今回は中村浩一さんのブログ『中村区中村町の中村』からご寄稿いただきました。


「沢田研二論」 ~黙っとれ!の窮状~(中村区中村町の中村)


勘違いも甚だしい!

いったい何を言っているのか?

暴言にもほどがある。

腹が立ってしょうがないです。久々の沢田研二論です。

(文中はすべて敬称略ですすみません※一部指摘をうけ漢字修正しております。)


JAPAN48の記事の次にコメントが多いYahoo!ニュース、今回のこと。

だいたいは読んだけど、まあちょっとひどい。


「ネットの怖さ」とか言うけど、ちょっと違う。「愚かさ」「危うさ」と表現したい。

コメントしている人の多くは、いやほぼ全員今回のLIVE会場に行っていないどころか、最近の沢田研二のコンサートに行ったことない。賛同者も。これは読んでて間違いない。


情報源はこの数行の記事のみ、沢田研二像に関してはテレビでしか見たことない自分の印象で語っている。


僕ですか?


もちろん行ったよ、名古屋会場だけど、今回で確か42回目か43回目のLIVE。

東京の会場とセットリストも同じ。


はい、今回のLIVE楽しかったです!最高に。


大好きな「ACB(アシベ)」の2015年版、「ロックンロールマーチ」やMISCAST収録曲の「ジャストフィット」(井上陽水 詞・曲)なんか、やってくんねぇかなあ・・・って思ってたからめっちゃくちゃ嬉しかったです。


だいたいファンの間では往年のヒット曲よりも「ポラロイドガール」(奥居香楽曲提供)や「彼女はデリケート」(佐野元春)「愛まで待てない」などのLIVE曲の方が盛り上がるのは周知のとおりだし。


名古屋会場ですか?

ヒット曲やんないから文句?

真剣なMC中に「うたって~」?


あり得ません。カラオケボックスじゃないんだから、そんなマナーの悪い人見たことないです、いません。


後ろのお姉さま方は

「今日は声が通ってるね」「わあ、キレイだね」「ドキドキするぅ!」「あぁ、ジュリー!」

と少女のような歓声を上げておられました。


これが現場の大多数の意見です。そしてこれが真実です


大きな勘違いは


沢田研二の正月コンサートは大都市圏だけのLIVEとして90年代に始まって、最初は「ロイヤルストレートフラッシュ」ってタイトルがついていたほど、滅多にやらないヒット曲満載のセトリでしたが、最近は所謂昔の曲は2~3曲、多い時でも5曲程度です。


80年代にも「勝手にしやがれ」を封印していた時期もあるし「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」(以後ユウウツ)に至っては90年代で1回か2回しかやってません。


今回「LOVE」以外に「6番目のユウウツ」とデビュー曲「君をのせて」


十分だわ!


そもそも、沢田研二はLIVEで「昔のヒット曲」をやらないんです。テレビでなどもってのほか。

2001年に限って「麗人」や「TOKIO」を「SMAP×SMAP」などでやったきり。

これはテレビに出られない(正確には出ない)理由と一緒で「勝手にしやがれ」を歌うなら紅白にだしてやる。というオファーを何度も断っている。


そう。


二つ目の誤解は


沢田研二は昔の歌手ではなく、バリバリ現役のロックアーティストであるということ。


毎年のように70年代や80年代のナツメロを歌う元アイドルとは全く違う。


それを何?

「やっぱりヒット曲が聞きたい?」


んじゃ来なけりゃいい。Youtubeならタダで見れる。全く同感。沢田研二は何も間違ってない。


17歳から66歳まで、毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年毎年・・・・


きちんとアルバムを制作して発表して

全国ツアーを開催して

1年も休まず

たった1年も休まず

「続けることしか信じられないんだ!」


こんなアーティスト他におるかね?

それしっとるんかね?あんたら。

リスペクトする存在じゃないんか?

