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(左から)織本、宇多丸、さの
宇多丸 去年の〈GO OUT CAMP〉で初めてLA SEÑASさんを拝見したんですが、演奏が凄すぎて、帰りの車の中でメンバーと「かっこよかったね」と言い合っていたんです。あのハンドサインは、オリジナルのものですか?
織本 考案したのはサンティアゴ・バスケスというアルゼンチンのミュージシャンで、日本でも2000年代に流行ったアルゼンチン音響派の中で頭角を表した方で、その方が2005年にハンドサインでリズムを構築していくマニュアルを全部作ったんです。指を4本出すと4拍子とか、フレーズの割り方を指で数えたり、100個以上のハンドサインを全部自分で作って。
宇多丸 比較的新しいんですね。それを元々のアルゼンチンのリズムや南米パーカッション文化と組み合わせたという認識でいいですか。
織本 いえ、どちらかというと、〈演奏者それぞれの持っているバックボーンを活かしながら即興的にフレーズを組み上げていく〉ということだと思います。
さの バスケスさんが日本にワークショップで来られたときにおっしゃっていたのは、「アルゼンチンには打楽器メインのトラディショナルな音楽がないからこれを作った」ということでした。
宇多丸 「ないから作った」なんだ! なるほど。
織本 だから奏者によってサウンドが違うんです。サルサ、サンバ、アフリカンとか、いろんなバックボーンを持ったパーカッショニストが集まって、その人から出てくるフレーズを指揮者がまとめ上げるので。南米やアフリカの伝統とはあまり関係ない気がします。
宇多丸 打楽器の寄せ鍋。だから、人種や民族関係なく誰でもコミットできるものなんですね、先日、RHYMESTERがブルーノートでバンド・セットのライブをやらせてもらったときに、特にリズム隊のメンバーと話したんですが、日本のポップスはメロディと歌詞が中心で、「リズムが中心になる音楽が理解される土壌があまりない」と。だからリズムが主役の音楽をやることに対して、皆さんきっと腕が鳴るというか、「ここならわかってもらえる」という感じがあったのかな?と想像するんですが。
織本 まさにその通りで、初ライブを経験したときにそれをすごく感じました。渋谷VUENOSに名もなき打楽器奏者が集まって、こんなキャパが大きいところでお客さんが来るのかな?と思っていたら、300人近く来ていただいて、1曲目が終わった後に凄い拍手喝采が起きて。終わった後も握手を求められたり、「良かったよ」という感想をたくさんいただいたりして、今まで歌の伴奏しか経験していなかったので、初めて拍手喝采とスポットライトを浴びたときの衝撃が凄くて、「これはとんでもないことになるぞ」という感覚がありました。
さの 私は初期メンバーではないんですが、LA SEÑASの2回目のワンマンを観に行って、打楽器全員に輝く場所があることに感激して、大号泣して、当時のリーダーに「入れてください!」とお願いしたんです。普段はフロントに立つことはないだけに、「これをやるために生きていたんだ」みたいな気持ちがあります。
宇多丸 さっき言ったように日本のポップ・ミュージックは今も昔もメロディや歌詞が重視されてきたと思うんですが、一方で日本の伝統的な祭りでは、実は打楽器が主役だったりもしますよね。つまり日本の大衆も古来、本当はリズム文化に生きてきたと思うし、太鼓を叩かれると血が騒ぐのは万国共通で、人間のフィジカルに埋め込まれたものだと思うんですね。また、これは私の友人のさかいゆうの言葉ですが、「21世紀になってメロディの時代が終わってリズムの時代に入った」ということの証明でもある。それはヒップホップやダンス・ミュージックが主流の世代にとってはごく普通のことで。そんなリズムの重要性が増している時代だからこそ、LA SEÑASは出るべくして出たグループという感じがします。
さの やった(笑)!
