早大ア式蹴球部の創部100周年記念祝賀会で学生時代を振り返った川淵三郎氏=25年1月18日(撮影・木下淳)

日本サッカー界の「史上最高ストライカー」釜本邦茂氏が10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎相談役(88)が、協会を通じてコメントを発表し、釜本さんを悼んだ。

釜本氏の早大の先輩でもある川淵相談役は、「希代のストライカー、釜本邦茂さんの訃報に接し、心から哀悼の意を表します。そして、長い療養生活を深い愛情をもって支えてこられた奥さまに心からお悔やみと感謝を申し上げます」と思いを伝えた。

現役時代は日本代表として共闘。64年東京オリンピックにもともに出場した。当時をこう振り返る。

「東京オリンピックの前年、東大検見川で行われた古河電工と山城高校との練習試合で初めて釜本選手と一緒にプレーをして、日本人離れしたそのスケールの大きさに驚かされた記憶があります。既に釜本選手を見ていたクラマーコーチからは熊のような選手がいると聞いていましたので、のっそりしたでっかい選手だろうと思っていました。ところが、いざ対戦してみると、そのスピードと本能的なゴール感覚たるや!『えっ、これが高校生なの?』と度肝を抜かれました」

東京五輪に向けて5カ月にわたる選手選考釜本氏の加速度的な成長に驚いたという。「後にも先にもこんな経験はありません。現役引退後、”釜本2世”とうたわれた選手は何人も出てきましたが、半世紀たった今も彼に近づいた選手はまだ現れていません。”不世出の選手”という言葉がぴったりな釜本さんでした。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」とした。

情報提供元: 日刊スポーツ
記事名:「 釜本邦茂さんとの初対戦 日本協会の川淵三郎相談役「えっ、これが高校生?と度肝抜かれた」