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誰もが災害のニュースを目にしたとき、「少しでも早く救助できなかったのだろうか」「もっと迅速に人を助ける技術はないのだろうか」と考えたことがあるのではないでしょうか。
近年では、地震や集中豪雨などによって世界各地で大規模災害が頻発しており、倒壊した建物や閉ざされた空間でいかに迅速かつ効率的に生存者を見つけ出すかが重要な課題となっています。
実際の救助活動の現場では、瓦礫が複雑に重なり合い、狭い隙間に人が閉じ込められていることも多く、大型のロボットや救助装置では入り込めないケースが多くあります。
また、こうしたロボットの多くは、サイズが大きく瓦礫の狭い隙間をすり抜けることが難しいだけでなく、消費する電力が多いため稼働時間が短いという問題もあり、現実的な成果を上げることは非常に困難でした。
そこで、研究者たちはこれまでとは全く異なるアプローチを考えました。
それが「サイボーグ昆虫」というアイデアです。
「サイボーグ昆虫」とは、生きた昆虫に極小の電子機器を背負わせ、その動きを電気信号で遠隔操作する仕組みを持った、生物と機械が融合した新しいタイプの探索ロボットのことです。
昆虫は自然界において非常に軽量でコンパクトな体型を持ち、狭い隙間を自在に動き回ることができます。
その高い機動力や省エネルギー性、さらには損傷を受けてもある程度自己修復できる能力を備えています。
これらの特徴を利用することで、人間や従来のロボットが入り込めない瓦礫の間や狭い空間を自由自在に探索することが可能になるのです。
実際に、2007年には本研究を主導する佐藤裕崇教授らの研究チームが、生きた甲虫(カブトムシの仲間)の飛行を電気刺激によって制御する実験に成功しています。
それが「サイボーグ昆虫」という新たな研究領域を切り開くきっかけとなりました。
それ以来、研究者たちはさまざまな昆虫を使ってサイボーグ化の実験を重ねてきました。
具体的には、昆虫の触角や腹部などに微細な電極を埋め込み、それを電気で刺激して、昆虫が本来持つ動きを人間が望む方向へと誘導していました。
しかし、ここに大きな課題がありました。
昆虫の体は非常に小さく繊細で、微細な電極を正確に挿入するためには、熟練した技術者による精密な作業が必要です。
そのため、熟練者であっても1体のサイボーグ昆虫を作るのに約15分という時間がかかりました。
しかも、この作業はごく僅かな力加減の誤りで昆虫の組織を損傷させるリスクがあり、その成否や出来栄えは技術者の腕に大きく左右されました。
結果として、同じ方法で作っても昆虫の個体ごとに動きの性能にばらつきが出てしまうという問題も生じていました。
災害現場やインフラ点検といった実際の現場では、一匹や二匹のサイボーグ昆虫ではなく、数十匹から数百匹単位で同時に活動させる必要があります。
そのためには、手作業に頼る現状では到底対応が追いつかず、迅速かつ安定して品質を維持したまま大量生産できる自動化技術の開発が求められていました。
そこで研究チームは、「サイボーグ昆虫」の製造工程そのものを根本的に変革し、自動化する仕組みを構築することに挑戦しました。
人の手に依存せず、自動製造ラインでサイボーグ昆虫を大量生産できる未来は実現可能なのでしょうか?
サイボーグ昆虫を大量生産するにはどうしたらいいのか?
この問題を解決するため研究者たちは、AIを活用したロボットアームによる世界初の「サイボーグ昆虫」自動組立システムを開発しました。
具体的にどのようにして昆虫を「サイボーグ化」するのか、順を追って詳しく見ていきましょう。
今回の実験に選ばれたのはマダガスカルゴキブリという昆虫です。
体長が5~8センチメートルと比較的大型で、飛ぶ能力を持っていませんが、穏やかな性格で攻撃性もなく、人間に対して害が少ないため、研究用途として非常に扱いやすい昆虫です。
また寿命が2~5年と長く、丈夫な体構造を持っていることから、サイボーグ昆虫の実験に非常に適した生物として選ばれました。
昆虫をサイボーグ化するためには、体に小さな電子デバイス(電極と制御用の装置)を装着し、電気信号によって動きを制御する必要があります。
そのためには昆虫の体の中でも電気刺激を送りやすく、動きをうまく制御できる最適な位置を探すことが重要でした。
研究チームは様々な検討を重ねた結果、昆虫の背中側、特に前胸と中胸の節の間にある薄い膜状の部分が電極を装着するのに最適であることを発見しました。
しかし昆虫の体はとても小さく繊細なため、この電極の位置を正確に特定し、差し込む作業は従来、熟練の技術者が手作業で慎重に行っていました。
そこで研究チームは、この作業を人間ではなく機械に任せて完全に自動化できるシステムを構築することにしました。
まず、昆虫の体を特殊な器具でしっかりと固定し、動けないようにします。
次に、AIを搭載したカメラを用いて昆虫の体の画像を撮影し、最適な電極装着ポイントを画像認識技術で正確に割り出します。
そして、特注のロボットアームが、その位置に正確に電極を挿入するという仕組みです。
この電極は非常に精巧な作りになっており、3Dプリント技術を使ってABS樹脂をベースにした微小な構造をまず作り、その表面を無電解めっきという特殊な手法で薄く銅で覆った「双極電極」です。
銅は電気を効率よく流すことができるため、この小さな電極によって昆虫の体に確実に刺激を送り込むことが可能になります。
こうした精密な作業を自動化することで、人間が行う場合には熟練者でも約15分もかかっていた昆虫1匹あたりのサイボーグ化の工程をわずか1分8秒にまで短縮することに成功しました。
