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「生きている」とはどういうことでしょうか?
植物や動物が生きていることはわかりやすいですが、ウイルスはどうでしょう?
学校の教科書では、ウイルスは「自力で増殖できず、自分自身でエネルギーも作れないから生物とは呼べない」と書かれています。
細胞を持たず、宿主となる生き物に寄生しなければ増えることができないため、「生命」とは言えない存在として扱われてきました。
また、ウイルスの遺伝子は非常に単純で、生物の遺伝子とは大きく異なることも「生命」から外される理由のひとつでした。
というのも古くから言われている生物の要件としては
①自己複製能力
②代謝能力(エネルギー生産能力)
③膜による内外の区別
という3つが知られていたからです。
ところが近年、この常識が大きく揺らぎ始めており、代謝機能を著しく失っている生物や自力での増殖ができない生物なども報告されており、これらの要件に従った生命の定義が揺らいでしまいます。
さらに2000年代以降、「ウイルスより単純な生物」や「単純な生物より複雑なウイルス」が次々と見つかり、これまでの区別の仕方では追いつかなくなってきたのです。
そのため一部の科学者からは、「ウイルスも『細胞を持たない生命』として、生命の仲間に含めるべきだ」という意見も出ています。
一方、生命の歴史を表した「生命の系統樹」も、DNA解析技術の進歩とともに大きく変わりつつあります。
特に注目されているのが、私たちヒトや植物のような「真核生物(しんかくせいぶつ)」の祖先に近い可能性を秘めた「アスガルド古細菌」です。
この微生物は2010年代に見つかり、生命の系統樹の形を大きく変えました。
さらに、「DPANN古細菌」や「CPR細菌」など、従来の分類には収まらない謎の微生物が次々と見つかっています。
これらの微生物の発見は、私たちが考える「生命の姿」や「生命の境界線」を大きく変える可能性を秘めています。
そんな中、今回の研究チームは、ある特別な微生物に目をつけました。
それは海の中にいる「渦鞭毛藻(うずべんもうそう)」という小さなプランクトンの中で、他の生き物に頼って暮らす「共生微生物」です。
渦鞭毛藻は、自分の体内に様々な微生物を共生させることが知られていますが、研究者たちはそこに「生物の限界」を探るヒントがあるのではないかと考えました。
(※実際に研究チームが調査を行ったのは、日本の静岡県の下田沖で採取された「キタリステス・レギウス(Citharistes regius)」という種類の渦鞭毛藻です。)
この渦鞭毛藻は体内に複数の微生物を共生させており、科学者たちはこれらの微生物の遺伝子を詳しく調べました。
一体この共生の微生物は、どのような特徴を持っていたのでしょうか?
なぜ渦鞭毛藻の体内にいる微生物どんな存在なのか?
謎を解明するため研究者たちはまず、この奇妙な微生物の遺伝情報(ゲノム)を詳しく調べました。
すると、この微生物は古細菌(こさいきん、アーキア)という生物グループに属することが判明し、研究チームはこれを「カンディダトゥス・スクナアルカエウム・ミラビレ(Candidatus Sukunaarchaeum mirabile)」と呼称することにしました。
「スクナ」とは日本神話に登場する小さな神様「少名毘古那(スクナビコナ)」から取られており、ゲノムが古細菌としては最小であることに由来しています。
「ミラビレ」はラテン語で「驚くべき」「不思議な」を意味します。
名前が示すように、そのゲノムサイズは研究者を驚かせるほど小さなものでした。
ゲノムの長さはわずか23万8000塩基対で、これは古細菌の中では最も小さく、一般的な細菌の数百万塩基対に比べると桁が1つ小さくなっています。
(※より小さいゲノムサイズとしては共生バクテリアのNasuia deltocephalinicola(11万2000塩基対)などが知られています)
このサイズは一部の大型ウイルスとほぼ同じか、それ以下の大きさでしかありません。
では、これほど小さなゲノムには一体どんな遺伝子が含まれているのでしょうか。
詳しく調べたところ、タンパク質を作るための遺伝子はわずか189個しか含まれていませんでした。
さらに、その半分以上がDNAの複製やタンパク質を合成するための基本的な機能に関わる遺伝子でした。
具体的にはリボソームやtRNA、mRNAなど、細胞が自分の遺伝子を読み取り、タンパク質を作るための最低限の装置がそろっていたのです。
一般的なウイルスはこうしたタンパク質を作る装置を自分では持っていないため、宿主細胞のシステムを乗っ取って利用します。
ところがスクナアルカエウムは、小さいながらも自前の「タンパク質工場」を持っていたのです。
一方で、通常の細胞が持っているはずの機能が大幅に失われていました。
特に、生きていくためのエネルギーを作り出す「代謝」に関する遺伝子がほとんど見当たりませんでした。
通常、生き物は糖や脂肪などを分解してエネルギーを得ることで自力で生存しますが、この古細菌は自分でエネルギーを生み出す能力をほぼ完全に失っていたのです。
このことから、この微生物はエネルギーを宿主から奪わなければ増殖どころか生きることすら難しいことが推測されます。
研究チームは、スクナアルカエウムがプランクトン(渦鞭毛藻)の細胞内や表面に寄生し、その栄養やエネルギーを奪って生きていると考えています。
さらに特異なのは、宿主に対する貢献も見当たらない点です。
他の共生微生物では、自力では生きられない代わりに宿主に必須アミノ酸やビタミンなど何らかの有益な物質を提供する例が知られています。
こうした「贈り物」によって、少なくとも宿主への負担を減らし共生関係を成り立たせていると考えられます。
しかしスクナアルカエウム・ミラビレの場合、現時点の解析ではそうした有用物質を作る能力がほとんど見当たらず、宿主への貢献はないと推定されています。
以上の特徴から、スクナアルカエウム・ミラビレは細胞という形こそ持つものの、生態はウイルスに限りなく近いといえます。
まさに細胞としての姿を保ちながら、ウイルス的な宿主依存の特異な生存戦略をとる存在なのです。
このような微生物の存在は、生物とウイルスの境界を考える上で重要な研究対象となっています。
では、この微生物は系統的にはどこに位置付けられるのでしょうか?
