広島平和記念資料館には、訪れる人々の足を止める一つの石があります。

それは「人影の石」と呼ばれる、原爆の熱線によって石段に人の姿が焼き付いた跡です。

1945年8月6日の原爆投下の際、住友銀行広島支店の玄関前の石段に座っていた人の影が黒く残ったもので、「死の人影」とも呼ばれています。

まるでその人の最期の瞬間が石に刻み込まれたかのようなこの光景は、見る者に原爆の恐ろしさを強烈に訴えかけます。

この影について、戦後の平和教育を受けた日本人の多くは「人間が一瞬で蒸発して影だけが焼き付いた」「人間が瞬時に炭化してこびりついた」といった話を記憶しているでしょう。

しかしこれらの記憶に残る話は事実なのでしょうか?

目次

  • 「人間が一瞬で蒸発した」は科学的にありえるのか?
  • なぜ石に人の影が残ったのか
  • 「人が蒸発した」という俗説はなぜ広まったのか?

「人間が一瞬で蒸発した」は科学的にありえるのか?

「人間が一瞬で蒸発した」は科学的にありえるのか? / 有名な人の影が焼き付いたとされる石/Photograph by Yoshito Matsushige

原爆の閃光を浴びた後、人や物のシルエットが建物や地面に焼き付いて残る——この事実は当時人々に大きな衝撃を与え、広島・長崎に起きた悲劇を今に伝える貴重な記録となりました。

広島では実際に街中の歩道や壁、橋など様々な場所でこうした「影の跡」が報告されています。

広島市内の住友銀行前の石段に残った人影は特に鮮明であることから、1971年に石段ごと切り取られ、広島平和資料館に保存されることになりました。

爆心地から約260mという近距離で被爆したその石には、長年にわたり多くの人々が「原爆で蒸発した人の痕跡」として注目してきました。

平和学習などで「爆心地付近では人間が一瞬で蒸発し、影だけが焼き付いた」という話を聞いたことがある人は少なくないでしょう。

実際、広島市がまとめた公式記録にも「爆心地から半径500m以内の地域では…ほとんど蒸発的即死に近く…死体も骨片もあまり見当たらないほど焼き尽くされていた」との表現があります。

また、2005年のBBCのドキュメンタリー番組でも、石段に座っていた男性が閃光と同時に煙のように消えてしまうCG映像が描かれました。

こうした描写も手伝って、「原爆の熱で人が跡形もなく蒸発し、その“残り”が石に焼き付いたのだ」というイメージが語り継がれてきたのです。

ですが、この「人体蒸発説」は科学的にはかなり無理があります。

原爆が炸裂した瞬間、火の玉の中心部は推定で数十万度にも達しました。

起爆直後のマイクロ秒からミリ秒の間は、これよりも高い数千万度に達していたと考えられています。

地上もまた瞬く間に灼熱地獄と化し、爆心地直下では数千度(およそ摂氏3000〜4000度)という猛烈な高温に見舞われました。

常識的に、人間は100℃の熱湯にも耐えられないのですから、それをはるかに上回る高熱にさらされれば跡形も残らないように思えるかもしれません。

しかし、人体の約6割前後は水分であり、それをすべて蒸発させるには膨大な熱量と時間が必要です。

(※人体の水分比率は成人男性では平均して60~65%、女性では55~60%程度とされています)

研究による試算では、体重78kgの成人を完全に蒸発させるのに必要なエネルギーは約299万キロジュールと報告されています。

これはTNT火薬に換算して約710kg分に相当するエネルギーですが、その膨大な熱をごく短時間で体全体に均一に注ぎ込まなければ、人間を完全に気化させることはできないと指摘されています。

要するに、現実の原爆がそのような“魔法”を起こすには至らなかったのです。

また、「炭化した人間が背後の石に焼き付いた」という説もしばしば聞かれますが、これも事実とは言えません。

蒸発と同じく人体を一気に炭化させるには、熱が深部まで行き渡るだけの時間とエネルギーが必要です。

しかし、原爆の熱線はあまりにも瞬間的で、表皮を超えて深部まで作用するには至りません。

熱量の合計は「照射時間×熱流密度」と考えられるため、いくら高温でも照射時間が短ければ物体を十分に炭化させることはできないのです。

では何が「人の影」を石に焼き付けたのでしょうか。

なぜ石に人の影が残ったのか

なぜ石に人の影が残ったのか / 人間でなくとも影が焼き付いてしまった事例が米国の資料にも記載されています/Credit:The Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki

何が「人の影」を石に焼き付けたのか?