宇多丸 なぜリズム主導の音楽が増えているか?と言えば、要は音楽の打ち込み化が進んだからですが、それに対してスーパーフィジカルなのにマシーンのような正確さで演奏するという、そのせめぎ合いこそが現代的なライブ感を生み出すと僕は思っていて。LA SEÑASはそれをシステムとしてやられている、ということなんでしょうね。
織本 そう思っていただけるのは凄く嬉しいです。その上で、ハンドサイン・システムでジャンルがごちゃ混ぜにできるというのが、今の時代に合っているのかな?と思っています。様々なリズムを指揮者がコントロールして、それぞれの輝く場面を作って、かつフロアの様子も見て、お客さん巻き込んでライブを一緒に作り上げるというスタイルが。
宇多丸 しかも、全員が楽しそうなんですよ! こんなに複雑なことを、即興でやっているのにも関わらず。
さの めちゃくちゃ楽しいんですよ。ゲームをやっているみたいな感覚です。
宇多丸 超高度な音ゲーですね。
織本 それをライブでやることに意義があると思っています。目の前で起こっている現象を、音もミュージシャンの表情も全てにおいて楽しむのが大事なんですね。音楽をパソコンで見られるのが当たり前になっている時代だからこそ、ライブの価値がどんどん上がっていて、特にLA SEÑASはライブで本当に何が起こるかわからないバンドでもあるので、「俺たちはライブバンドだ」という意識でやっています。
宇多丸 打楽器はあらゆる楽器の中で、音という波を最も直接揺らすことのできる楽器。それをあれだけの人数でやっているんだから、音楽形態としてめっちゃ「強い」と思います。
織本 宇多丸さんにうかがいたかったのは、宇多丸さんは、日本にヒップホップというものが持ち込まれる黎明期からシーンを作ってきた方ですよね。僕らがやっていることもシーンの黎明期を作っていることだと思っているので、当時の状況が凄く知りたいんです。
宇多丸 えっとね、まず当時の日本では「日本語でラップする」ということに懐疑的な人が大半の時代だったんですよ。今の人はたぶん信じられないだろうし、一体何の話をしているの?という感じかもしれないけど、「日本語でリズミカルに、英語のようなかっこいいラップはできない」とされていた段階なので。ライブに関しても、最初のうちはライブハウスでしかできなかったんです。当時のクラブは暗黙のルールとして「日本語の曲をかけちゃいけない」空間だったので。
織本 そうだったんですね。
宇多丸 クラブに来るのは主に洋楽リスナーで、「日本語の曲を聴きたくない」人が来る場所だったので。そういう人たちを含めて、日本人が心のどこかで日本語や日本の文化に対して思っている「世界に通用するものじゃない」「カッコ悪い」という偏見や思い込みを崩すところから始めるという、これがなかなか容易なことではなかったですね。そしてLA SEÑASが今やっていることと違うのは、ヒップホップはアメリカに本場がある文化だから、その本質を曲げずに日本に馴染むようにすることが重要で。曲げることはいくらでもできるんですけど、それだとただの消費になっちゃうので。「ヒップホップとはどういう文化なのか」を踏まえた上で、自分たちなりにどうするか?という小難しいプロセスを経ないと、僕らの世代は難しかったんです。でもそれがある程度こなれてきて、「かっこいいじゃん」というものが増えてくると、次の世代にはそれが当たり前になっていく。
さの そうですね。
宇多丸 即興のラップも、当初は日本語では無理だと思われていたんです。英語とは構造が違うからとかいろいろ理由はあったと思うけど、「いや、やってみないとわかんないじゃないですか」という感じで、僕の後輩にあたるMELLOW YELLOWのKINちゃんという人が、コミュニケーションの手段としての完全即興ラップというものを、日本語で初めてステージ上でやってみせた。今振り返れば、俺たちも含めて技術的に上手くはなかったけど、数年後にはKREVAみたいな人たちが、最初からフリースタイルのラップを体得している世代として登場してくる。それにはやっぱり年数がかかるんです。しかも、ヒップホップ・カルチャーの本質をまず日本人にわかってもらわないと、表面的な流行りで済まされちゃうから、僕は音楽ライターとしての活動を通して啓蒙もしつつ、土壌を耕すことに何年もかけた、というところでしょうか。と言っても、今思えば10年ぐらいでしたね。だからLA SEÑASがやっていることも、何年か経てばだいぶ状況が変わってくる可能性は高いですよ。
織本 すごいですね…そんな歴史があったとは。
宇多丸 LA SEÑASがやっていることも、ヒップホップも、クロス・カルチャーなんですよね。ヒップホップはアメリカが本場という意識が非常に強いですけど、今は世界中どこでもローカルなシーンがありますし、元々何でも飲み込むカルチャーで、その土地なりのスタイルが花開く要素は最初からあったとも言える。それはハンドサインを考案された方のビジョンにも近い気がしますね。だいたいパイオニアの人ほど、世界中に広がるのは最高だと思っていて、「俺たちの文化だから真似するな」とは言わないことが多い。そうじゃなきゃそもそも広まらないし。
織本 そうですね。
宇多丸 ただラップは言語の要素が大きいので、そこが最大の壁であり、面白さでもあるとは言えるかもしれません。でも近いところにいると思いますよ。「アルゼンチンにリズム文化がないからやった」というのと、「日本語のラップがないからやる」というのは考え方として同じだなと思います。よくMummy-Dと言っているのは、「俺たち、アメリカにいたらラップしてないかも」と。
