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次にこの電子の漏れは、活性酸素(ROS)という細胞にとって有害な副産物を生み出します。
チームは、この活性酸素の発生が「もう限界、眠らなければ」というシグナルとして、脳の一部の神経細胞に直接伝わることを突き止めました。
つまり、眠気は身体が休みたがっているというより、「脳が壊れないようにする緊急停止装置」のような働きであるというのです。
実際、ミトコンドリアからの電子の漏れを防ぐタンパク質(AOX)を神経細胞に導入したところ、睡眠欲求が減少。
逆に電子の流入量を意図的に増やした場合には、ハエはより多く眠るようになりました。
さらに驚くべきことに、光によって人工的にミトコンドリアへエネルギーを送り込んだところ、やはり眠気が生じることが観察されました。
この実験は「眠気はエネルギー不足ではなく、エネルギーの過剰が原因である」という仮説を裏付けるものでした。
この研究では、ミトコンドリアの「かたち」そのものも、睡眠に深く関係していることが明らかになりました。
ミトコンドリアは普段、細長く分岐したネットワークのような形をしていますが、睡眠不足になるとこの形が崩れ、「断片化」して小さな粒状になります。
この現象は、細胞内でのミトコンドリアの分裂と融合のバランスが崩れることによって生じます。
チームが意図的に分裂を促すタンパク質(Drp1)を過剰発現させると、ショウジョウバエの睡眠量は減少。
一方で融合を促すタンパク質(Opa1とMarf)を導入した場合には、睡眠時間が大きく増加しました。
このことから、ミトコンドリアの「かたち」が脳の神経活動に影響を与え、それが眠気という行動レベルにまで波及することが示唆されます。
また、睡眠によってミトコンドリアは再び元のネットワーク状に戻り、分裂によって生じた損傷部分は除去され、新たなミトコンドリアが補われることもわかりました。
このような「睡眠によるミトコンドリアの修復」は、単なるエネルギー節約ではなく、細胞の恒常性を保つための重要な機構であり、生命維持に直結するものといえます。
この研究は「なぜ私たちは眠らなければならないのか?」という長年の謎に、ミトコンドリアという古くて新しい視点から答えを提示しました。
エネルギーが足りないから眠るのではなく、エネルギーが多すぎて脳がオーバーロードしてしまうから眠らなければならない――そんな逆説的な真実が、今ようやく明らかになりつつあります。
「眠気」は単なる感覚ではなく、私たちの脳が“電力網の破綻”を防ぐために備えてきた、きわめて本質的な生体反応なのかもしれません。
参考文献
Sleepiness Could Be Triggered by a Power Overload in Our Brain
https://www.sciencealert.com/sleepiness-could-be-triggered-by-a-power-overload-in-our-brain
Why do we need sleep? Oxford researchers find the answer may lie in mitochondria
https://www.ox.ac.uk/news/2025-07-18-why-do-we-need-sleep-oxford-researchers-find-answer-may-lie-mitochondria
元論文
Mitochondrial origins of the pressure to sleep
https://doi.org/10.1038/s41586-025-09261-y
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部