こんな日本人アーティストもう二度と出ないよ。未来永劫。


「僕は夢を見ない、なぜなら16歳のころからずっと憧れていた夢の世界に今もいるから」


それをなんだね、自己管理がなっとらんとか。


これも知らんだろうけどね


沢田研二の実父は御年99歳、間もなく100歳

沢田家は驚異の長寿遺伝子家系だから、にわか健康オタクに言われる筋合いはないわ!


「2015年でもくたばってなかった、驚いているのはこの僕なんだよ」


三つめの誤解


歌手が政治や国際情勢を語るな?


桑田佳祐の一件とは切り離して考えるべきではあるけど。記事の元の写真が山本太郎との選挙演説時の写真に悪意が感じる。LIVEとは全く関係ない。


今回のブログのタイトルを見て沢田研二を知っている人はすでにメッセージにお気づきだろうが、そんなん最近ではなくとっくに介入しまくっとるわ。

最近の「東京五輪」とかは解かりやすいけど、もっと前!


東京ドームで歌った「我が窮状」は読んで「字」ではなく「音」のとうり


「パールハーバーラブストーリー」もまんま反戦

「1989」は?

昔から、沢田研二の楽曲にはラブソングに交じって反戦や政治的なメッセージはたくさんあります。


尾崎豊、ザ・ブルーハーツ、忌野清志郎、最近では斉藤和義


ミュージシャンはそもそも、そういう存在でいいんじゃないんか?ファンは同調しても、しなくても。ロックって、フォークってそうやって育ってきたんと違うの?


みいんなまあるく「良い子」になったロック界って楽しいか?


世間に伝えたいメッセージを持っていない、音楽家やアーティストだらけの世界をお望みか?


無味乾燥な、ペラッペラのラブソングばかりウラ声で歌う。


次に「金を払っているファンに対して暴言」だということ。


実は僕は、15年前、週刊誌に取りざたされた事件、2000年のあの奈良100年会館の現場にいました。

あの時もマスメディアは面白おかしく「暴言」だけを取り上げていましたが、あの会場にいた一人として、真相を知っています。


あの事件の「事実」を今はじめて明かします。当時はブログもSNSもなかった。


「グランドクロス」や「いとしいひとがいる」の収録されている名作アルバム「第六感」のLIVE

あの時も、最前列の非常にマナーの悪いファンが一人いて

ずっと隠しカメラでビデオを撮っていたんです。それを沢田研二が気づいて、何度も蹴るフリを入れたりして警備にアピールしていたが全く気付かず、とうとう最後には「いい加減にしてくれ」とファンのマナーについて語りだした。


そのほんの一説が至って柔和なものの言い方で「みんな僕よりもっと大切なものがあるはずだ・・・・僕だって毎回同じ顔を見るのもツライ・・・その土地土地の人に最前列で見ていただきたい・・・・」と語った。


週刊誌はそれを切り取って「暴言!毎回お前らの同じ顔見たくない!」と発言したと報じて、それを他誌も追随した。


これがあの事件の真相。


当時も現場のファン数人で、「あれは最前列のマナーが悪すぎたジュリーに申し訳ない」と奈良の人々は擁護する声の方が大多数だった。


今回も記事を読む限り「イスラム国の人質のこと」(※個人的には日本人全員で考えるべき非常に大切なことと思うが)を話したら、ジャマされていきなりキレた。と受け取るような書き方になってるが、現場にいた人に聞くと、奈良の時と同じく違う意見も出るはず。


まだ誤解はある。


「落ちぶれた」との表現が最大の間違い。


テレビに出ない理由は先に述べたとおり。


85年~89年くらいCO-CoLOの時代に来場者数は一旦減った時期はあったが、今沢田研二のLIVE会場に行って、「当日券売り場」を覗いてみたら分かる。みんな行ってないから勝手なこと書いてる。


沢田研二の当日券売り場。そこには行列はない。


つまりほとんどの会場でSOLD OUTなのである。


7,000円のチケットで、東京は5,000人の会場で、全国では数万人。


「JULIE with THE WILD ONES」の時なんか、名古屋会場は瞬殺で、ヤフオクで3万円。


金沢のチケットがやっと入手できたくらい。


ヒット曲やんなくたって「今の曲」でそれだけ売れている


沢田研二は今尚現役のロックスターなのである。


もうさ、50年やってんだからいいじゃん好きに歌って、それを聴きたいひとだけコンサートに来れば。


5年10年の若僧じゃないんだよ。その功績をどれだけの人が理解しているか?