遺伝子配列の系統解析によると、スクナアルカエウム・ミラビレは確かに古細菌ドメイン(細菌とは異なる生物の大グループ)に属しますが、既知のどの門(フィラム)にも属さない系統的に深い分岐に位置することが明らかになりました 。
いくつかの解析モデルではメタン生成古細菌のグループ(メタノバクテリア)や、ナノアルカエウムが属するDPANN系統(ナノブデラティ)に近縁だという結果も出ましたが、モデルによって推定が異なり、統計的な裏付けも弱い状況です。
つまり、系統樹上のどの既知グループにも属さず、枝分かれが非常に古い独自系統である可能性が高いのです。
研究チームは、この未知の系統について論文上で「スクナクレード(Sukuna-clade)」と命名し、これは古細菌の新たな門(フィラム)あるいはそれ以上の巨大な分類群になり得ると提案しています。
今回の研究によって、生物とウイルスの境界線が、実は明確な一本の線ではなく、非常に曖昧であることが示されました。
これまで私たちは、生物は細胞を持ち、自力で栄養を作り出し、自己複製できる存在だと考えてきました。
逆に、ウイルスは細胞を持たず、自分では栄養もエネルギーも作れず、宿主の細胞に入り込んで乗っ取らなければ増殖できないため、「生物ではない」と考えられてきました。
ところが今回見つかったスクナアルカエウム・ミラビレは、細胞という生物らしい特徴を保ちながら、栄養を作り出す能力をほぼ完全に失い、宿主に完全に依存するという、まるでウイルスのような生活をしているのです。
これは生命の定義を考える上で非常に大きな発見です。
研究者たちは、この微生物がどうしてこんなにも不思議な性質を持つようになったのか、その進化の謎にも注目しています。
一つの可能性として考えられているのは、もともと自力で栄養を作れる普通の生物だった祖先が、長い進化の歴史の中で宿主との関係に適応していった結果、どんどん余計な遺伝子を失い、最終的に自力では何もできない極端にシンプルな生物へと変わったという説です。
こうした進化は、生物が他の生物と共に暮らす中で起きる、いわば「進化のコストカット」です。
必要なものだけを残し、余分なものを捨て去って効率化を極めていった結果、ウイルスのように宿主に全面的に頼る存在になってしまった可能性があります。
一方で、逆の視点から見ると、スクナアルカエウムのような微生物は、原始的な生命の姿を再現している可能性もあります。
地球上で生命が誕生した初期の頃、生き物は非常に単純な構造で、ウイルスに近いような性質を持っていたかもしれない、という仮説もあるのです。
もしこれが正しければ、スクナアルカエウムはまるでタイムカプセルのように、太古の生命の姿を私たちに見せているのかもしれません。
また、スクナアルカエウムの発見は、生命の進化の可能性がいかに多様であるかも示しています。
生命は単純なものから複雑なものへと一直線に進化するだけでなく、逆に単純化する方向へも進化します。
さらに、生命同士が融合したり、分離したりといった複雑な変化も知られています。
例えば私たちの体の中にあるミトコンドリアという細胞内器官は、もともと独立した細菌が別の生物に取り込まれて細胞の一部となったものです。
同じように海のプランクトンの中にも、シアノバクテリアが取り込まれて新しい細胞内器官に進化した例があります。
こうした生命同士の融合や共生は、進化の歴史の中で何度も起こってきました。
スクナアルカエウムも、今は宿主に寄生しているだけですが、将来的に宿主に何らかのメリットを与える共生関係へと進化する可能性もあります。
今回の発見が特に科学者たちの注目を集めるのは、スクナアルカエウムがこれまでの生物の分類体系にまったく当てはまらない、新しい系統に属していることが分かったからです。
研究チームはこの新たなグループを「スクナクレード(Sukuna-clade)」と名付け、これは新しい門やそれ以上の大きな分類になる可能性があると指摘しています。
このことは、地球上にはまだ私たちがまったく知らない未知の生命が多数存在し、私たちがこれまで考えていた「生命の枠組み」を根本から書き換えるような可能性を秘めていることを意味します。
スクナアルカエウムは「生命の最小限界」を示す存在として、生命科学の根本的な問いをもう一度考え直すきっかけを与えてくれました。
元論文
A cellular entity retaining only its replicative core: Hidden archaeal lineage with an ultra-reduced genome
https://doi.org/10.1101/2025.05.02.651781
ライター
川勝康弘: ナゾロジー副編集長。 大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。
編集者
ナゾロジー 編集部