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夜空を見上げて星々の美しさや宇宙の広大さに思いを馳せたことは誰しもあるでしょう。
しかし実はその宇宙から、毎秒何十億という目に見えない粒子が私たちの体を貫いていることを知っていますか?
これらの粒子は「宇宙線」と呼ばれ、中でも最もエネルギーが高い「超高エネルギー宇宙線(UHECR)」は、想像を絶する力を秘めています。
そのエネルギーはあまりにも巨大で、たった一粒子で、私たちが普段目にしている可視光の約100京倍(10¹⁸倍)以上ものエネルギーに達することがあります。
これは例えるなら、原子一粒がプロ野球選手が全力で投げるボールと同じエネルギーを持つことに匹敵するほど驚異的なものです。
しかし驚くべきことに、この途方もない宇宙線がいったい宇宙のどのような場所で生み出され、どのような成分から構成されているのか、現代の科学者たちもまだ完全には解明できていないのです。
超高エネルギー宇宙線が「陽子(水素の原子核)」で構成されているのか、それとも鉄のような「重い原子核」で構成されているのかをめぐっては、40年以上にわたり科学者たちの間で活発な議論が続けられてきました。
なぜこの論争が長く続いてきたかというと、宇宙線が地球にたどり着くまでの間に、多くの要因でその正体が曖昧になるからです。
まず宇宙線の多くは陽子のような電荷を持つ粒子であるため、宇宙空間に存在する磁場によって軌道を大きく曲げられてしまいます。
このため、元の発生源の位置を特定することが難しくなります。
さらに、地球に到達した宇宙線が大気と衝突すると、数多くの粒子が「空気シャワー」と呼ばれる現象を起こします。
地上の望遠鏡はこの空気シャワーを観測することで元の宇宙線の種類を推定しようとしていますが、空気中で起こる粒子反応は複雑で、その理論モデルには多くの不確実性が含まれています。
そのため、ある実験(南米アルゼンチンのピエール・オージェ観測所)は「鉄のような重い原子核が多い」という結果を示唆する一方、別の実験(米国ユタ州のテレスコープアレイ)は「陽子などの軽い原子核が主流である」という結果を示唆するなど、長年にわたり結果が一致しない状況が続いてきました。
こうした中、科学者たちが新たに注目したのが「ニュートリノ」という特別な素粒子です。
ニュートリノは宇宙を「直進」できる唯一のメッセンジャーと言われています。
これはニュートリノが電荷を持たず、物質や宇宙の磁場にほとんど影響を受けない性質を持っているためです。
つまり宇宙の果てで起こった現象から生じたニュートリノは、その現場の情報をほぼ完全な形で地球まで届けてくれるのです。
この性質を利用し、科学者たちは宇宙線の発生源や構成要素に関する手がかりを得ようとしました。
宇宙空間を高速で飛び回る宇宙線(高エネルギーの粒子)が、地球に向かってやって来る途中、宇宙空間を満たしているある特別な光と頻繁に衝突します。
その特別な光とは、「宇宙マイクロ波背景放射」と呼ばれるもので、ビッグバン(宇宙の誕生)直後に宇宙全体を埋め尽くしていた光が、現在まで冷えて残ったものです。
言わば、宇宙が誕生した頃の「名残りの光」が宇宙中を今も飛び交っているというわけです。
この宇宙マイクロ波背景放射と超高エネルギー宇宙線が衝突すると、「宇宙生成ニュートリノ(コスモジェニック・ニュートリノ)」という特殊なニュートリノが生成されることが理論的に予測されています。特に、宇宙線の主成分が比較的軽い陽子(水素の原子核)である場合には、この現象が頻繁に起こりやすくなります。
しかも、この陽子が地球から遠く離れた数十億光年以上も先の宇宙で生まれたものだとすれば、その長い旅路の途中で何度も背景放射と衝突を繰り返し、大量の宇宙生成ニュートリノを生み出して地球に到達するはずなのです。
つまり、もし超高エネルギー宇宙線の正体が陽子主体であるのなら、地球で観測される宇宙生成ニュートリノの量はかなり多くなると期待されていました。
ところが、もし宇宙線が陽子よりも重い原子核(例えばヘリウムや鉄など)で構成されていた場合には、話は大きく変わります。
こうした重い原子核は背景放射と衝突するときに、「ニュートリノを生成する反応」とは異なる「核が分解される反応」を起こしやすくなり、結果としてニュートリノの生成効率が大幅に下がってしまうのです。
また仮に宇宙線が陽子主体であったとしても、その発生源が地球から比較的近い(例えば数億光年程度)場合は、背景放射との衝突回数が少なく、ニュートリノの生成量も限定的になります。
つまり、宇宙生成ニュートリノを観測することができれば、超高エネルギー宇宙線の成分が陽子主体であるかそうでないかを区別することが可能なわけです。
このような背景から、南極に設置されたニュートリノ望遠鏡「IceCube」が、宇宙線の正体を突き止める重要な実験として大きな期待を集めました。
果たして、このニュートリノ望遠鏡はどのような答えをもたらしたのでしょうか――?