織本&さの ああー。
宇多丸 もしくは、今みたいに日本語ラップが普通になっている状態でやろうと思ったか?というと、「ちょっと別問題だね」と。やっていたかもしれないけど、やろうとすることがちょっと変わったかもしれない。「何もないから面白かった」というところはあるかもしれないです。
織本 そもそも、誰を見てラップを始めようと思ったんですか。
宇多丸 僕がティーンエイジャーの頃に、ランDMCが世界的にめちゃくちゃ人気が出たんです。その前からヒップホップ・カルチャーは知られてたけど、日本ではブレイクダンスのほうが人気だったし、ラッパーはあまり注目されていなかった。そこにランDMCがブレイクして「ラッパーがかっこいいんだ」ということになり。リアルタイムでいとうせいこうさん、近田春夫さん、藤原ヒロシさん、高木完さんといった、10代の僕のカルチャー・ヒーローたちが一斉にヒップホップに注目しはじめた。完ちゃんやヒロシさんみたいに、ロンドン・カルチャーを体現していた人たちが突然「これからはヒップホップでしょ」ということになって、いとうさんや近田さんがそれを理屈で解説してくれたんです。ものすごいフカシも込みで(笑)。僕は理屈で納得したいタイプなので、「なるほど。これからはヒップホップだ」と。それが1986年とかですね。この間もいとうさんとお仕事したときに、「あの頃言っていた通りの世の中に、40数年後になりましたね」と言ったら、「そうだろう?」って得意げにおっしゃっていましたけど。「でも、当たったから良かったけど、外れてたらどうしてくれるんですか!」って(笑)。
さの ですよね(笑)。
宇多丸 だから、そういうパイオニアたちが切り拓いてくれたところはあるんですけど、彼らはその前からすでにサブカルチャー界の大物だったので、やはり僕らとかスチャダラパーとかの世代が、「ヒップホップがスタートライン」の最初の世代、ということになる思います。たぶんそれがなければ、人前に立って何かやりたいとは思わなかったんじゃないかな。
織本 僕たちも、パイオニアのつもりでやり続けたいと思います。
宇多丸 そうすると、「打楽器かっこいい」という人がまず増えますよね。リズム系楽器を演奏する人は昔よりも増えているはずだし、昔はドラマーは脇役みたいな扱いだったけど、「いやいや、ドラムが一番重要でしょう」と。特にこの時代のヒップホップ以降の感覚として、グルーヴがわかっているかどうかはめちゃくちゃ重要なので、クエストラヴ(ザ・ルーツ)とかの影響もあって、「こっちが主役でしょ」というのはあると思います。
宇多丸 去年、同じ日に出させていただいた〈GO OUT CAMP〉では、LA SEÑASがトリだったじゃないですか。ヨイショするわけじゃないけど、LA SEÑASをトリに持ってくる〈GO OUT CAMP〉はなかなかの慧眼だなと思いました。
織本 最初にトリだと聞かされたときは、絶対間違えてると思いました(笑)。RHYMESTERさん、SPECIAL OTHERSさん、在日ファンクさんたちがいる中で。
宇多丸 でも実際に演奏を見ると、「これより後に出るのはちょっと……」と思いましたよ。全然タイプは違うけれど、スカパラが世界中どこへ行ってもアゲちゃうのとも通じるかもしれない。スカも何でも乗っけられるタイプの音楽だし、ラセーニャスの打楽器もフェスのトリに向いているなと思いました。
織本 フェスにはいろんなジャンルの方たちが集まっていて、いろんな音楽を一気に楽しめるじゃないですか。いろんな天気とロケーション、フェス飯があったり、非日常の体験ができて、それが音楽で彩られる。人間が生きる上で本来必要とされていたお祭りだと思います。祭りがあることによって日常生活を頑張れるという、脈々と続く文化の一つがフェスだと思っているので、お客さんが全力で羽目を外せるように僕ら全力で演奏するし、お客さんも周りの目を気にせずに一緒に楽しんでもらいたいという気持ちです。
さの フェスは、初めての人に見てもらえるのがめちゃくちゃ嬉しいです。見てもらえたら、勝ちだと思っているので。
織本 あの日、僕が一番嬉しかったのは、雨が降って霧も出ていたのに、僕らのライブの2曲目ぐらいでカッパを着た親子が走ってきたんですよ。たぶん遠くで音が聴こえたんだと思うんですけど、走って観に来てくれて、気づいたらどんどん人が集まってきて。
さの 演奏が始まってから集まってきてくれたのが嬉しかったよね。曲を知ってるとか知ってないとか、全く関係ないのも私たちの強みかもしれない。
宇多丸 今後、LA SEÑASのトリを〈GO OUT CAMP〉の定番にしたほうがいいと思いますよ。ほかのフェスも真似しちゃうと思うから、〈GO OUT CAMP〉は、取られちゃう前にがっちりキープしておかないと。
織本 めちゃくちゃ嬉しいです。
宇多丸 その上で勝手なことを言わせてもらえば、次にもし同じ日に出ることになったら、ラップで一瞬出させてもらうとか、やらせてもらいたいですね。僕らは即興を融通無碍にできるタイプじゃないですけど、生バンドとのセッションを臨機応変にやっていくことはむしろ誰よりもたくさんやってきましたし、アゲという意味では若い者には負けませんので。
織本 ぜひご一緒させていただきたいです。
さの 光栄です。
宇多丸 LA SEÑASは今後、作品リリースの予定はありますか?
