68年10月 メキシコ五輪サッカーで銅メダルを獲得し帰国した釜本

日本サッカー界の「史上最高ストライカー」釜本邦茂氏が10日午前4時4分、大阪府内の病院で肺炎のため死去した。81歳だった。Jリーグが発表した。

68年メキシコ五輪で7得点を挙げ得点王に輝き銅メダルを獲得。日本代表として国際Aマッチ男子歴代1位の75得点を誇る。日本リーグ(JSL)ではヤンマーで202得点など選手兼任監督も担い、93年のJリーグ開幕時はG大阪の初代監督も務めた。日本サッカー協会(JFA)の副会長などを歴任しただけでなく、政治家としても活躍。「ガマさん」の愛称で親しまれた。

◆釜本邦茂(かまもと・くにしげ)1944年(昭19)4月15日生まれ、京都市出身。山城高から早大に進学、2年時に64年東京五輪に出場。68年メキシコ五輪では7得点を挙げ得点王となり銅メダルを獲得。日本代表国際Aマッチ通算76試合出場75得点は歴代1位。ヤンマーでは7度の日本リーグ得点王と4度の優勝、通算251試合202得点で84年に現役引退。現役時は公称179センチ、75キロだが、実際は181センチ。JリーグではG大阪の初代監督を務め、日本協会でも副会長などを歴任。政界でも95年から参議院議員を1期務めた。05年日本サッカー殿堂入り。趣味はゴルフ、時代劇鑑賞。血液型B。

情報提供元: 日刊スポーツ
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