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伊豆半島は静岡県に属し、神奈川県との県境から太平洋に向かって伸びている半島 です。南北60km、東西40kmの広さの中に13の市町で構成されています。
半島の東側は相模灘、西側には駿河湾があり、最南端の石廊崎からは広大な太平洋を望みます。
近年では東京都心から近く、交通網の発達によってアクセスしやすい、温暖な気候で冬でも比較的暖かい、さらに豊富な温泉が湧出することで、半島各地に多くのホテル・旅館や別荘、観光施設が立ち並ぶ、 全国でも屈指の人気観光地 として発展しています。
伊豆半島は現在は静岡県に所属していますが。 明治以前は「伊豆国」として東海道の1国 でした。
また 畿内(関西)から遠い伊豆国は律令時代には流刑の地 でもありました。
鎌倉時代の12世紀末には源頼朝が伊豆中央部にある蛭ヶ小島へ流刑で流され、同じく鎌倉時代には幕府に批判的だった日蓮宗の開祖である日蓮が流刑で伊豆に流されてます。
室町時代には鎌倉幕府と室町幕府の対立の前線となり、室町方の足利政知は鎌倉に入れずに韮山町に留まって堀越公方と呼ばれました。戦国時代には北条早雲が足利氏を滅ぼしたのちに後北条氏が支配し、その後は徳川家康が支配し、江戸時代には天領となり、韮山に代官所が置かれました。
明治以降は廃藩置県で韮山県、足柄県と変遷した後に静岡県の一部に編入されて現在に至っています。
起雲閣は熱海市にある建造物で、 1919年に別荘として築かれて「熱海の三大別荘」と称賛された名邸 です。1947年には旅館として生まれ変わり、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治など日本を代表する多くの文豪たちにも愛されてきました。
2000年に熱海市が取得し、現在は文化と観光の拠点として一般公開されています。
見どころは大正時代を偲ぶ建築物で、伝統的な和風建築の和館と離れ、日本・中国・欧州の装飾や様式を融合させた独特の雰囲気の洋館では、ローマ風浴室やアールデコデザインを基調にしたサンルームなどを見学することができます。
また三千坪の敷地内には緑豊かな庭園があり、ここが市街地の中にあることを忘れるほど静かな雰囲気を味わうことができます。
東海館は伊東市にある 木造3階建ての温泉旅館 で、伊東温泉の中心部に位置しています。当時の地元材木商により東海道線が熱海駅まで開通した 昭和3年に建てられました。 その後伊東線開通によって、湯治客から団体客への客層の変化に合わせて館内を増築していきました。
1949年に完成した望楼は周辺が低層建物だったため、眺望がすばらしく天城山が良く見えたといわれています。
平成9年に温泉旅館としては廃業してしまいましたが、伊東市に寄贈されて平成13年より観光施設となり、現在は自由に見学をすることができますよ。
形や木目の美しい質の良い木材、客室の飾り窓、床柱や彫刻、客室や大広間のデザイン、昔ながらの照明器具などが見どころで昭和初期にタイムスリップした気分になります。
https://itospa.com/spot/detail_52002.html
江川邸は伊豆の国市内の国指定史跡「韮山役所跡」の中にある建物で、 代々江戸幕府の代官を務めた江川家の武家屋敷 です。 国の重要文化財にも指定されている建造物 です。
主屋は1600年ごろに建てられた単層入母屋造りの建物で、土間から天井を見上げると柱や梁が縦横に組み合わされた 「小屋組み」 と呼ばれる幾何学的な屋根裏の木組みを見ることができます。
この小屋組みの構造が免震構造になって地震の揺れを吸収するため、江川邸は400年間大きな地震に耐えてきました。
天井の最上部には約800年前に日蓮聖人によって書かれた 「火伏せのお札」 と呼ばれる日蓮宗の曼陀羅が収まっており、これまで一度も火災に遭っていない縁起の良い家でもあります。そのため屋内には貴重な文具類・書画・武具などの品々が残っていて、一部は屋内に展示されています。
また36代当主の江川太郎左衛門英龍は名代官として知られ、数々の功績を残しましたが、その中で兵士の携帯食としていち早くパンの製造を取り入れており、美しい庭園の中に 「パン祖の碑」 を見ることができます。
新井旅館は伊豆市にある修善寺温泉の中心部にあり、 現在も宿泊営業を行っている純日本旅館 です。創業は明治5年で約150年に渡り多くの文人墨客が訪れて創作の場ともなってきました。
温泉街を流れる修善寺川に沿って建つ木造建築は、歴史的な価値が認められて ほぼ全棟の建物が国の有形文化財に登録されています。 その中でも昭和6年から3年の歳月をかけて、 天平時代の建築を模した「天平大浴堂」は総檜造りで国内随一のもの です。
