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アメリカとの軍事的問題や貿易摩擦、チベットへの弾圧、台湾の独立、今大問題に発展しているのが新型のコロナウイルスによるパンデミックなどなど、いろいろな問題を抱え、日本とも冷え込んだ関係にある大国・中国。
隣国でありながら、付き合えば付き合うほど文化や国民性、価値観の違いなどを感じてしまう不思議な国ですが、その中国から妻として迎え入れられる女性は、年間1万人超のペースで日本全国にやってきているのが実情だそうです。これは日本の農村部など嫁不足の地域で、結婚したいのに出会いがない男性が海外から妻を受け入れているケースが増えているということです。
中国人妻の多くは、中国の内陸部や東北部の貧しい地域の出身。日本に嫁として来れば贅沢をして、祖国の親兄弟まで豊かになれる。そのため、自分の娘を差し出す家も多いといいます。
今回お話を聞けたのは、6年前に中国から妻をもらった笠原正治さん(仮名/50歳)。幸せな結婚生活を送れると思ったはずなのに、彼が体験したのは、国際結婚からの無間地獄でした。
丸野(以下、丸)「どういったいきさつで中国から奥さんをもらわれたんですか?」
笠原さん「奥手で女性と付き合ったこともないんですよ、私。高校卒で、ずっと米農家の家業を手伝っていたんですが、孫の顔を見せろと親がうるさくて。事情を知ってか、母親が“中国から嫁さんもらったら”と……。で、国際結婚の相談所『国際ハッピーウエディング(仮名)』の担当者と会ったんです。“ご両親の期待に応えてみませんか?”という矢継ぎ早なセールストークを浴びせられて、書類にハンコをつきました」
丸「なるほど」
笠原さん「中国人女性というのは、日本に憧れていて、包容力のある日本人男性と結婚することで経済的に安定したいといいます。何よりも、芯が強くて、我慢強く、家族のことを一番に考えるのが中国人女性だと……。中でも、ハルピンの女性は気立てが良くて、優しいというのです。上海や北京など都市部の女性は、意地が悪くて拝金主義だと……。自分も田舎者なので、地方の女性に好感を持ちました」
丸「で、渡航を?」
笠原さん「はい。お見合いツアーに参加しました。料金は渡航費と紹介料、ホテル代、現地での交通費、飲食代、結納金、結婚式の費用で、350万弱。日本では100人弱いる女性の写真を厳選して、その中から見合い相手を10名ほど選びます。それから、日取りを決め、訪中です。空港には同じく農家出身の独身男性が4人いました。一行は『中国南方航空』の直行便でハルピンに到着。予約された水道も出ない安ホテルに荷物を置き、早速レストランで見合いです。順番で5人の女性が次々やってきて、彼女たちと話しました。目を引いたのは、地元ハルピンの李清漣(仮名/28才)でした。日本軍の世話人をしていたという祖母直伝のたどたどしい日本語で話しかけてきました」
丸「どんな言葉を?」
笠原さん「“あだだ、食べモノ何好き?”とか、一生懸命話かけてくれたわけです。その姿に私も惹かれて……。結婚するんなら、日本語が話せた子がいいわけですし。カップル成立になってからは、もうアプローチされました。“ワダチ好きなた、結婚するか?”と。で、結婚を決めましたね。中国国内法に基づき、結婚手続き、披露宴、写真撮影と現地滞在して行いました。気持ちが悪いくらい親戚縁者がフレンドリーで、日本に嫁ぐことをすごく喜んでいました」
笠原さん「私のみ帰国し、中国から持ち帰った結婚証明書と公証書を提出して、日本での入籍を済ませます。3ヵ月後、“笠原清美”になった彼女が手を振っていて、うれしかった。それからは、初夜です。妻にリードされて、無事終わりました。翌日からは、両親との同居生活がはじまり、建て増しした離れで暮らしはじめました。ちょっとショックだったのは“私が住む街の方がずっと都会……”という言葉でしたね。日本人は金持ちで、贅の限りを尽くせると思っていたらしいんです。しかし私の方は、そこからは彼女に溺れました」
丸「笠原さんにとって初めての女性ですものね」
