【東京V】城福監督「尖った釜本邦茂のような選手をどのように出していくのか」指導者目線で悼む
東京ヴェルディの城福浩監督(64)が11日、前日に81歳で亡くなった釜本邦茂さんを偲ぶとともに、指導者としての観点から日本サッカー史上最高のストライカー像について語った。
年齢は一回り以上も異なるが、ともに早大ア式蹴球(サッカー)部出身。城福監督が日本サッカー協会(JFA)でアンダーカテゴリーの代表監督を務めていた当時、釜本さんはJFA副会長を務めていた。
「直接何かやり取りがあったかって言うと、恐れ多くて、僕は早稲田の後輩ですって言いに行けないですし。多分そういう会話は1回、2回はあったと思いますけど、どんな会話をしたのか覚えていないくらい、もう完全にこっちは舞い上がっていました」
物心ついた頃からサッカーが大好きになり、家から学校まで1つの石を蹴りながら通学しては、また石を蹴りながら帰った。その時代のヒーローが釜本さんだった。
「サッカー界はそれ以降、釜本2世というのが何人出てきて、釜本2世という言葉の呪縛にどれだけ苦しめられたか。それぐらい存在として大きな方だったなと思います」
釜本さんが日本代表として活躍したのは1960~70年代。同じ時期に王様ペレらがいた。完全なアマチュア大会だった68年メキシコ五輪で日本が銅メダルに輝いた一方で、トッププロがしのぎを削るワールドカップ(W杯)出場は夢のまた夢だった。70年W杯メキシコ大会では、ペレを擁するブラジルが世界一に輝いた。小学生だった城福監督は映画館に3度も足を運び、ブラジルの選手たちの名前、姿を頭の中に焼き付けたという。
あれからもう半世紀が経ち、日本サッカーの立ち位置は大きく変わった。先人たちが起こし整えてきた「プロサッカー」という道を引き継ぎ、今は指導者としてJリーグ、そして日本サッカーのさらなる発展に全力を尽くしている。
「僕が大それたことは言えないですけど、あの時代にあれだけに選手が出てきたわけですよね。破天荒というか、おそらく指導者として釜本邦茂という選手と接したら、相当難しい選手だったと思う。あれだけの才能があって“ガマさんの45度”っていうのは本当に有名で。僕が伝え聞いた話ですけど、(練習では)必ず45度からのシュートを打って上がるらしいんですよ。そのこだわりであるとか、ストロングを研ぎ澄ませていくそのプロフェッショナルな意識であったり、物おじしないというか。当時で言えば日本はサッカーの後進国でしたけど、物おじしないメンタルとか。当時の指導者養成がどれだけ充実していたか分かりませんけど、当時ああいう選手が出てきて、じゃあ今まさに釜本2世だっていうのが出てきたのかというと、我々指導者としてはいろんな示唆に富むというか、いろんなものを勉強した上で、ああいう規格外の選手をどう輩出していくのかと。縮こませない、丸い円にさせないで、もっと尖った釜本邦茂のような選手をどういうふうに出していくのか、っていうのはあらためて考えさせられます」
釜本邦茂というストライカーのプレーを現代サッカーに置き換えても、まったく色あせることがない。力強くて柔軟であり、頭、両足からと多彩なゴールパターンを持っていた。
得点王のタイトルだけ羅列しても、68年メキシコ五輪(6試合7得点)、72年ムルデカ大会(7試合15得点)、日本リーグ7回(68年=14試合14得点、70年=14試合16得点、71年=14試合11得点、74年=18試合21得点、75年=17試合17得点、76年=18試合15得点、78年=18試合15得点)。
そして日本代表でも国際Aマッチ最多の75得点含め、241試合158得点という驚異的なゴール数を記録している。
「僕はJFLの時代にヤンマーともやったりして、そうするとガマさんと一緒にやった選手とかともよく話をするんですよね。そうすると、シュートはここに置けばいいんだとか、大きいボールをこう胸でトラップする時の相手のブロックの仕方とか、こうすりゃいいんだよと。あの人なりの教えがあって、それがものすごい参考になったと。じゃあガマさんが誰かに教わったかというと、多分自分で考えたんだと思うんですよ。やっぱりこう教わるだけじゃなくて、自分で考えられる選手、自分のストロングを出すために、ここにボール置いたらオレ絶対に取られないからだとか、だからこういうボール寄こせとか。そういう選手を我々がどういうふうに排出するかっていうところは、元ヤンマーの選手もみんな指導者になっていますけど、彼らの話を聞いて、僕も当時参考になったというかね、それぐらい偉大なもう歴史上のレジェンドですよ」
サッカーを学ぶ環境や教材が整い、どうプレーすればいいか、その答えへと導きやすい時代となった。ただ裏を返せば、教えられたことを実践するだけで“自分で工夫する”という視点は疎かになっている。
自然と丸くなってしまいがちな時代にあって、釜本さんのような自己主張の強い、時代に反するようなエゴイスティックなストライカーをどう育てるのか。
釜本邦茂という巨星が消えたタイミングにあって、あらためて日本人ストライカー論が再燃しそうだ。【佐藤隆志】