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今回は『日本科学未来館科学コミュニケーションブログ』より科学コミュニケーター 片平圭貴さんの記事からご寄稿いただきました。
※元記事のタイトルは「2019年もノーベル物理学賞を楽しもう!【前編】~宇宙を見るたくさんの窓~」です。
こんにちは!科学コミュニケーターの片平です。
今年のノーベル賞、特に物理学賞を思う存分楽しむチーム、通称ぶつりーずの一員として、みなさんにノーベル物理学賞を通してみた、物理研究の面白さを紹介します!
今回私たちが注目したのは、宇宙を観測するさまざまな手法とその先に見えてくる宇宙の起源。特に2002年のノーベル物理学賞「”天体物理学とくに宇宙ニュートリノの検出へのパイオニア的貢献”と”宇宙X線源の発見を導いた天体物理学へのパイオニア的貢献”」をひもときながら、宇宙を観測する手法のこれまでや未来について、お話していきます。
この2002年のノーベル物理学賞は、東京大学名誉教授の小柴昌俊先生が宇宙ニュートリノの発見で受賞されたことで注目されました。
このときの受賞内容についてのリリース文の冒頭には「Two New Windows on the Universe(宇宙の2つの新しい窓)」とあります。
え、窓? 宇宙という外の世界をのぞき見る”窓”、と言う意味で観測手法のことを”窓”、と表現しています。2002年のノーベル賞は、「ニュートリノ」と「X線」という2つの観測手法=窓が開かれました、ということですね。
実は今、宇宙の観測はとても面白いことが始まろうとしています。宇宙の観測では、何を観測したいかによって、適した窓を選ぶのが一般的です。しかし、観測できる窓が増えたことで、いろいろな窓を通して宇宙の現象を観測しようという取り組みが活発になってきているのです。
未来館にある宇宙を観測する手法の展示たち
左上/アルマ望遠鏡、右上/すばる望遠鏡、左下/金星探査機あかつき、右下/スーパーカミオカンデ
(展示写真の撮影は全て、科学コミュニケーター片平)
ちなみに、天文学を専攻していた科学コミュニケーター本間に聞いたところ、天文学の世界の人たちは自己紹介で、どの窓を使って研究している、という言い方をするそうです(例えば本間は「”可視光”で銀河を観測したデータを解析する研究をしていました」と言っていました)。宇宙に目を向けている研究者同士でも、のぞいている窓で見えてくる世界、見たいと思っているものが、それぞれに違うことをうかがわせる話です。
そもそも、宇宙にはさまざまな種類(波長)の光が飛び交っており、その中で私たちが、目で見て感じられる光は、光の中でもごくごくほんの一部です。一方、目に見えない光とは、例えば日焼けをする原因になる紫外線や、電子レンジで食べ物を温める時のマイクロ波などです。このような目に見えない光、さらには光以外のニュートリノなどをキャッチする窓はどのようにして開かれてきたのでしょうか。
光は波長によってX線や赤外線などと区別する
目に見えるのは、その中でもごく一部の波長の光
(c)NASAの画像を筆者改編
今回のブログではまず、この2つ以外にもある、全部で7つの宇宙を見る “窓”が開かれてきた歴史、その発見の1つ1つがノーベル賞として評価されるほどの大きな発見であったことを見ていきましょう。
それではまず、私たち人間の目に見えているごく一部の光、可視光について見ていきましょう。可視光は波長で言うと380nm(ナノメートル)から750nmという領域の光です。
私たちは日ごろ、目、つまり視覚を使って、実にたくさんの情報を可視光から受け取っています。視覚の仕組みは医学や生物の分野で特に強い興味を持たれていて、その成果はノーベル賞の中でも、1967年の「視覚の化学的、生理学的基礎過程に関する発見」と1981年の「視覚系における情報処理に関する発見」という2つの生理学・医学賞にも見られます。
では、いつ頃から、可視光で宇宙のことを詳しく見よう、という試みがなされてきたのでしょう。古来より、方角や季節を知るために星の光を利用していましたが、現代の天体観測に通じるのは1609年、ガリレオ・ガリレイが望遠鏡を使って観測したこと、と言えるでしょう。
現在では、観測装置は大型になり、より遠くの可視光を捉え、宇宙の遥か彼方を見通すことが可能となっています。
この2つの目に見えない光は1800年、1801年、と連続して発見されました。200年以上も前のことです。
赤外線を発見したのは、ハーシェル。彼はプリズムで散乱された色の異なる光が、物を温める性質を調べるうちに、赤色の光の外側で温度が上がることを発見しました。これが赤外線です。1800年のハーシェルの発表を聞いて、それならば反対側、紫色の外側にも異なる種類の光があるはずだと考えたヨハン・ヴィルヘルム・リッターによって、翌1801年、紫外線が発見されました。
