五輪3連覇も、史上初の大技成功もつかめなかった。それでも、フィギュアスケート男子の羽生結弦(28)が2月の北京五輪で見せた勇姿は記憶に刻まれる。最後の競技会となったリンクで示したのは生きざまだった。 2014年ソチ、18年平昌の両五輪に続く頂点が厳しくなっても、北京のフリーでは渇望するクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑んだ。 昨年12月の全日本選手権は軸をつくることに重きを置く段階だった。過度の回転不足で基礎点が3回転半扱いとなり、両足着氷。約1カ月半後の北京は「絶対回り切る」との決意で臨み、高く、速く、軸もきれいな羽生らしいジャンプだったが、回転不足で転倒した。 体が壊れるような恐怖心とも闘いながら氷に倒れ、正面からぶつかってきた。挑戦とは「生きるということ」。あらゆるタイトルを手にしてもなお貫いた。王者が先頭に立ち、競技の新たな可能性の扉をたたき続けた。 北京五輪のフリー後は「今できる羽生結弦のアクセルのベストがあれかな」と思った。プロ転向を表明した7月の記者会見では「北京五輪、そして五輪前にもいろんな知見を得られたからこそ手応えがある」と語った。 「知見」は新時代の財産にもなった。9月、当時17歳のイリア・マリニン(米国)が史上初めて4回転半を成功させた。「スケートを始めた頃から、彼こそが私のインスピレーション」。羽生のジャンプも研究したという。 4回転半と向き合った日々は、次代のみならず、自身にもつながっている。7月の会見で「4回転半にもより一層取り組んで、皆さんの前で成功させられることを強く考えながら、これからも頑張っていく」と変わらぬ意欲を口にした。挑戦は終わらない。 (了) 【時事通信社】 〔写真説明〕北京冬季五輪のフィギュアスケート男子フリーで4回転半ジャンプに挑む羽生結弦=2月10日、中国・北京