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『まほろ駅前』シリーズをはじめ、『日日是好日』『タロウのバカ』などの大森立嗣監督の最新作『MOTHER マザー』が現在公開中です。自堕落な生活を送る一方で実の息子に異常に執着するシングルマザーを主人公に、この時代に決して肯定はされなそうな親子の姿を通じて、母子観の一側面を描こうとしている意欲作です。その社会にコミットしない母親・秋子役を、今年でデビュー20周年という長澤まさみさんがかつてない表現力で演じていることでも注目の本作。実際に起きた祖父母殺害事件がベースとなってはいますが、そういうポイントではないところに力点を置いたという大森立嗣監督に急きょ、お話をうかがうことができました。
●監督は、長澤さん演じる秋子に惹かれていたとうかがいました。
過剰な、それこそ愛とは言えないような感情を息子の周平に注ぐ彼女の姿に惹かれていたことは確かです。母親像と言っていいのかどうかわからないことも含めて、いまのご時世、母親とはこうあるべきのような他人の目線がありますよね。その中で彼女が異常に周平に執着する部分や過剰な甘え、とにかく彼を自分のそばに置くという支配欲や「舐めるように育ててきたの」というセリフも出てきますが、その一方で周平にものすごい仕打ちもしてしまうという。そういう秋子という女性は一体何なんだ?何者なのか?ということに少し興味があったということですね。
●社会的にはコミットしていない人間だけれど、どこか魅力的にも映ってしまう。長澤さんが演じていることも大きいとは思いますが、あのキャラクターはどう作り出したのですか?
それはとても返事が難しいというか、彼女は息子と動物のような触れ合い方をしているところがあり、それは人間的・社会的な生活を送っていないということ。社会生活以前に定収入で街を転々ともしている。でもその中で肉体的に抱き合っている親子ではあるけれど、肩を触れ合ったり、動物的なコミュニケーションをずっと取っているような気がしているんですね。多くの人の場合が普通の生活を送っている中で、母親とは一方でそういう生活を送っているものではないかなという感じもあるし、僕もそこには惹かれるものがある。バランスは悪いけれど、過剰なコミュニケーションの取り方には惹かれるものがありますね。
●それを長澤さんにリクエストを?
長澤さん自身も現場で難しい作業だということは、わかっていました。何が難しいかって言うと、僕はこういう女性像が、日本のいまの社会の中で「ああ、こういう人もいるんだな」って、なかなかリアルに感じるように思えないですよね。そこが難しい。難しいことをやっているなという思いはありました。
川原で寝転んでいる母親って、いまの東京ではなかなか見ることはないけれど、そういうものを映画の中で俳優の肉体性をもって成立させていかなければいけないということを考えた時に、映画として成立しないかも知れないという危惧も僕の中にありました。そこは長澤さんの肉体性、佇まいがそうさせてくれたのかなって思いますね。
●長澤さんの意外性による配役の妙もある一方で、息子・周平役の奥平大兼さんの存在感も光っていました。ワークショプをやられていたそうですが、その輝きみたいなものは感じ取っていましたか?
ひとつ大きな出来事があって、彼がどこか寂しさ、存在の危うさみたいなものーーそれは思春期特有のものなのかも知れないですが、少しそういうところが見え隠れしていたんですよ。これは子どもの頃の周平君(郡司翔)にもちょっと感じていたことで、それはこの役にとって少し有利になるのではと思っていました。彼のその部分をいかそうと思ったと同時に、でもそれだけではいけないので、ものすごくシンプルに演技を成長させるということを目指しました。
●宝物を見つけたような感覚でしたか?
この役もけっこう難しいので、彼の、自分の感覚が追いつかないところももちろんあったと思うのですが、それをなんとかやりきっていました。初めての現場の中で、僕とか長澤さんがいる中で、全力で信頼して飛び込んでくれた。彼はそんな風には見せなかったけれど、そう思っていたと思いますね。若いので、変化していく姿を観ている時間は楽しかったです。
●それと夏帆さんも素晴らしかった。ベテランから新人まで、いまの日本映画界の俳優たちの躍進について、思うところはありますか?