結論から言えば、この「人影」は決して人そのものが焼き付いたものではありません。

原爆が放った強烈な閃光と熱によって、地表や建物の表面が一瞬にして変色した結果生じた“焼き付き写真”のような現象なのです。

爆発の瞬間、原爆から放出されたまばゆい熱線は周囲のあらゆる物体を照らし出します。

熱線をまともに受けた物体の表面ではあまりの高熱によって「漂白」と呼ばれる現象が起こります。

色素というのは、分子内で電子が自由に動ける仕組み(共役構造)を持っていて、その電子が特定の波長の光を吸収することで色が生まれます。

ところが短時間でもこれほどの高温に達すると、その精巧なバネ構造が熱振動で引きちぎられたり、周囲の酸素と急激に反応して焦げたり揮発したりしてしまいます。

つまり色を生む仕掛けそのものが壊れてしまうのです。

さらに、燃え残った炭素分や顔料の微粒子も、高温酸化で灰やガスへと変わるため、表面にはほぼ無色の鉱物成分や灰色がかった石材だけが残ります。

こうして元の濃い色が消え、光をあまり選ばずに反射する“白っぽい”漂白状態が表れるわけです。

また染料が塗られていない石でも漂白が起こります。

熱線によって花崗岩など鉱物の表面が熱せられると、均一だった表層部分が膨張して微細な凹凸を生み、光の散乱特性を変化させることで反射率を高め、結果として白っぽく見えるという現象が起こるのです。

たとえば何気ない石を拾って表面を強力なレーザーで熱すると、元の石の種類が何であれ熱せられた表面部分は白っぽく変化することになります。

一方、人が遮蔽していた部分は熱線にさらされず、漂白は起こりません。

そのため人間が熱線から遮っていた部分が濃く、それ以外の部分が相対的に漂白により白っぽくなって「影」が浮かび上がることになる――これが人影の石に見られる白黒模様の正体です。

つまり、石段に残った黒い人影は決して「蒸発した人の燃えカス」ではないのです。

実際、2000年に行われた奈良国立文化財研究所の調査は石段に残った影の部分を分析したところ当時の塗料などの付着物が検出されたと報告しています。

では影の元となった人々はどこにいってしまったのでしょうか?

最も妥当な説明は、蒸発ではなく爆風で吹き飛ばされたり、遺体がすぐに搬送されてしまったことでしょう。

爆心に近い場所では遺体の判別や収集が困難な状況にあり、「影だけが残った」と言われる背景にはこうした状況が深く関わっています。

このように原爆の熱線と漂白という観点からの報告は、戦後間もない時期に作成されたアメリカやイギリスの報告書でも明確に記載されています。

ではなぜ「人間が蒸発した」「炭化してこびりついた」という科学的な誤りが多くの人々の記憶に残る事態になってしまったのでしょうか?

「人が蒸発した」という俗説はなぜ広まったのか?

「人が蒸発した」という俗説はなぜ広まったのか? / Credit:Canva

「原爆の熱で人間が一瞬で蒸発した」という表現は、戦後長らく語られてきました。

その背景にはいくつかの要因が考えられます。

1つ目は、遺体が見つからなかったことへの心理的な衝撃が挙げられます。

広島は爆心地近くが焦土と化し、遺骨すら発見できなかった人が大勢いました。

あまりの惨状に「人間が蒸発してしまった」という言葉でしか表現できないほど、人々の姿は跡形もなく消えていたのです。

瞬時に命が奪われ、家族すら遺体と対面できない現実が、この比喩を生んだのかもしれません。

2つ目は、公式記録での使用です。

広島市が1971年に刊行した公式の被害記録『広島原爆戦災誌』にも、爆心地付近では「ほとんど蒸発的即死」に近く、死体も骨片もほとんど見当たらなかったと記されています。

公式な資料にこうした表現が載ったことで、「蒸発」という言い方がある種の事実であるかのように受け取られ、語り継がれる一因となりました。

そしてこの誤解は学校での平和学習を通じて、多くの人々の記憶に残ることになります。

中年以降の方々の中には、学校の先生や講師などから「原爆の熱で人の体が蒸発し影だけ残った」という文言を直接聞いた人もいるでしょう。

3つ目は、メディアでの脚色です。

先にも述べたように2005年放映の英国BBC製作のドキュメンタリー番組『ヒロシマ』では、銀行の石段に座っていた男性が閃光と同時に煙だけを残して蒸発するCGシーンが描かれました。

また商業的な映像作品でも、原爆の熱が人間を煙のようにかき消すシーンがたびたび描かれてきました。

こうした報道や映像表現が俗説のイメージをさらに定着させた面は否めません。

このように、「人間が蒸発した」「炭化した体が石にこびりついた」といった言い伝えは、戦後の混乱や悲劇の伝聞の中で半ば伝説のように形作られ、教育やメディアを通じて広まっていったのです。

原爆投下の悲劇を語るには事実だけで十分です。

しかし蒸発神話は決して「脚色」の一言で済ませられるものではありません。

多くの人命が無数の水分子が気化するように「蒸発的」に失われたという当時の人々の印象は本物だからです。

今後の蒸発神話は物理現象ではなく、人々の受けた衝撃や悲しみの印象を表す感嘆符に進化して語り継がれていくべきでしょう。

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元論文

Manhattan Engineer District『The Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki』(1946)
https://digirepo.nlm.nih.gov/ext/dw/14110660R/PDF/14110660R.pdf?utm_source=chatgpt.com

Samuel Glasstone &Philip J. Dolan『The Effects of Nuclear Weapons』(米国国防省・エネルギー省, 1977)
https://www.atomicarchive.com/resources/documents/effects/glasstone-dolan/chapter12.html?utm_source=chatgpt.com

ライター

川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 原爆が刻んだ「人の影」の科学的真相