【甲子園】「嫌だって気持ちになった時も」聖隷クリストファー“落選”払拭、困難乗り越え初勝利
<全国高校野球選手権:聖隷クリストファー5-1明秀学園日立>◇9日◇1回戦◇甲子園
春夏通じて初出場の聖隷クリストファーが3年ぶり2度目出場の明秀学園日立(茨城)を5-1で下し、甲子園初勝利を挙げた。先発のエース高部陸投手(2年)が9回4安打1失点完投。今月1日に57歳で他界した武蔵嵐山ボーイズ時代の恩師・飯野靖典さんに好投を届けた。県勢としても3年連続の初戦突破となり、夏通算90勝の節目の1勝となった。14日の2回戦は、西日本短大付(福岡)と対戦する。
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創部41年目の夏。聖隷クリストファーが新たな歴史を刻んだ。4点リードの9回2死。力のない打球が、センター河原のグラブに収まった。春夏通じて初の甲子園で初勝利。ゲーム主将を務める渋谷は「みんなで校歌を歌えた時、やってきたことは間違っていなかったと思えた」。3日の抽選会後に左腕の手術で登録を外れ、一時チームを離れた逢沢開生主将(3年)が駆けつけたアルプス席に、笑顔で勝利を報告した。
初回の攻撃。1番大島が2球目の直球を中前に運んだ。「とにかく最初に出て勢いを与えたかった」。2死三塁と好機を広げ、4番渡部哉が左中間へ適時二塁打を放った。鮮やかな先制劇で、懸念された初戦の硬さも和らぐ。9安打5得点の打線に応えるように、エース高部も4安打1失点完投と投打がかみ合った。
21年秋の東海大会で準優勝。翌年のセンバツ出場が有力視されたが、東海地区2枠でまさかの選外と憂き目にあった。昨夏も静岡大会決勝で敗戦。上村敏正監督(68)は「野球って全く面白くない、嫌だって本当にそんな気持ちになった時もあった。でもやっぱり、こういう感動を与える高校野球ってすごいのかなって。今は幸せもんだよね。本当に良くやってくれた」。昭和、平成、令和で勝利監督となった指揮官の目尻が下がった。
幾多の困難を乗り越え、つかんだ1勝。指揮官は「高部以外、個々の能力がすごい選手がいるわけじゃない。そういうチームでも勝てることを証明したかった」。勝って印象に残る“落選の聖隷”を払拭した。【前田和哉】
◆聖隷クリストファーのセンバツ選考漏れ 21年秋の東海大会で決勝に進出。日大三島(静岡)に3-6で敗れたが、22年センバツは東海地区からの選考枠が2枠で初出場が有力視されていた。しかし、選出されたのは準決勝で日大三島に5-10で敗れた大垣日大(岐阜)。選考を疑問視する声が次々と挙がり、国会でも取り上げられるなど世間で波紋が広がった。
◆上村敏正(うえむら・としまさ)1957年(昭32)5月25日、静岡県二俣町(現浜松市)生まれ。浜松商3年の75年夏に捕手で甲子園出場。早大では準硬式野球部。御殿場、母校浜松商、浜松南、掛川西で監督を歴任。17年に聖隷クリストファー監督に就任し、20年から校長兼任。
◆カタカナ校名 カタカナを含む学校の甲子園出場はコザ、聖心ウルスラ学園、クラーク、聖カタリナ学園、ノースアジア大明桜、エナジックスポーツに次いで聖隷クリストファーが7校目。過去に17年夏の聖心ウルスラ学園、21年夏のノースアジア大明桜(旧校名の秋田経大付、秋田経法大付時代にも勝利あり)、23年夏のクラーク、今年春のエナジックスポーツが勝っており、勝利は5校目。