天文学の世界では、1856年にチャールズ・ピアッツィ・スマイスが月の光の中に赤外線を検出しました。天体から目には見えない光が届いている、2つめの窓が開いた瞬間です。
現代では、紫外線も赤外線もともに、宇宙を観測する窓としてさまざまな研究に用いられています。温度が高い天体は紫外線で明るく輝くため、重い星が生まれる場所を観察するのに適しています。一方、赤外線の観測は、比較的温度の低い可視光では観察の難しいちりやガスが観測できます。
電磁波は、1888年、ハインリヒ・ヘルツによって発見されました。彼が証明のために行った実験は「ヘルツの実験」として知られており、学校で実際に制作してみることもあるそうですね。(例えばこちら*1 などで紹介されています。サイト中にもありますが、実験する場合は十分に注意して行ってください。)
*1:「Ⅱ ヘルツの実験をやってみよう」『佐賀県教育センター』
http://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h17/buturi/ji_herzt01.htm
発見したヘルツの功績も重要ですが、先に紹介した赤外線や紫外線と大きく異なる点は、実験的に発見される以前にマクスウェルによってその存在が予想されていたことです。時代が進むにつれて、目に見えたこと、体験したことだけでなく、理論的に考える、科学のあり方が時代とともに進歩したことを感じます。
電磁波のなかでも波長がおおよそ1mmよりも長いものを電波と呼んでいます。今、我々の暮らしの中のどこで活躍しているかというと、もう数えきれないほどですが、発見者であるヘルツ自身は電磁波の実用的な価値を感じていたわけではなく、ただ単に存在するだけだ、と述べていたそうです。どんな発見が何につながるのかを想像することは、偉大な科学者にも難しいことを示す話かもしれませんね。
さて、では電波という窓で宇宙を見たのはいつか、というとその始まりはヘルツの発見からおよそ50年後の1931年になります。無線技術者であったカール・ジャンスキーが偶然に捉えた電波が、宇宙(太陽系の外)から発せられていることを発見したことに始まります。
現代の電波天文学の観測の方法には、未来館にも展示があるアルマ望遠鏡などがあります。電波の窓からもわかることはたくさんあります。例えば、宇宙に存在する分子の姿などを観測することが可能です。これらの分子の中には、もしかしたら私たち生命の素になるものがあるのではないか、と研究が進められています。
未来館 常設展示エリア フロンティアラボにて、アルマの観測例なども紹介しています。
X線は1895年、レントゲン写真でおなじみのヴィルヘルム・レントゲンによって発見されました。赤外線・紫外線の発見からは約100年後のことになりますが、電波の発見からは7年後。ほぼ同時代といえるでしょう。この発見によって、レントゲンは1901年、栄えある第1回ノーベル物理学賞を受賞しています。
X線は、レントゲン写真として医学の世界で欠かせないものとなっているだけでなく、医学・生理学、化学、物理のあらゆる世界にとって非常に大きなインパクトのある発見でした。これまでのノーベル賞の中でレントゲンの受賞以外に、受賞テーマにX線と題されたものだけでも、計8回も登場します。(物理学賞 1914、 1915、 1917、 1924、 2002、化学賞 1936、 1964、生理学・医学賞 1946)
X線の窓は宇宙だけではなく科学の広い世界をのぞく重要な窓だと言えるでしょう。また、X線は社会への普及も大変早かったようで、ノーベル賞を受賞する1901年にはすでに日本でもX線装置が販売されていたそうです。
しかし、天文学での利用は少し時がかかりました。1962年、宇宙空間での観測によって、太陽系の外から放射されるX線を発見したのが、リカルド・ジャコーニ博士です。ジャコーニ博士らは、観測ロケットにX線検出装置を搭載して、打ち上げ、約10分間の観測を行いました。短い時間の観測であったにもかかわらず予想を超える強度のX線が観測され、X線を放出する天体の存在が発見されました。(太陽から由来するX線など、太陽系内の観測はハーバート・フリードマンによってこれ以前の1950年代から行われていました。)
ここまで光を紹介してきましたが、宇宙から飛来する光(さまざまな波長をもった光子)だけではない新しい窓を開いたのが、ジャコーニ博士と同じく2002年にノーベル物理学賞を受賞した、レイモンド・ディヴィス・ジュニア博士と小柴昌俊博士のお二人です。
ニュートリノもまた、理論的な予測が先になされていました。1930年にウルフガング・パウリは放射性同位元素の原子核崩壊でのちにニュートリノと命名される粒子が存在することを予言しました。しかし、その後存在はおよそ25年後、フレデリック・ライネスらの実験によってようやく証明されました。ニュートリノは他の物質と全くと言ってよいほど相互作用せず、検出が困難なためです。この困難を乗り越え、ニュートリノを検出することに成功したライネスらは1995年にノーベル物理学賞を受賞しています。