僕はベテランや新人さんともよく組みますが、俳優さんによっていろいろな作品で成長すると思うんですよ。でも映画を作るほうが同じような高校生のキラキラものばかりだと、力がある若い俳優も伸びなくなると思う。こっち側の責任というかね。彼らに成長してく場を与えないと伸びていかないから。もちろん、キラキラものもあればいいと思う一方で、多様性が少なくなっていて、みんなそこにいってしまうと、ちょっと危ないですよね。それはお客さんが入るから作られているということはわかりますが、根本的に映画は共感できることがすべてじゃなかったりするわけじゃないですか。共感する映画は面白いと思うけれど、一方でこの主人公のように何やっているんだって目撃しちゃう。そういう見方もあるので、似たような映画ばかり作っているとお客さんによくないので、難しいですよね。
●今回の作品、硬派な題材っぽいイメージカットだけで観る前に判断した時に、ネグレクトなどを扱った社会派作品かと思いました。
いやそう思うことは自然ですよね。事件をモチーフにしていますので。
●でも母と子の愛の形で、しかも一般的ではないけれども、不正解とも言えない。むしろこっちが正解かもと肯定的にも見えてしまいました。
僕はそういう風に観てほしかったんですよね。だから事件に関する本や裁判情報も出ていますけど、それはふたりに罪がありきで、それは彼らが法律に合致しない部分があるということを明確にしたものなんです。
一方で彼らがもともと持っている僕たちがなかなか理解不能なコミュニケーションみたいなものが、あまりにも無視されているかなという気がしていて。映画だとフィクションとして俳優さんが実際に肉体を持ち込めるので、俳優さんたちは五感を研ぎ澄まして演技をしていく過程で、そこに答えが出るような気がしました。テレワークだとそんなことを感じなくなるけれど、でも俳優さんたちは五感で感じて演技をしていくものだと僕は捉えていて、それは演技論ですけど、それと同じようにふたりのコミュニケーションというものは、事件のまた別の側面を浮き彫りにさせる力が、映画にはあると思っています。
●法的な事実や評価ではなく、事件の本質や真実ですよね。
そうですね。社会の外側に動物が生きている世界があるものとすると、人間もその一員でもあるわけですよね。それは、法律にはそぐわないけれど、生物の人間として感じるものはあるのかもしれない。で、僕たちは、そのことについて考えないわけにはいかないのではないかと、僕はいつも映画を作る時に考えなくてはいけないなって思っています。
●いま、納得いかないものはとにかく蓋をしてしまう傾向があります。
どんどん厳しい時代になっていますよね。「こういうふうになさい」という言葉には出てこなくても、暗黙の了解の中でみんながすごく圧迫をかけているような気がして。
コロナのこともそうですが、もうだいぶ前からいろいろなことががんじがらめになっている。SNSで叩いちゃうわけでもなく、声高に「こうありなさい」とは言わずとも、なんとなく一方向になりがち。そんな風にして、僕たちは生きていけるのかと思う。人間はもうちょっと自分が感じることを大切にして、もちろん法律を破ってはいけないけれども、その中でもどこか自由にならなくちゃいけない。その人の、本当の笑顔が見られないとすごく寂しいですよね。
そういうことに対する生きにくい、生きづらさがあるなと、すごく思うんですよ。でもその中で僕たちが豊かに生きやすくなっていくためには、どういう風に人間がいるべきなのか思うところがあり、そういう感覚をどこか活かしながら映画を作りたい思いはあります。
映画はまだ自由にできます。フレームの中は、ある種のまた、もう一個の世界。シンプルな人間関係をもうちょっとやりたいだけなんですけど、現実とはまた別の可能性があるかもしれないですよね。
●そういうことを声高には言わないですよね。
そうですね(笑)。それはうれしい指摘というか、あんまりしないんですよね。そういうことを。聞かれたので答えるというか、声高には言いたくない。というのは、この映画だって、最後どういう風に受け止めればいいか、はっきりさせていないんです。声高に言うまでは「そういうことだろうな」って観ていると思うけれど、言った途端にその後考えなくちゃっう。だから、映画を作っている時に答えがわかっているものに向かっていくのではなくて、答えがわからないものに向かっていくということが感覚としてあって、この映画のラストについて質問されても、僕もはっきりした答えは持っていないんです。長澤さんがどうしてああいう表情をしているのかよくわからないんですけど、その意味を考えることはできる。あの表情から、思わせてくれるということが、考え続けるひとつのことなのかなと思います。逆に声高に叫んでいる映画って、うそだと思っていますよ。そんなはっきりしたこと、なかなか言えたものではないですから。
公開中
■取材後記
コロナ禍の自粛下において相互監視が強まったことで、ある種の生きにくさを感じた経験を誰もがしたとは思いますが、実はそのはるか以前から人は「こうあるべき」という風潮が強まり、人間らしさ、本当の笑顔が消えてしまっているのでないかという危惧にも似た想いを、この取材、この作品を通じて共有したような気がします。映画『MOTHER マザー』の中に、そういう現代社会をどう生き抜いていくかという答えを示してはいないと思いますが、映画の中にある別の現実を体験することで、人によっては、それまで忘れていたものを思い出すかもしれません。
(執筆者: ときたたかし)