釜本邦茂さんの通夜が営まれ、多くの参列者が訪れた(撮影・上山淳一)

10日に81歳で亡くなった日本サッカー界「史上最高のストライカー」釜本邦茂さんの通夜が12日、大阪府内で営まれ、日本サッカー協会(JFA)の宮本恒靖会長(48)や俳優の松平健ら約220人が参列した。日本代表として国際Aマッチの男子歴代1位となる75得点(76試合)を誇り、Jリーグ前身の日本リーグ(JSL)ではヤンマー(現C大阪)で202得点。G大阪の初代監督やJFA副会長、参院議員などを歴任したレジェンドとの別れに会場は悲しみに包まれた。

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祭壇には、笑顔の遺影とともに、日本が世界に誇る勇姿が掲げられていた。7ゴールで得点王に輝いた68年メキシコ五輪の3位決定戦メキシコ戦でゴールを決めた時や、ブラジルの「王様」ペレ氏に担がれた姿、ドイツの「皇帝」ベッケンバウアー氏とマッチアップした1枚などが飾られ「世界のカマモト」を感じさせる光景が斎場に広がった。

G大阪の初代監督とエースの間柄で師事した永島昭浩氏は、Jリーグ発足時にシュートのコツを聞いたことを思い返した。釜本さんが「簡単や、見ておけ」と6割程度の力で打った一撃に、度肝を抜かれた。引退後とは思えない、正確でスピードのあるシュート。「精密機械のようで僕よりも速くて『本当にこんなシュートが打てるんだ』と。後にも先にも、あんなシュートは見たことがない」。目の当たりにした世界レベルの衝撃は今も鮮明。昨日のことのように振り返った。

長男達生さん(62)は喪主あいさつで、父が代表チームの団長を務めた06年W杯ドイツ大会のエピソードを、涙ながらに紹介した。

「大会後に帰ってきて、家でお酒を飲みながら『教えた子供たちがたくさんいた。本当に良かった』と、今まで見たことのないような笑顔で喜んでいました」

84年の引退後に1500回以上も開催し、日本全国で指導した「釜本サッカー教室」。そこで触れ合った少年たちが日の丸を背負う選手に成長し、W杯で共闘した。当時の代表主将で、参列したJFAの宮本会長は「一番、世界に近かった人。種をまくことの大切さも感じた。喜んでいる姿はあまり見たことがなかったので、見てみたかった」と喪主の話に思いをはせた。

「サッカー選手の英雄として、試合を勝利へ導き光り輝く記録を残し、また指導者としても選手を教え導いた人」と授けられた戒名は「本徳院英輝勝翼邦教居士」。選手でも後進育成でも成果を残したレジェンドは、今後も日本サッカーを見守っていく。【永田淳】

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 釜本邦茂さんの通夜、長男達生さんが06年W杯ドイツ大会のエピソードを涙ながらに紹介