織本 セカンド・アルバム『熱狂は全てを超えて』を3月5日にリリースします。ファーストにはなかったガムラン要素や、サイケ・トランスかというぐらいBPMの速い曲や、ミニマル・ミュージックっぽい曲もあれば、原点に帰ったようなストレートな曲もあって、僕らなりの挑戦を詰め込みました。『熱狂は全てを超えて』というタイトルは、熱狂こそがあらゆる壁も人種も言葉も全てを超えるという意味で付けたので、ぜひたくさんの人に聴いてほしいです。
宇多丸 僕の宣伝としては、まずMummy-Dが昨年リリースしたソロ・アルバム『Bars of My Life』と現在開催中のソロ・ツアーをよろしくお願いします。そのあとに、RHYMESTERもいいかげん重たい腰を上げることになろうかと思います。私個人としては、『ドキュメンタリーで知るせかい』(リトルモア)という本をもう1年以上作っていて。〈アジアンドキュメンタリーズ〉というサイトで配信されている世界のドキュメンタリー映画を通じて見える、その土地のいろんな問題や状況について伴野智さん(アジアンドキュメンタリーズ代表)と対談している、ちょっと変わった角度の映画本です。〈社会問題〉という大文字の言葉だけではわからない、人間というものが直で伝わる作品たちばかりなので、それについて私が入口になって、〈社会問題とは別に難しいことじゃなくて、人間がそこにいるということなんです〉というのが伝わるような本になればいいなと思っています。作りながら自分も勉強していたので、時間がかかってしまいましたけど、春までにはなんとか出したいと思っております。そしてTBSラジオ〈アフター6ジャンクション2〉もやっているので、聴いていただければ。TBSの第6スタジオというところで毎週木曜日に生ライブをやっていて、LA SEÑASにもぜひ出ていただきたいんですが、狭いスタジオに何人入れるか(笑)。最少で、何人で行けますか?
さの 7人ですかね。
織本 ぜひ呼んでください。今日は本当にありがとうございました。お話できてとても嬉しかったです。
宇多丸 こちらこそ。ありがとうございました。
宇多丸
1989年結成、93年デビュー、ご存じキング・オブ・ステージことRHYMESTERのラッパー。またTBSラジオをメインに活躍する、ギャラクシー賞受賞・ラジオパーソナリティ。日本のヒップホップの黎明期から発展期までの全てを知る重鎮でありつつ、サブカルチャーへの豊富な知識を生かしたトークと執筆活動でインフルエンサーとして多方面でリスペクトを受けている。TBSラジオ「アフター6ジャンクション2」(月~木22時-)などレギュラー多数。
RHYMESTER オフィシャルサイト
LA SEÑAS
2016年結成、総勢30名以上に及ぶパーカッショニストのみで構成された熱狂打楽器集団。アルゼンチン発祥の「リズム・ウィズ・サインズ」と呼ばれる100種類以上のハンドサインを駆使したダイナミックな演奏は圧巻で、各地のフェスやテレビ出演などで大きな反響を巻き起こしている。二代目の現リーダー・織本卓、さのみきひとを始めメンバー全員がソロ活動や伴奏でも活躍中。
LA SEÑAS オフィシャルサイト
Photo:Taizo Shukuri
The post キングオブステージと熱狂打楽器集団が初対談! 宇多丸とLA SEÑAS(ラセーニャス)が語った、独創的な音楽が生まれる理由【GO OUT MUSIC FILE vol.1】 first appeared on GO OUT.