“ヨンク”ブームが隆盛を極めた1990年代初頭の日本の自動車市場。ロデオ・ビッグホーンの発売によってSUVの先駆ブランドとなったいすゞ自動車は、1991年になると次世代のSUVとなる2代目ビッグホーンを市場に放った――。今回は“Have a Nice Way”のキャッチを謳って登場した第2世代の「オオツノヒツジ=BIGHORN」の話題で一席。



 





 【Vol.115 2代目 いすゞ・ビッグホーン】





日本のスポーツユーティリティビークル(SUV)の元祖的な存在となるロデオ・ビッグホーンを1981年にデビューさせ、ビッグホーンの単独ネームに切り替わった後も乗用タイプのワゴンやイルムシャー仕様、スペシャルエディション・バイ・ロータス仕様などの魅力的なモデルを相次いでリリースしたいすゞ自動車。その地道な努力は三菱パジェロやトヨタ・ハイラックス・サーフなどのライバル車とともにSUVカテゴリーの発展につながり、1980年代末には“ヨンク(4輪駆動)”ブームというクルマの新しいムーブメントを巻き起こした。



 



 



■“ヨンク”ブームの最中での次世代型の開発



 





日本のヨンク・ブームをさらに成長させ、しかもライバル車をリードする新たなSUVを生み出さなくては――。日本のSUVの先駆メーカーを自負するいすゞ自動車のスタッフは、そんな気概で次世代型のビッグホーンの企画に鋭意取り組む。開発陣がまず机上にあげたのは、クルマの基本となるボディサイズだった。既存モデル以上に上質で、快適性の高い室内空間に仕立てるためには……。最終的に開発陣は、オーバーフェンダーなしで3ナンバーの専用ボディにする方針を打ち出す。またエクステリアに関しては、当時のデザイナーによると「既存のSUVにはなかった、端正で上品なスタイリング」を目指したそうだ。



 









搭載エンジンは新開発の6VD1型3165cc・V型6気筒DOHC24Vガソリン(200ps)と4JG2型3059cc直列4気筒OHVインタークーラー付ディーゼルターボ(125ps)を設定し、駆動システムにはオーソドックスなパートタイム式を採用する。基本骨格はラダー状フレームに、ラバーを介してボディシェルをマウントするフルフレーム構造。シャシーはフロントがダブルウイッシュボーン/トーションバースプリングで、リアが4リンク/コイルスプリングという形式だったが、横方向の位置決めにパナールロッドを用いず、デフの上にセンターAアームを追加するという凝った手法を取り入れた。また、既存モデルと同様にロータス社とイルムシャー社に足回りのチューニングを依頼。ロータス仕様は標準モデルよりバネ定数を上げてスタビライザー径をやや細くし、一方でイルムシャー仕様はバネ定数をロータス仕様よりもさらに上げたうえにスタビライザー径もシリーズ中、最も太いサイズとした。組み合わせるタイヤは全車とも245/70R16サイズ。当時はSUVのタイヤは太いほうがカッコいいと言われ、ライバル車はこぞって265サイズを装着していたが、いすゞの開発陣は「無用な振動やノイズは極力減らしたかった」という理由でやや細めの245サイズを選択した。



 



 



■“SUVスペシャリスト”の旗艦モデルに位置



 





2代目となるビッグホーンは、まずロングボディ(2/3/2名の7名乗り。全長4660×全幅1745×全高1840mm/ホイールベース2760mm)が1991年12月に登場し、翌’92年3月からはショートボディ(2/3名の5名乗り。全長4230×全幅1745×全高1835mm/ホイールベース2330mm)が発売される。車種展開はロングボディが上級仕様のハンドリング・バイ・ロータス、スポーティモデルのイルムシャー、標準グレードのベーシックという3タイプを設定。ショートボディはイルムシャーRS、イルムシャー、ベーシックの3タイプをラインアップした。





新しいビッグホーンは内装も凝っていた。インパネはシンプルで機能性の高いデザインが訴求点。空調やヘッドライトなどの主要スイッチは、手袋をしたままでも操作できるようにダイヤル式にまとめる。また、ハンドリング・バイ・ロータスにはMOMO製の3本スポーク本革巻きステアリングや綾織りの上質なシート表地を、イルムシャーにはMOMO製の4本スポーク本革巻きステアリングやレカロ製フロントシートなどを標準で装備していた。



 





端正なルックスにシックかつ上質な室内、しかも3タイプのキャラクターを選択できた2代目ビッグホーンは、ライバル車のパジェロやハイラックス・サーフには及ばないものの、堅調な販売台数を記録し続ける。識者からは「押し出しの強いSUVが多い中、サルーン感覚で乗れる上質な1台」と高く評価された。





2代目ビッグホーンが注目を集める一方、いすゞ自動車は1992年に重大な方針転換を打ち出す。乗用車の自社開発および生産の中止を決定し、マスコミに発表したのだ。この決断には「GMの下請けのような乗用車の開発には意味がないし、日本市場の志向に合わせたクルマも造りづらい」という現場の意見も含まれていた。これ以後いすゞは、一般ユーザーに対してビッグホーンやミューを中心とした“SUVスペシャリスト”を標榜するようになる。



 



 



■熟成に次ぐ熟成を重ねて進化を果たす



 





1台のモデルを長く造り続け、各部を熟成させて完成度を高めていくいすゞ自動車の方策は、2代目ビッグホーンでも明確に貫かれていく。1993年10月にはいち早くPM(粒子状物質)規制を克服した改良版ディーゼルエンジンを搭載し、同時に最上級仕様のロータスSEと従来のベーシックに代わるLSグレードを設定する。1995年6月にはビッグマイナーチェンジを敢行。内外装の一部変更のほか、4JG2エンジンへの電子制御燃料噴射ポンプの装着(最高出力は135psに向上)、走行中に2WDと4WDの切り替えができる“シフトオンザフライ”の導入、電子制御式トルクスプリット4WDの“TOD”(トルクオンディマンド)の採用などを実施した。また、オーバーフェンダーを装着して全幅を1835mmとしたXSプレジールという新グレードもラインアップに加える。さらに1998年3月になると、2度目のビッグマイナーチェンジを敢行。最大の注目点は搭載エンジンの変更で、ディーゼルはコモンレール式直噴“Dd”の4JX1型2999cc直列4気筒DOHC16Vターボ(160ps)に換装。ガソリンユニットも6VE1型3494cc・V型6気筒DOHC24V(230ps)に一新された。





2001年にはガソリンエンジン用ECUの高性能化やディーゼルエンジンの排出ガスのさらなるクリーン化などを果たした2代目ビッグホーンだったが、結果的にこれが最後の改良となった。いすゞ自動車は2002年に入ると日本市場でのSUVの生産中止を決定し、ビッグホーンの寿命もついに尽きることとなったのである。


情報提供元: citrus
記事名:「 いま見ても「端正で上品」──“SUVスペシャリスト”が手がけた上質な一台【中年名車図鑑|2代目 いすゞ・ビッグホーン】