【甲子園】県岐阜商・横山温大、ハンディ克服2安打1打点 スタンドの父「すごいな」尊敬
<全国高校野球選手権:県岐阜商6-3日大山形>◇11日◇1回戦
創部101年目の県岐阜商が日大山形を下し、夏は16年ぶりの勝利で通算40勝目を挙げた。生まれつき左手の指がない背番号9の横山温大(はると)外野手(3年)が同点打を含む2安打1打点。右手1本で右に左に鋭い打球を連発した。
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右手1本で振り抜いた打球が鋭く一、二塁間を破った。二塁走者が生還。横山は両手を上げてガッツポーズをつくった。生まれつき左手の指がなくても甲子園で適時打を放ち、喜びを両手で表現した。「何としても同点に追いつくぞと思っていた。食らいつけたので良かったです。自分が打って点を取れてうれしかった」と笑顔で振り返った。
0-1の5回1死二塁、チェンジアップを右手1本で振り抜くと、鋭い当たりで右前に運んだ。同点タイムリーに、大きな歓声が湧き起こった。8回は左前に運び、チーム唯一の2安打で、夏16年ぶりの勝利&夏通算40勝に貢献した。
生まれつき、左手の指がない。先天性で原因は不明。3きょうだいの末っ子として生まれた直後、両親が異変に気付いた。父直樹さん(49)は「普通に生まれてくるものだと思っていた。ショックだった」と振り返る。それでも兄と姉の背中を追い、野球に打ち込んだ。
中学生までは投手だったが、高校では外野手に専念。「バッティングで自信があったので挑戦してみたい」とハンディを気にせず、野手で勝負した。グラブは右ではめ、捕ると同時に外して右で投げる。この日は素早く投げるプレーはなかったが、「コンマ何秒でも速くしよう」と数え切れないほど練習を繰り返した。
速球に負けないために左手の押し込みも必要で、ウエートトレーニングも欠かさない。8回の左前打は外角139キロの直球を逆方向に鋭く運んだもので、努力が結実した一打だった。甲子園でプレーする息子の姿に直樹さんも「すごいな」と尊敬のまなざしだった。
甲子園に出場したことで、同様のハンディを持った人からSNSで「自分も頑張ろうと思えた」などメッセージも届いている。「こういう体でもできるんだぞと証明していきたいし、自分のような子たちにも勇気や希望を与えられる存在になりたい」。挑戦はまだまだ続く。【林亮佑】
◆横山温大(よこやま・はると)2007年(平19)7月17日生まれ、岐阜県各務原市出身。小学3年から緑陽スポーツ少年団で野球を始め、投手と内野手。緑陽中では愛知江南ボーイズに所属。県岐阜商では3年春に背番号17でベンチ入り。同じく片側の手を欠損しながらプレーした元メジャーリーガーのジム・アボットの動画も参考にする。170センチ、70キロ。右投げ左打ち。
【球界の主なハンディ克服】
◆高校野球 51年夏、監督として平安を甲子園優勝に導いた西村(旧姓木村)進一氏は終戦半年前の45年3月、南太平洋のラバウルで手りゅう弾を受けて右手首を吹き飛ばされたが、右手の義手にボールを乗せ、左手でノックを行った。03年夏、甲子園に出場した今治西・曽我健太内野手は5歳の時、みかん畑で遊んでいてトロッコに挟まれ左足首から下を失ったが、義足でプレー。1回戦の日大東北戦では2つの三塁ゴロをさばいた。
◆プロ野球 43~54年に中日などでプレーした近藤貞雄投手は事故で右手中指を負傷したが、残り4本の指で投げるパームを武器に通算55勝を挙げた。
◆米球界 左腕のジム・アボット(ミシガン大)は生まれつき右手首から先がなかったが、88年ソウル五輪決勝で日本相手に5-3で完投し金メダル。ドラフト1巡目で入団したエンゼルスでは93年にノーヒットノーランを達成するなど大リーグ通算87勝。グラブを右手首に乗せ、投球後にグラブを素早く左手にはめ直す独特の「アボット・スイッチ」でプレーした。