古舘伊知郎トーキングブルース「70歳、どんどん老化現象」「長嶋茂雄さんの死は昭和の終焉」
古舘伊知郎(70)が、12月7日の東京・EXシアター六本木から全国5カ所で「古舘伊知郎トーキングブルース 2025」を開催する。来年1月に福岡、2月に名古屋、3月に大阪、横浜と“しゃべりの巡礼”に出る。テーマは「2025(ニセンニジュウゴ)」。今年2025年(令7)の1年間で、何を見て、何に怒り、何に笑ったのかを2時間半、ノンストップでしゃべりまくる。70歳、古希になった古舘に聞いてみた。【小谷野俊哉】
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70歳、古希になった
「自分が若い頃は、そんなことは思いもしなかった、想像だにしなかった。『古舘さん、若く見える』って言われるけど、さすがに若い若いって言っても、ごくごく一般の人からすれば、70歳は老人じゃないですか。初めのうちは70歳になった、大台に乗った、でも関係ないよとね」
自分では意識していなくても、身体に現れる。それが絶対年齢だ。
「昔の人なんて、平均寿命が60代くらいの時に80歳まで生きてたら、ものすごいご老人でした。僕が若い頃は、田舎に行って取材してマイクを向けて『おいくつですか』とか聞くと、おじいさんで『ちょっと覚えてない』って言う。結構、そういう人いましたね。絶対年齢に支配されて束縛されたら、加齢は自然の摂理、老化が早まるから良くないと思います。だから年齢とか、あんまり意識しないようにしないといけない。ところが70歳くらいはね、自律神経が乱れて気圧の変化でふらついたり、立ちくらみが起きたり、朝起きて若いつもりでもバーンと初っぱなに出て来る。そんなことにしょっちゅう悩まされてます。だからこうやってしゃべり終わって立ち上がった時に、あるいはふらついたり、どんどん老化現象が始まってます。面白いくらいで、だから意外に早いかもしれません。死んじゃったら、こっちのもんですから。もう恐怖もないですから」
立教大学の先輩であり、日本のアイドルだった長嶋茂雄さんが6月3日に89歳亡くなった。
「僕は母校で客員教授やってますから、7年目なんですね。長嶋さんが亡くなった6月の3日は大雨の日だったんです。ザーザー降りの中、母校・立教の池袋のキャンパスを歩いてて『鈴懸の径(すずかけのみち)』っていう、プラタナスの並木道の真ん中あたりに長嶋さんが顕彰されているモニュメントがあるんですよ。そこにパッと傘を差して、授業前に手を合わせに行ったわけですよ。『本当に昭和のアイドル、立教のアイコン、ありがとうございました、長嶋茂雄さん』って、こういう風に言ったんです」
手を合わせながら、長嶋茂雄さん、そして昭和の時代に思いをはせた。
「そしたら一輪挿しが雨に打たれてるんですよ。周りを学生たちが、傘を差して歩いていてね。モニュメントなんて関係ないんですよ。授業の前で、雨の日でも若者って平気で建物の中に入らずにたむろっている。そこで僕が傘を差して手を合わせて、ふっと目を開けたら、中には俺を知ってる人もいるわけです。20歳あたりの人って、俺の顔を知らない人が多いから。誰だか分かんない人が多い。俺の授業のタイトルだって『現代における言葉の効能』っていうね。言葉の意味とかそういうのに引かれて入って来る。聞いてみたら『古舘先生って昔すごかったらしい』と過去形で言われるようになるんですよ。だから平気で、こうやって手を合わせて、パッと目を開けたら一部体育会系の俺の顔を知ってる人がいて『何してんの』って。つまり俺が手を合わせてることとか、俺が授業を持ってることを知らない学生も多いので、何をやってんのか分かんない」
戦後日本を代表する人物である長嶋茂雄も、現代の大学生にとっては過去の人物だった。
「そこに長島さんの顕彰モニュメントがあることを知らない。びっくりしたんですよ。だから憎たらしいから、授業で八つ当たりして長嶋茂雄がいかにすごかったか、立教大に貢献していたかをまくしたてたんです。昭和に長嶋茂雄がいなければ、そしてライバルの王貞治がいなければ、そして正力松太郎がプロ野球を導入していなければ、そして正力松太郎は原発とプロレスと野球を持って来たんだってね。プロ野球の話を延々して、特に僕が高校時代からレコードで聞いていた長嶋さんが立教の頃の大学野球と、それからプロ野球に入ってからの天覧試合、これを合体させた実況をブワッとやったんですよ。ウケないのを承知でね。『慶応が1回から5回まで得点、立教は1回から0点。全く立教は反撃を抑えられておりまして、まだランナーが1人も出ておりません』と。ずっとやってたら、なんか分からないけど女子学生の一部がすごく手をたたいて、それだけでやっててよかったなって思いました」
長嶋茂雄さんの死は、昭和という時代が完全に終わった事を象徴していた。
「だから長島さんの終焉(しゅうえん)は寂しかったけど、旅立ちが寂しかったと同時に、やっぱり昭和がぐっと遠くなったところとか、完全に昭和の終焉を感じさせましたね」
(続く)
▼「古舘伊知郎トーキングブルース『2025』」
25年12月7日 東京・EXシアター六本木
26年1月18日 福岡・Zepp福岡
26年2月12日 愛知・Zepp名古屋
26年3月7日 大阪・Zeppなんば
26年3月20日 神奈川・Zepp横浜
◆古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)1954年(昭29)12月7日、東京都生まれ。立大卒業後の77にテレビ朝日入社。同8月からプロレス中継を担当。84年6月退社、フリーとなり「古舘プロジェクト」設立。85~90年(平2)フジテレビ系「夜のヒットスタジオDELUXE、SUPER」司会。89~94年フジテレビ系「F1グランプリ実況中継」。94~96年NHK「紅白歌合戦」司会。94~05年日本テレビ系「おしゃれカンケイ」司会。04~16年「報道ステーション」キャスター。現在、TBS系「ゴゴスマ」水曜日コメンテーターなど。血液型AB。