ディヴィス博士は1960年代から太陽からのニュートリノの観測をはじめ、小柴博士は1983年に完成したニュートリノ観測装置カミオカンデを使って、1987年2月23日、超新星爆発からのニュートリノを検出することに成功しました。これらの研究は、光と異なる物質が宇宙を見る窓となることを示すことになりました。
ここまで、さまざまな光、そしてニュートリノがまた1つ、また1つと宇宙を見る窓となっていく歴史を紹介してきました。
2002年ノーベル物理学賞で、X線とニュートリノという新しく宇宙を見る2つの窓を開いた貢献に対して1つのノーベル賞が与えられたことには、今思うと、これからさまざまな窓から見える宇宙の姿を組み合わせてわかることへの期待が込められていたのかな、と感じます。
というのも、冒頭で紹介したように、いくつもの窓を通して宇宙を見る天文学は今、マルチ=多くの、メッセンジャー=メッセージを伝えるモノや人、という言葉から、マルチメッセンジャー天文学と言われ注目されています。特に、次にご紹介する新しい窓が開かれたことが大きくかかわっています。その窓が……
理論的な予測は、1916年(ニュートリノよりも先!)にアルベルト・アインシュタインによって提唱されていました。しかし、重力波を発生させる天体の現象がどの程度頻繁に起きるのか、も定かではなく、また非常に小さな時空の歪みを検出する必要があるため、直接検出するのは困難とされてきました。
1974年にジョゼフ・テイラー博士とラッセル・ハルス博士の連星パルサーの研究によって、間接的に検出され、彼らは1993年にノーベル物理学賞を受賞しています。
そして、予測から100年後の2016年2月、遂に直接的に検出されました。この100年越しの業績は、2017年に「LIGO検出器および重力波の観測への決定的な貢献」として、レイナー・ワイス博士、バリー・バリッシュ博士、キップ・ソーン博士の3氏にノーベル物理学賞が与えられています。(重力波の検出に関する詳細は、2017年受賞発表直後に公開したこちらのブログをご参照ください)*2
*2:「【速報&詳報】2017年ノーベル物理学賞受賞者が決定!今年はやはり重力波!」『日本科学未来館科学コミュニケーションブログ』
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/201909302019-1.html
これまでの電波やX線の歴史と比べると、予言から検出までにいかに時間がかかったかということがわかります。年表を見ていると、なんだか実際に検出された時の研究者たちの達成感が少し感じられるような気がします。
LIGO/Virgo(イタリアに建設されている重力波検出装置)プロジェクトチームは世界の天文観測施設、グループにLIGO、Virgoの追跡観測を行う協定を結んでおり、世界で今、マルチメッセンジャー天文学が進められる体制は広がっています。
こうして私たちは今、これだけの窓から宇宙の姿を見ることができるようになりました!1つ1つの窓から見える景色が私たちに宇宙のさまざまなことを教えてくれるでしょう。
と、ここまでお読みいただいた皆様、冒頭の紹介を思い出してください。7つ紹介します、と言ったのに、まだ6つしか紹介できていないのです!
たくさんそろった窓から一体、宇宙の何を見るのか?そして、宇宙を見る窓のこれからは?というお話をしながら、次回*3 は最後の窓、ガンマ線を紹介します!!
*3:「2019年もノーベル物理学賞を楽しもう!【後編】~たくさんの窓から見える新しい宇宙~」『日本科学未来館科学コミュニケーションブログ』
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/201910082019-3.html
とは言え、せっかくなので年表はガンマ線もそろったバージョンの年表を
後編の記事はこちらから!
2019年もノーベル物理学賞を楽しもう!【後編】~たくさんの窓から見える新しい宇宙~
https://blog.miraikan.jst.go.jp/topics/201910082019-3.html
片平圭貴
大学で出会った「鉄」。100トンの鉄を成分0.1%以下の精度にコントロールする、繊細かつダイナミックな現代の錬金術を追及してきました。こんなに面白いこと、みんなにぜひ紹介したい!でも、実はみんなも面白いこと、たくさん持ってるんじゃないの?そんな話をいろんな人としたくて、2016年から未来館へ。
執筆: この記事は『日本科学未来館科学コミュニケーションブログ』より科学コミュニケーター 片平圭貴さんの記事からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2019年10月16日時点のものです。