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国内累計発行部数が1億2000万部以上という、驚異的な記録を打ち立てているスポーツマンガの金字塔『スラムダンク』。不良だった赤髪のバスケ初心者・桜木花道が、湘北高校バスケットボール部に入部し、強豪校のライバルらと対戦しながらメキメキと頭角を現していく物語に、多くのファンが魅了されたものです。
さて、そんな『スラムダンク』が連載終了したのが1996年ですが、その8年後である2004年、作者の井上雄彦先生によって、“最終回のその後”が描かれたことをご存知でしょうか? 『スラムダンク一億冊感謝記念・ファイナルイベント』にて、当時使われていなかったとある高校の黒板に、井上先生が描いたのは「あれから10日後-」。そう、人気キャラたちの最終回の10日後をショートストーリー化していたのです…!
今回は「あれから10日後-」のなかで描かれた、湘北高校の1年生エース・流川楓と、“高校バスケ界の頂点に君臨する高校”と呼ばれる山王工業高校の2年生エース・沢北栄治の、両校のエースエピソードにフィーチャーします。
■流川は日本で地道に勉強し、沢北は不安な英語力のまま渡米
「あれから10日後-」での流川楓のシーンは、午前8時の自主練終了後から始まります。
「ふしゅーーーーっ」と一息ついた流川は自転車に乗り、学校へ。颯爽と自転車で走る彼の耳にはイヤホンが付いており、そこから流れるのは「Lesson1 Repeart after me」「Yo、what's up man?」という英会話レッスンの音声。流川は近い将来、アメリカに渡るときのために英語スキルを身に付けようと努力していたのです。
一方の沢北は…機上の人! 彼は湘北VS山王の試合中に流川に予告していたとおり、アメリカに渡っているところでした。そんな沢北、座席でドキドキしながら読んでいるのは『よくわかる英会話』という本。本を読みながら「Yes,I do!」などと小声で発声しています。
そんな沢北に、外国人CAさんが「Would you like some wine?(ワインはいかがですか?)」と話しかけるのですが、キョドった沢北はおそらく意味もわからず、「イ!? イエス アイドゥ」と答えてしまうのでした。
次のシーンで沢北は、頬を赤くしながら「何かよくわからんうちに酔った…」と言っていましたので、運ばれてきたワインをブドウジュースなんかと間違えて、飲んでしまったのかも…!?
さて、両校のエースがそれぞれアメリカを目指して英語を勉強しているというエピソード。特に沢北は、英語力がほとんど備わっていない状態でアメリカに発った様子がギャグタッチで描かれていました。
■安西先生が目を掛けていた矢沢の挫折…沢北の挫折を暗示?
ここからは筆者の考察です。沢北のエピソードをあえて深読みすると、“沢北はアメリカでは成功しない”ことを、作者の井上先生が暗示しているのでは…と穿った見方ができてしまうのです。
その論拠は本編のオリジナル版22巻の、安西先生の過去エピソードにあります。安西先生がまだ “白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)”の異名で大学チームのスパルタコーチをしていた当時、目を掛けていた矢沢という選手がいました。ただ、矢沢は安西先生の厳しい指導に嫌気がさしたこともあり、安西先生に相談することなくアメリカに留学してしまうのです。
それから1年後、その矢沢がアメリカの大学チームでプレイする映像を見た安西先生は、心の中でこう呟きます。
「まるで成長していない………」
「誰か矢沢に基礎を教える人間はいるのか…?」
「あいつ英語はどうなんだ? チームメイトとうまくコミュニケートできていないようだ」
…………と。
結局、この矢沢という選手は大学のバスケ部に顔を出さなくなり、渡米から5年後に交通事故で死んでしまうのです。その死亡を報じた新聞には、「米で邦人留学生激突死 120キロの暴走、薬物反応も?」の見出しが付けられていました。
英語力が不十分なままアメリカ留学し、チーム内でコミュニケーションが取れなかったことも原因のひとつとなりアメリカで大成せず、挫折してバスケから離れ、自暴自棄になっていただろうことが伺えるエピソード。
山王の絶対的エースだった沢北が、アメリカで成功できたかどうかは誰にもわかりません。ただ、安西先生が目を掛けていた矢沢のアメリカ留学が、失敗したことが描かれていただけに、沢北が矢沢と同じようにアメリカで壁(語学力を含めた壁)にぶつかってしまう可能性があるのも事実。
安西先生が矢沢以上の才能を見い出していた流川は、日本で地道に英語の勉強をしていました。このことから流川は、ある程度の英語力を備えてから渡米することが考えられ、矢沢と同じ過ちは繰り返さないということを井上先生は暗示していたのかも…。
これらはあくまで筆者の考察ですが、22巻の矢沢のエピソードを踏まえると、「あれから10日後-」の湘北・流川と山王・沢北の英語に向き合う姿の対比が、とても印象的だったことは間違いありません。