ニュートリノ望遠鏡IceCubeは宇宙線の成分についてどのような答えを示したのでしょうか?
謎を解明するために研究者たちが最初に取り組んだのは、約13年間(2010年6月~2023年)の観測期間にわたり、南極点に設置されたニュートリノ望遠鏡「IceCube」が記録した膨大なデータを集め、分析することでした。
IceCubeは1立方キロメートルにも及ぶ透明な氷の中に設置された特殊なセンサーで、宇宙から飛来するニュートリノが氷と反応するときに発するかすかな光(チェレンコフ光)を検出する仕組みを持っています。
このデータ解析にあたり、研究チーム(千葉大学のマイヤー助教、米メリーランド大学のクラーク助教ら)はまず、過去の方法よりも約15%検出感度が高くなる新しいデータ選別手法を導入しました。
これはより正確かつ高感度でニュートリノの信号を拾い上げ、背景となる不要な情報を効果的に取り除くための重要な改善でした。
こうした準備を経て、研究チームは超高エネルギーニュートリノの有無を慎重に調べました。
すると、これまでIceCubeが観測した中で最もエネルギーが高かったニュートリノのエネルギーは約6 PeV(ペタ電子ボルト、可視光の約10¹⁵倍以上)でしたが、今回注目した100 PeVを超えるさらに高いエネルギーのニュートリノは一つも見つからなかったのです。
これは「見つけようと期待されていた超高エネルギーニュートリノがまったく検出されなかった」という驚くべき結果でした。
実は、この「何も検出されなかった」という結果こそが非常に重要な意味を持っていました。
理論上、宇宙線が主に陽子で構成され、宇宙空間を長距離飛ぶ間に宇宙マイクロ波背景放射と頻繁に相互作用を起こすのであれば、必ず大量のニュートリノが生まれ、その一部が地球に届くはずでした。
ところがIceCubeの観測結果は、理論で予測されたニュートリノの数よりはるかに少なかったのです。
(※具体的には、今回の観測によって設定されたニュートリノのエネルギーフラックスの上限値は(E²Φ ≃ 10⁻⁸ GeV cm⁻² s⁻¹ sr⁻¹)という極めて厳しい値となりました。)
これは予測の数分の1以下という非常に少ない数値でした。
このことは、代表的な理論モデルである「宇宙線の主成分は陽子だけである」という仮説が95%の信頼度で否定されたことを意味しています。
つまり宇宙線には陽子以外のより重い元素が相当な割合で含まれている可能性が非常に高いという重要な示唆が得られたのです。
具体的にIceCubeのデータから推定すると、超高エネルギー宇宙線における陽子の割合は最大でも約70%にとどまることになり、残りの約30%は陽子より重い原子核で構成されている可能性が高まります。
これまで多くの研究者が支持してきた「陽子だけ」という仮説は明確に否定され、代わりにヘリウムや炭素、酸素、鉄など、より重い元素の原子核が宇宙線の主要な構成要素であるという新たな姿が浮かび上がりました。
この結果が特に画期的なのは、これまで地上の巨大望遠鏡が使ってきた「空気シャワー観測」とは完全に独立した、まったく新しい視点から同じ結論が導き出されたことです。
空気シャワー観測は、宇宙線が地球の大気と衝突して大量の粒子を放出する現象を観測して元の宇宙線の成分を推測しますが、この方法は大気中の粒子反応が非常に複雑で理論モデルの不確実性が多いため、どうしても結論が曖昧になりがちでした。
そのため、ある実験と別の実験で異なる結果が出るなど、なかなか議論が収束しませんでした。
一方で今回のIceCubeのニュートリノ観測は、宇宙線が宇宙空間で背景放射とぶつかって発生するニュートリノという、明確でシンプルな物理現象だけを観測する方法を採用しています。
このため、理論モデルの不確かさに影響される度合いがきわめて小さく、非常に確かな結果が得られます。
IceCubeのクラーク助教は「私たちニュートリノ望遠鏡がここまで宇宙線の正体に迫れたのは初めてです。今回の成果は、ニュートリノ天文学という分野が長年追求してきた大きな目標をついに現実にしたもので、非常に興奮しています。」と強調しています。
ニュートリノという新たな手法で宇宙線の謎に迫ったIceCubeの成果は、次にどのような展開を迎えるのでしょうか――?
