年は違うが、山本と互角だな」
昨シーズンは巨人で、最多勝利、最高勝率、自身3度目のMVPを獲得し、リーグ優勝に貢献。海外FAでメジャー行きを決断したが、35歳という年齢が不安視された。
だがその心配は、今のところ杞憂(きゆう)に終わっている。それどころかMLBデビューした日本人投手として、歴代最年長記録になる2桁勝利まで「あと1」にこぎつける9勝をマークしている。
その姿を目の前で見た権藤は「球速は150キロも出ているし、相変わらずベースの四隅を狙うコントロールもある。日本ではスライダーのイメージだが、上下の攻め方を身につけた」と巨人時代との変化に気付いた。
つまり、持ち前の制球力を生命線に、権藤が「ハイファースト」といった高めの球をうまく使って、タテの配球を駆使しながら仕留めている。「それにトレーニングを怠らない。オリオールズから移籍するにしても、今度は優勝を狙うチームが菅野をとりにくるだろう」とまで先を見通した。
ア・リーグ東地区で最下位のオリオールズだけに菅野の2桁勝利は値打ちがある。「オールドルーキー」と言うらしいが、どの業界も勝負に年は無関係だ。野球がある世界平和を祈りながら、サムライのマウンドさばきに注目しよう。(敬称略)