日本で初めて野球場でLIVEやったのは?

日本で初めて武道館単独LIVEやったのは?

初めて歌にフリツケを入れたのは?

初めてテレビ局が用意した「伴奏」ではなく自分のバンド持ち込んだのは?

初めてフルメンバー全員で衣装デザインして化粧してビジュアル系スタイルでやったのは?

セットごと持ち込んだのは?

初めて加瀬邦彦作曲の純国産ロックンロール「危険なふたり」を歌ったのは?

初めて糸井重里作詞、純国産テクノポップを歌ったのは?

今では当たり前となったバラエティにも初進出したのは?

日本で初めて萩原健一、井上堯之らと「スーパーバンド」を作ったのは?

フランスビルボードチャートで唯一「巴里にひとり」5位以内にチャートインした日本人歌手は?

歴代の「日本レコード大賞」で最高視聴率を記録した回の1977年の大賞受賞者とは?

60歳にして東京ドームで80曲6時間LIVEを敢行したのは?

40年以上の時を経てオリジナルメンバーでバンドを再結成して日本武道館LIVEを完遂したのは?

90年代、ドラムの神様「村上ポンタ秀一」とベースの神様「吉田健」が同時にバックを務めたボーカリストとは?


全て沢田研二である。


秋元康、糸井重里、佐野元春、サザンオールスターズ、大沢誉志幸、RCサクセション、及川光博、バービーボーイズ、B’z・・・・・・


みんな何らかのステップアップに沢田研二があって、どこかでなんかの影響を受けているのと違うの。


なんも知らん人たちに未確認の情報でネット攻撃するのではなく、もっともっとリスペクトされるべき国宝じゃないのかね?


「沢田研二」それ自体が日本の音楽史であり、ジャンルではないのか?


「アシベのころも冷めていたよ、年はくったけれど相変わらずさ」


50年続けること


こんな継続ありえないでしょ?


沢田研二は新宿アシベのことを「宝物」とその詩に書いている。


「客を大事にしてない」「プロなら満足させろ!」「大人げない」今の時代の一般論としてはひょっとして正しいのかもしれんが


沢田研二という日本が生んだ特別な存在に、一般論を無理やり当てはめる「無礼」はどうかやめていただきたい。


「人の情けと笑顔、今もかわっちゃいない・・・」


さて、最後にお願いが。


あの会場「東京国際フォーラム」にいらっしゃった、または名古屋・大阪の会場でもいいけど、

僕は「行ってない人の身勝手な意見」よりも「行った人」の意見を聞きたい。


50年やってるレジェンドに、カラオケボックスみたいに「うたって~」っていうのが本当に支持されたのか?

沢田研二は、これから記事にあるように毎回毎回毎回毎回毎回毎回「勝手にしやがれ」と「TOKIO」と「時の過ぎ行くままに」を、プロとして、客を満足させるために歌わなければいけないのか?


教えていただきたい。


「いとしいひとがいる /沢田研二」『ROCK LYRIC』

https://rocklyric.jp/lyric.php?sid=139031


※最後まで読んでいただきありがとうございます。どうぞ、URL展開、本文もご自由にコピペしてください。但し一部のキリトリは勘弁してください、必ず全文コピーでお願いします。


執筆: この記事は中村浩一さんのブログ『中村区中村町の中村』からご寄稿いただきました。


寄稿いただいた記事は2018年10月23日時点のものです。


―― やわらかニュースサイト 『ガジェット通信(GetNews)』
情報提供元: ガジェット通信
記事名:「 「沢田研二論」 ~黙っとれ!の窮状~(中村区中村町の中村)