その他にも、修善寺温泉街のどこからも見ることができ、 新井旅館のシンボルともいえる「青州棟」 や、 木造3階建で平等院鳳凰堂を模したといわれている美しい造りをした「月の棟」 などの15棟の純和風の建物を見学することができます。
建物の外では錦鯉が舞う池、樹齢千年の欅の大木、野趣あふれる庭園など季節の彩りを感じることができ、旬の料理も楽しむことができる、まさに美しい日本の宿です。
国の登録有形文化財に宿泊できるという貴重な体験ができるのも魅力の一つです。
※館内をガイドツアーで見学することができますが、現在は宿泊者のみのご案内となります。
旧天城トンネルは 伊豆市と河津町を結ぶ国道414号線(現在は旧道)のトンネルで、1905年(明治38年)に開通しました。 正式名は 「天城山隧道」 と呼びます。
全長は445.5m、トンネルの壁面や入口アーチなどがすべて切り石で造られており、 現存する石造りトンネルでは国内最長のもの です。
天城トンネルは川端康成の「伊豆の踊子」、松本清張の「天城越え」などの小説や、石川さゆりさんが歌う「天城越え」にも「天城隧道」の名前で登場するので、多くの人々に知られているトンネルです。
1998年に国の登録有形文化財に登録され、2001年には道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されました。また2015年には「文化の道100選」にも選ばれています。
天城の原生林の中にあるトンネル周囲は苔むしてひっそりと佇んでおり、中に入るとひんやりと冷たく、昔の雰囲気がそのまま残っているように感じることができます。
https://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?pid=2481
https://kankou.town.kawazu.shizuoka.jp/attraction/471/
安直楼(あんちょくろう)は、下田市にある歴史的建造物で、アメリカ総領事館ハリスのもとへ方向に出されてから波乱の人生を送ったことで有名な 「唐人お吉」が1882年(明治15年)、42歳の時に開いた小料理屋 です。下田を代表する観光スポットであるペリーロードに近く、 なまこ壁が映える明治期を象徴する美しい建物 です。小料理屋はわずか2年で廃業しましたが、その後も主を替えながら寿司屋として90年代まで長く営業していました。
現在は屋内の見学できませんが、毎年3月の「お吉祭り」と5月の「黒船祭」の際には一般公開され中を見学することができます。外観のみいつでも見学が可能です。
下田を代表する人物である唐人お吉が料亭を営んでいた建物で、その時代の風情を残している佇まいは、幕末時代の下田の情緒を感じることができます。
https://tguide.jp/ja/spot/1137
岩科学校は賀茂郡松崎町にある 明治時代に完成したなまこ壁と社寺風建築の学校だった建物 です。
伊豆地区最古の学校建築物 で、南伊豆の伝統的であるなまこ壁と、西洋建築様式を取り入れた造りは、木造建築の傑作として知られています。
建物の正面玄関に掲げられた岩科学校の扁額は、当時の太政大臣・三条実美の書で、その上にある龍の彫り物は入江長八が棟梁ののみを借りて彫ったと伝えられています。
洋風デザインの建物は、甲府の旧睦沢学校、松本の旧開智学校に次ぐ古い建物として知られ、 昭和50年に国の重要文化財に指定 されました。
https://www.izu-matsuzaki.com/pages/54/
伊豆というと温暖なリゾート地で、温泉や海辺でバカンスを楽しんだり、遊園地などのテーマパークで遊んだりといったイメージが強いですが、古くから流刑地だったり伊豆国の一国という長い歴史を持つ地域という側面もあります。
長い歴史があるので、歴史的建築物も多く残されており、少し視点を変えた伊豆の旅を楽しんでみると、今までと一味違った歴史を感じる旅を満喫することができます。
何度も伊豆へ行っている方も、初めて訪れる方も、伊豆のリゾート旅行の中に歴史的建築物を訪れて、歴史の浪漫を触れに訪れてみてはいかがでしょうか。
余暇プランナー
元旅行会社勤務で今は山の中の観光施設で働きながら旅ライターをしています。元々旅行好きで大学も地理学専攻と根っからの地理マニアです。大自然の絶景と寺社仏閣などの歴史建築が大好きで、連休などあればすぐに車中泊で出かけてしまいます。その他登山やランニングなどとにかく家に引きこもっていることが苦手で、常に自然の中で過ごしていることが私の癒しになっています。
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