バニラミルク飴


放牧された乳牛


榮太樓飴

株式会社榮太樓總本鋪(本社:中央区日本橋、代表取締役社長:細田 眞、以下「榮太樓總本鋪」)は、2016年11月8日に、当社の代表銘菓である有平糖 榮太樓飴シリーズより素材と製法にこだわった無香料・無着色の飴「バニラミルク飴」を発売いたします。

榮太樓飴は江戸時代に誕生した「梅ぼ志飴」から変わらぬ製法を守り続け、これまで黒飴、抹茶飴、紅茶飴、のど飴を販売しています。



榮太樓飴について: http://www.eitaro.com/ame/





【バニラミルク飴のこだわり】

北海道根釧地区産のコクのある生クリームと、マダガスカル産のバニラビーンズの甘く芳醇な香りを生かし、素材の良さを引き立てる低温製法で手間をかけてじっくりとこしらえました。砂糖のカラメル化した味を極力抑えることにより、生クリーム本来の風味を生かした上品なミルク飴に仕上がっております。





【北海道根釧地区とは】

根釧地区とは北海道の東に位置する、根室市と釧路市を含む一帯。夏は暑すぎず、冬は道内各地より気温が下がらない地域です。この地域で放牧された乳牛は、海霧によりミネラルが多い牧草を主とした飼料を食べており濃厚な乳が出ます。放牧に適した環境の霧深い北海道根釧地区で育った乳牛からとれる、コクのあるミルクによって作られる生クリームを使用しました。



放牧された乳牛 イメージ画像:

https://www.atpress.ne.jp/releases/115246/img_115246_2.jpg





【マダガスカル産バニラビーンズ】

マイルドで甘い香りが特徴のマダガスカル産バニラビーンズ使用。香りのたつバニラビーンズを選択することで、香料に頼ることなく、独特の風味を醸し出しました。ミルクの味を引き立てる自然なバニラビーンズにより、飽きのこない味わいに仕立てました。





【榮太樓飴とは】

江戸の庶民には高価だった有平糖(あるへいとう)をもっと気軽に…と、創意工夫から生まれた梅ぼ志飴。まだ固まりきらない紅着色の飴を鋏で切り、指でつまんだ三角の形が梅干しに似ていると、洒落好きの江戸っ子たちが「梅ぼ志飴」と名付けました。以来、有平糖の製法技術をもとに黒飴、抹茶飴、紅茶飴と続き、平成に入り、のど飴と国産果物使用、無香料・無着色のフルーツキャンディ「果汁飴」が榮太樓飴シリーズに加わりました。江戸からの製法を受け継ぎ、これからも安心して美味しく食べていただける飴づくりを続けていきます。

榮太樓飴について: http://www.eitaro.com/ame/





【榮太樓飴の年表】

●梅ぼ志飴 安政4年(1857年)

江戸安政年間に高級細工菓子の有平糖を庶民的なものにと、苦心の末創りあげました。



●黒飴 明治25年(1892年)

主原料の黒糖は、創製から沖縄県産黒糖を使用。一粒一粒にまぶした桂皮末と黒糖が醸し出す素朴な甘い風味。



●抹茶飴 昭和27年(1952年)

一粒の中に上品な甘さと、抹茶の芳香がかおる抹茶飴。純良な抹茶のもつ香りと、鮮やかな緑を損なわないように仕上げました。



●紅茶飴 昭和34年(1959年)

紅茶の葉を特別にブレンドしたセイロン紅茶を自社で抽出し、飴になったときに紅茶独特の芳香を醸し出すようにしました。



●のど飴 平成21年(2009年)百花はちみつと和種ハッカ

香り高い和種ハッカと、山田養蜂場の百花はちみつの優しい風味が溶け合い、まろやかな甘さのさわやかな飴に仕上がりました。





【榮太樓總本鋪とは】

文政元年(1818年)に細田徳兵衛が孫二人を連れて江戸に出府、「井筒屋」の屋号で菓子の製造販売を始めたもの。やがて、徳兵衛の曾孫に当たる細田安兵衛三世(幼名栄太郎)が安政四年(1857年)に日本橋のたもと西河岸町に店を構え、自身の幼名に因み「榮太樓總本鋪」と改号。その後、甘納豆の元祖「甘名納糖」や有平糖「梅ぼ志飴」、「玉だれ」などを創製しました。





【会社概要】

商号  : 株式会社榮太樓總本鋪

代表者 : 代表取締役社長 細田 眞

本社  : 〒103-0027 東京都中央区日本橋1-2-5 栄太楼ビル7F

事業内容: 和菓子製造販売

URL   : http://www.eitaro.com/
情報提供元: @Press