笠原さん「米農家の仕事は、朝早く、虫や病気を気にしたりと気が抜けません。先祖から受け継いだ広大な畑や田んぼで農作業をしていると、母の怒鳴り声が聞こえました。“ここは日本なんだから、中国語を使わないで!”と。3週間もすれば、ホームシックになったようで、彼女は連日、夜な夜な枕を濡らしていました。でも、僕が守らなければ……と愛おしくなりましたね。彼女は、この頃から実家に毎日2時間ほど国際電話をするようになり、家計を圧迫しはじめたんです。何か言えば、見合い当初に書かれていたプロフィールとまったく違う生い立ちで、ボロがどんどんと出てくる。すぐにヒステリーも起こしますし、何も言えませんでした」
丸「それからどうなりました?」
笠原さん「ここで、妻が妊娠したことがわかったんです。家族に報告すると、みんな大喜びしていました。しかし、僕はちょっと疑問に思うことがありまして……。産婦人科医が赤ん坊が5週目だといったんですよね。彼女が来たのは、1ヵ月前。おかしいなと……。それと妊娠後にコソコソと本国に電話をかけているんです。相手の声は男です。何を話しているのかはわからないのですが、とにかく怪しいんです」
丸「それって……」
笠原さん「妊娠してからというもの、食事作りや掃除、洗濯などまったくしてくれなくなりました。と、ある日、中国の金融業者から連絡があったんですよね、自宅に。流暢な日本語で、“奥さん、ウチに150万円の借金がある。払ってくださいよ、代わりに”と。妻は、私との成婚費用を金融業者に借金していました。それを伝えると、泣きながら“お願い払って!”と頼み込んでくる身重の妻。仕方なく、私は中国の金融屋に全額送金しました。それからは堰を切ったように金を無心するようになったんです」
丸「金額的には?」
笠原さん「旧正月40万、親の持病に30万円、叔父の見舞金20万円とか。でも考えてみると、ハルピンの平均月収って3,900元(日本円で63,000円)以下。かなりの大金ですよね。さすがに意見したんですが、“あなだ、ケチ! ドケチ!”と逆ギレです。さらに“日本軍が捨てていた化学兵器で、私の叔父さんは目見えなくなた! 責任取れ!”と言い出す始末で……」
丸「責任取れって言われても……」
笠原さん「出産後に育児ばかりする農家の嫁に、ウチの母親が怒らないわけがありません。嫁姑はそれからことあるごとに衝突しはじめました。“働かないのに仕送りなんかするな!”、“正治サンの持ち物半分、ワダジのもの!”と罵り合います。それからは、妻は離れに籠ってしまい、チャットで知り合った日本にいる中国人仲間とパソコンに首っ引きで……。そんなときに母から離婚話が持ち上がりました。このときに母の言うことを聞いていれば……」
丸「何かあったんですか?」
笠原さん「2ヵ月後に、母が階段の下で倒れていたんです。首がねじれた母は、目を見開いたまま死んでいました。離れにいた妻は、素知らぬふり。あっけない母の死でした。葬式のとき、私に向かって妻はなぜか微笑んでいました。背筋を駆け上がる恐怖感。まさか……と。父はそれから体調を崩して入院。妻は、まったく家業を手伝うことはなく、子供を連れて、友人の家を泊まり歩きはじめたんです。帰ってきた妻を怒鳴りつけると、あなたがお金をくれないから、中国人パブで働いていると……。この時点で気がつきました、金とビザが欲しかっただけなんだと……」
丸「気がつくのが遅かったですね」
笠原さん「アフターフォローが万全だと謳っていた結婚相談所に電話を入れたんですが、不通で……。適当に集めた中国人の商売女を高い紹介料で斡旋していたという手口があるらしいと後から知りました。イヤな予感がよぎり、預金通帳を確認すると残高はもう数百円。怒りに震え、妻と子供を追い出しました」
丸「ああ……そうですか……」
笠原さん「そのまま数ヶ月が経って、私が仕事をしていると、農道の向こうに1台の車。運転席のサングラスをかけた男の隣には、赤ん坊をあやす妻がニヤニヤと笑っていました。このとき、私は“このままでは殺される”と悟ったわけです。土地を処分し、300万円を用意して、妻に手切れ金として渡して、離婚が成立。1年間の結婚生活は最悪の結末を迎えました」
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笠原さんは哀しい表情で最後に言いました。
「彼女の今後の身のふり方を離婚話の場で聞いたんです。日本国籍取得後に同郷の中国人男性を呼び、再婚する計画だったと言っていました。正真正銘の日本国籍を持つ中国人夫婦。赤ん坊も彼の子でしょう。中国人妻として入国して、その後に離婚。そんな女たちが“日本人”として今もどこかの地で暮らしているんでしょうか」
(C)写真AC
(執筆者: 丸野裕行)