これは従来の手作業と比べておよそ13倍の高速化であり、さらに人間が作業すると生じる個体差や出来栄えのばらつきをなくし、常に一定の品質で量産できるというメリットも生まれました。
こうして量産されたサイボーグ昆虫がどのくらい正確に人間の思い通りに動くのかを確かめるため、研究チームは詳しい性能評価を行いました。
まず、昆虫を直線的に歩かせながら電気刺激を与えて方向を制御する試験をしました。
結果として、昆虫は左方向には平均約68度、右方向には平均約83度という鋭い角度で俊敏に旋回しました。
これだけの角度で方向を変えられるということは、狭い隙間や障害物の多い複雑な空間でも、自在に経路を調整しながら探索活動が行えることを意味しています。
また、もうひとつの電気刺激パターンでは昆虫の速度を減速させる試験も行われました。
昆虫が歩いている最中に一定の刺激を与えると、速度が約68%低下しました(つまり通常速度の3分の2程度まで減速しました)。
これは例えば災害現場で何か重要なものを見つけたり、昆虫が停止して周囲を詳しく調査する必要がある際に、遠隔操作で適切に停止や減速をコントロールできることを示しています。
研究チームはさらに、このサイボーグ昆虫が実際の現場で役立つかを検証するため、複数の昆虫を同時に遠隔操作する実験を行いました。
具体的には、4匹のサイボーグ昆虫を複雑な障害物が配置されたテストエリアに投入し、どの程度の面積をカバーできるかを調べました。
その結果、わずか10分31秒の短時間でエリア全体の約80.25%を調査することができました。
これは1匹だけでは15%〜45%程度しか調査できない状況と比較して飛躍的に高いカバー率であり、複数のサイボーグ昆虫を協調的に利用することが非常に効率的な探索活動につながることが実証されました。
さらに研究チームは、サイボーグ昆虫のエネルギー効率を高めるための工夫も取り入れました。
昆虫の体に装着する電子装置(電子バックパック)の設計を見直し、従来モデルよりも25%低い電圧で昆虫を動かすことが可能になりました。
これにより、無駄なエネルギー消費を防ぎつつ安定して昆虫を制御できるため、昆虫への負担も減り、より長時間の稼働が可能になります。
また、今回の制御プロトコルでは、刺激を与える時間も従来比約40%に短縮され、昆虫にかかる負担も電力消費も大幅に削減されています。
こうした改善により、災害現場やインフラの点検などの長時間の作業が必要な場面でも、サイボーグ昆虫がより有効に活用できる可能性が広がったのです。
では、このサイボーグ昆虫は実際の災害現場やインフラ点検の現場で本当に役立つのでしょうか?
本年2025年3月、ミャンマーで発生した大地震の被災地において、本研究チームのサイボーグ昆虫が初めて実地の人道救助活動に投入されました。
シンガポールの救助隊と協力しながら、複雑に崩壊した建造物の内部を捜索・調査し、従来のロボットでは困難だった瓦礫内部の探索が可能であることを実証したのです。
これはサイボーグ昆虫が災害救助の現場で本格運用された世界初の例であり、本分野にとって画期的な出来事となりました。
本研究は、サイボーグ昆虫の自動化・大量生産を初めて実現した画期的なものです。
人手に頼らず安定した品質で次々と昆虫ロボットを作れるようになったことで、実際の災害救助やインフラ点検への迅速な投入に向けた道筋が開けました。
例えば地震で崩壊した建物の現場に、十数匹規模のサイボーグ昆虫チームを送り込むことも夢ではありません。
人間や大型ロボットが入り込めない瓦礫の隙間にも彼ら(昆虫)なら潜り込んで生存者の捜索が可能であり、今回示されたようにチームで動けば短時間で効率よく広範囲をカバーできます。
社会インフラの点検や環境調査など、災害以外の場面でも活躍が期待できるでしょう。実際、橋梁のひび割れ検査や下水管内の点検といった用途で、小型ロボットの代わりにサイボーグ昆虫を放つアイデアも考えられます。
昆虫であれば電波が届きにくい地下や水中でも、生物としての高い適応力で踏破できる可能性があります。
低コストで数多く展開できる点も魅力で、ある研究では自律型の小型ロボットに比べ「長時間稼働できて経済的」といったメリットが指摘されています。
研究チームは今回の成果を基に、さらに信頼性と量産性を高めるシステムへの改良を進めるとしています。
今回の技術はまだプロトタイプ段階ですが、今後さらなる改良が進めば実用化に近づくと考えられます。
電極の装着成功率や昆虫への負荷低減など課題は残るものの、研究チームはより頑丈で普遍的な設計にすることで様々なサイズの昆虫にも対応できると報告しています。
将来的には、AIの画像認識精度向上やロボットアームの洗練によって完全自動ラインで次々と昆虫に“改造手術”を施す「サイボーグ昆虫工場」が実現するかもしれません。
そして、その工場から生まれたサイボーグ昆虫の軍団が、人間に代わって危険な現場へと飛び込み、私たちの安全を守る頼もしい小さな救助隊として活躍する日が来ることが期待されます。
参考文献
AI活用しサイボーグ昆虫を自動生産~インフラ点検や探索活動などに応用~
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20250728/index.html
元論文
Cyborg insect factory: automatic assembly for insect-computer hybrid robot via vision-guided robotic arm manipulation of custom bipolar electrodes
https://doi.org/10.1038/s41467-025-60779-1
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部