今回のIceCubeによる研究は、「宇宙から降り注ぐ超高エネルギー宇宙線の正体は陽子だけではなく、重い元素の原子核も一定の割合で含まれている可能性が非常に高い」という重要な結果を明らかにしました。
長年、宇宙物理学者たちの間で激しく議論されてきた謎に、初めて明確な制約が与えられたのです。
これまで宇宙線の研究では、地球に降り注ぐ宇宙線が主に「陽子」であるとする仮説が一般的でした。
その理由は、陽子が宇宙空間で最も豊富で安定な粒子の一つであり、宇宙の過酷な環境を超高エネルギー状態で飛び回ることが可能だと考えられてきたからです。
しかし今回IceCubeは、「もし宇宙線のほとんどが陽子であるなら、宇宙空間で大量に生じるはずの超高エネルギーニュートリノをなぜ観測できなかったのか」という重大な疑問を提示しました。
この疑問について研究者たちは「理論上、宇宙線の主成分が陽子であれば、宇宙空間で背景放射と頻繁に相互作用して、必ず超高エネルギーニュートリノが発生します。しかし今回の観測では、そのニュートリノのシグナルがまったく検出されなかったのです。これは、宇宙線に含まれる陽子の割合に対して非常に重要な上限を設定する結果となり、宇宙線が生成される場所やメカニズムを解明するための貴重な手がかりになります。」と述べています。
つまり、「ニュートリノが検出されなかった」という結果そのものが重要な証拠となり、宇宙線の成分を大きく絞り込むことが可能になりました。
IceCubeが導き出した結論によれば、宇宙線の中で陽子が占める割合は、最も高く見積もっても約70%程度です。
これは、これまでの陽子主体の仮説が95%という高い信頼度で否定されたことを意味します。
残りの30%近くは、陽子よりも重いヘリウムや炭素、酸素、そして鉄といった元素の原子核が含まれている可能性が高いという新たな描像が浮かび上がりました。
しかし、ここで新たな疑問が生まれます。
なぜ宇宙は、軽く安定で扱いやすい「陽子」ではなく、より複雑で壊れやすい「重い原子核」をわざわざ高エネルギー状態まで加速するような仕組みを持っているのでしょうか?
これはまるで、硬くて投げやすいボールではなく、あえて壊れやすい陶器の皿を力いっぱい投げ飛ばすような、不自然で奇妙な現象にも見えます。
もしかすると、宇宙線が発生する環境は私たちが想像していたよりも穏やかなものなのか、あるいは私たちがまだ知らない新たな物理法則が作用しているのかもしれません。
この謎は、これからの研究で解き明かされるべき非常に興味深いテーマとなっています。
また今回の研究成果の意義は、宇宙線の謎に迫る手段として「ニュートリノ」がいかに強力であるかを世界に示した点にもあります。
ニュートリノを用いて超高エネルギー宇宙線の成分にここまで直接的かつ明確な制約を与えられたのは、天文学史上初めての快挙です。
IceCube共同代表の一人であるブライアン・クラーク氏(メリーランド大学助教)は次のように語っています。
「ニュートリノ望遠鏡が宇宙線の組成の謎にこれほどまで切り込めたのは今回が初めてです。ニュートリノを通じて宇宙線の起源に迫るという大きな夢がついに実現しました。これは私たち研究者にとって本当にエキサイティングな瞬間です。」
そして、今回の結果を受け、科学者たちはすでに次の目標に目を向け始めています。
その中心的存在となるのが、現在計画されている次世代ニュートリノ望遠鏡「IceCube-Gen2」です。
この次世代望遠鏡は現在のIceCubeと比べて検出体積と感度が約8倍も大きくなる見込みであり、千葉大学をはじめ世界中の研究機関が中心となって開発を進めています。
IceCube-Gen2が完成すれば、今回観測できなかった超高エネルギーニュートリノを直接観測できる可能性があり、それによって宇宙線の発生源そのものを特定する手がかりが得られるかもしれません。
元論文
Search for extremely-high-energy neutrinos and first constraints on the ultrahigh-energy cosmic-ray proton fraction with IceCube
https://journals.aps.org/prl/accepted/22071Y43Off1a48fe53f6e56a9c40ed30d232fa87
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部