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ジャーナリストの岸田雪子氏が子育て周辺の課題を考える連載「岸田雪子のBloom Room」。笑顔の“つぼみ”を花開かせる小部屋です。今回は「毒親」について。
「毒親」って、岸田さんはどう思いますか?―――
編集部の方に尋ねられ、考え込んでしまいました。
「毒親」……強い言葉です。定義は様々ですが「子どもの自立を妨げ、コントロールをやめられない親」と考えてみます。虐待、ネグレクトも当然含まれ、「産まなければよかった」といった不用意な暴言や、行き過ぎた干渉も含まれるでしょう。
とはいえ、誠実に子育てに向き合う親御さんが「私も毒親なのでは…」と悩み過ぎないでほしいと思います。子育ては誰にとっても、失敗と学びの連続だからです。
その上で、私がかつて出会った、ひとりの女性のお話をしたいと思います。
彼女は家庭で虐待を受けて育ち、自殺未遂を繰り返す厳しい子ども時代を過ごしました。今は自立し、自身も母親となっているのですが、彼女が過去を振り返りながら口にしたのが、「すべての親にリスクはあるんじゃないかな」という言葉でした。
その言葉に、私は納得する思いがしました。これまでいくつも虐待事案を取材してきましたが、加害者となる親たちが抱える問題には、「彼らは特殊な人格の持ち主だから」と、遠ざけるだけでは片付けられないものがあると感じていたからです。
誰の中にも、濃淡はあれど「毒」と呼べるものがあるのかもしれません。それは、暴走する利己の感情、と言ってもよく、本人は無自覚なこともあるでしょう。親が厳しい環境に置かれたときほど、他人の目の届かない家庭の中で、弱い立場の子どもに向かってしまう。それによって、支配欲や有能感が満たされる傾向もあると思います。
親が自分の中の、その「毒」…一種の「怪物」を穏やかに飼い慣らすためには、まずその存在を認識すること。そして、「子どもは親とは別の人格を持った、自立した個人だ」という、実はとてもシンプルな考えの癖を、身につけることが大切なのだと思います。
子どもは「命を守られ成長する権利」や「自分の意見を表明することができる権利」、いわゆる人権を持った存在なのだということを、忘れずにいることです。
人間の子育ては哺乳類の中でも特に長期間に及び、互いの人生に大きな影響を与え合いますが、あくまでその親子時間は、「子どもの自立のための助走」に過ぎないのです。
一方で、「怪物」が暴走しやすい環境、というものも、あるように思います。
子育ては家庭で、というプレッシャーの強い日本では、家庭は孤立しがちです。さらに「良い親であるべし」というプレッシャーも根強くあるため、孤独や焦り、自己犠牲の積み重ねの中で、親は子どもを通して生きがいを見出したり、自己実現を図ろうとしてしまいやすい状況が日本社会にあるように思います。
子どもに依存しない、パートナーや政治行政による親へのサポートが、暴走を防ぐ手立てとなるはずです。
先に紹介した虐待被害経験のある女性は、「負の連鎖を自分で終わらせたい」と、自ら児童相談所に通い、子どもとの向き合い方のトレーニングを受けていると話してくれました。
我が子との向き合い方は、誰にとっても簡単ではないもの。親への行政サポートは、広く誰にでも受けられるものであってほしいと願わずにはいられません。
親の不適切な養育は、子どもの育ちに長く、大きな影響を与えます。
もしも、あなたが一人の子どもとして、「毒親」の影響に苦しんでいるのなら、親と距離を取ることに躊躇はいりません。親子は別人格であり、あなたは何も悪くないのだと、ご自分を認めてあげてほしいと思います。
「毒親」という言葉は、親の執着に苦しんだ全ての子どもたちが、親と自身を切り離すときにこそ、必要とされる概念なのだと思うのです。
岸田雪子さんは、子育てと介護のダブルケアの日常を綴ったブログも更新しています。
興味のある方は、是非ご覧になってみてください。
>>https://ameblo.jp/yukik042