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日本女性のあいだで下着が一般化したのはいつごろなの? 今日はそんな話をしてみましょう。
じつは、日本男児には古くから褌(ふんどし)を着用する習慣があったのに反し、大和撫子が本格的に下着を着用するようになったのは、意外とつい最近のことで、そのきっかけは「火事」なのだそう。
1932年12月16日(昭和7年)、東京日本橋にあった白木屋(しろきや)百貨店で火災が発生。火はあっという間に燃え上がり、14人の死者を出す大惨事に。しかも、犠牲者の多くは若い女性、それも和装をした女性店員だったと言います。
なんとか屋上へと逃れた女性店員たちは、屋上から下ろされた救命ロープを使って“脱出”を試みました。ところが、下からは股間部分が見えるほどに裾がめくれてしまう熱風が吹き上がり……。さらには、“現場”のすぐ真下は野次馬だらけで、ついつい裾の乱れを直そうとした彼女たちが、思わずロープを握る手を緩めた瞬間、次々と落下してしまったんだとか……。当時の女性店員たちはほとんどが和服姿で、ズロース(=パンティ)をはかずに腰巻きをつけていただけだったため、こういう信じられない悲劇が生まれてしまったわけです。
おそらく、女性の貞操観念も現在とは比べものにならないくらいに強かったのでしょう。この事件は、昭和初期の世間にもかなりの衝撃を与え、新聞も軒並み「下着着用の必要性」を、大々的に訴えました。それが功を奏して、白木屋でも翌年には食堂勤務者以外の女性店員に洋服着用を義務づけ、半期ごとに洋服着用の補助金10円を支給するように……こうして女性の下着は、次第に日本でも浸透していきました。家庭用ビデオデッキが、また21世紀になってからはインターネットが、VRが……じつはアダルト関連のソフトを媒介として一気に普及してきたのと同様、“シモの問題”は、その切実すぎる事情からなのか、爆発的なトレンドを導く力があるのかもしれません。
それにしても、ここ近年は「隠すため」どころか、よりセクシーやエロティックを引き立てようとするカラフルで際どいモノから、ボディラインを矯正したり、積極的に殿方へと見せるためのモノまで……女性の下着もさまざまな用途をもって、日々“進化”しています。あのころの女性が今の下着を目の当たりにすれば、いったいどういった反応を示すのか……興味津々ではありますが、おそらく着用の方法すらわからず、ハンケチかなにかと間違えてしまうのではないでしょうか(笑)?
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