恩師の釜本邦茂さんしのぶ 和田昌裕さん「不死身の方やと思っていた」キック練習の思い出も
Jリーグ発足時にガンバ大阪の選手として活躍し、現在はツエーゲン金沢でゼネラルマネジャー(GM)を務める和田昌裕さん(60)が、恩師である釜本邦茂さんの訃報にふれ、思い出を振り返った。
和田さんは訃報を知り「えっ」と驚いた後、「小学生のころからヤンマーでのプレーを見ていた日本サッカー界のスター。第一線でサッカー界を背負ってきてくれた方。強い方、不死身の方やと思っていたから、本当に残念です」と言葉を絞り出した。
指導者になってからも、選手時代からの関係性は変わらなかった。10~12年にヴィッセル神戸の監督としてベガルタ仙台戦でユアスタに行った時のこと。その際の前座で行われていたのが釜本サッカースクールで、仙台の地で対面したという。「スタッフからロビーに知り合いが来ていると知らされて向かってみると、エレベーターのドアが開いたところに釜本さんがいた。あの時も自分が直立不動になったのを覚えている」。その光景を今でも鮮明に覚えているという。「言葉に重みがあって、一言一言が突き刺さる感じだった。プレー面でも私生活でも、それを受け止めてやっていた」という和田さんにとって、釜本さんはいつまでも恩師だった。
93年5月のJリーグ開幕戦で、G大阪の初ゴールを決めた和田さんは、当時の監督だった釜本さんから、正確なプレーの重要性を学んだ。「当時からキックには自信を持っていた」という和田さんだが、当時の練習場だった京田辺グラウンドで、マンツーマンレッスンを受けたことが思い出深いという。
「練習後にボールを蹴っていたら監督が来て『おい和田、ロングボールにそんな高いボールはいらんのや。味方のヘディングに合わせるなら、ゴールバーの高さぐらい。それぐらいのボールを蹴るように練習せえ』とアドバイスをもらった。ふわりとしたボールではなく、ライナー性のボール。その後ゴールを挟んで一緒にボールを蹴ったことを覚えている。釜本さんは得点だけでなくアシストの数もすごかった。正確なキックがあったからこそトップでやられていたと思うし、すごく学ばせていただいた」。その後の自身のプレーにもつながるレジェンドとの貴重な時間を振り返り、感謝した。