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宇宙がどれほどの速度で膨張しているかを示すのが「ハッブル定数(Hubble constant, H₀)」です。
この値は「1メガパーセク(Mpc:およそ326万光年)離れた天体が、毎秒何キロメートルの速さで遠ざかっているか」を示すもので、単位は km/s/Mpc です。
たとえば H₀ = 70 km/s/Mpc であれば、326万光年離れた銀河は毎秒70kmの速さで私たちから遠ざかっていることになります。
このハッブル定数の値を求める方法には主に2つあります。
1つはは、ビッグバンから約38万年後に放たれた「宇宙マイクロ波背景放射(CMB)」のパターンを詳しく解析し、そこに刻まれた宇宙の初期条件をもとに、理論モデル(ΛCDM)を用いてハッブル定数を“計算で導き出す”方法です。
CMBの観測には人工衛星(たとえばESAのプランク衛星など)が用いられ、非常に高い精度で測定が行われます。
もう1つは、現在の宇宙における「Ia型超新星」という宇宙のどこで起きても明るさが同じという爆発現象を観測し、それらがどれだけ赤方偏移しているか、つまりどのくらいの速度で遠ざかっているかを測定する方法です。
その超新星がどれくらい離れているかは、「セファイド変光星」などを使って正確に測ります(この手法を「宇宙の距離はしご」と呼びます)。これにより、現在の宇宙の膨張速度が直接的に得られるのです。
この2つの方法は、片や初期宇宙の理論に基づく“過去”からの推測、もう一方は“現在”の宇宙の観測に基づく直接的な測定という違いがあります。
この差異は、単なる誤差では説明できないほど明確で、天文学の中でも大量のデータを用いた慎重な分析から導かれたものです。
異なる観測手法で得られるこれらの値の“ばらつき”は、統計的にも有意であり、「5シグマ(標準偏差)」と呼ばれるレベル、つまり偶然にこうした差が出る確率は極めて低いとされています。ここでの「シグマ」とは、たくさんの観測結果の中で、どれだけ値にばらつきがあるかを示す目安です。
このハッブル定数のズレは、初期宇宙(CMB)と現在の宇宙(超新星)の膨張率が異なっているという「時間的な違い」を意味するだけでなく、宇宙の“遠く”(辺境)と“近く”(近傍)で観測される膨張の様子が異なるという、「空間的な広がり」におけるズレも示唆しています。
なぜなら、私たちが宇宙を観測するときは、光の速度に限界があるため、遠くを見るほど昔の宇宙の姿を見ていることになるからです。つまり、「遠い=過去」「近い=現在」という観測の性質上、空間的な広がりはそのまま時間的な深さと重なっているのです。
この“観測のズレ”を「ハッブル・テンション(Hubble tension)」と呼びます。直訳では「ハッブル定数の緊張」となってしまいますが、実際には「異なる観測により得られた膨張速度の不一致」を意味する専門用語です。
この問題に対して、これまでにも多くの仮説が提案されてきました。
たとえば、ダークエネルギーの性質を変更する理論、新しい未知の粒子(ダークフォトン)を仮定するモデルなどがありますが、いずれも現行の標準宇宙モデル(ΛCDM)との整合性に課題があり、決定的な解決には至っていません。
この問題に対して、今回の研究者の1人ハワイ大学のサプディ氏は、「星も銀河も、ブラックホールもすべて回っているなら、宇宙全体も回っているのではないか?」と考えたのだと言います。
ハッブル定数のズレという問題に対して宇宙そのものにわずかな「回転」を導入することで整合を図るというのは、これまでにない視点からのアプローチです。
今回の研究では、ハッブル・テンションを説明する一つの可能性として、「宇宙全体がごくわずかに回転している」という仮説が提案されました。ここで言う「回転」とは、地球や銀河のように“天体が回る”ことではなく、時空そのものがわずかな角運動量を持っているという意味です。
研究チームは「暗黒流体(dark fluid)モデル」を採用しました。これは、ダークマター(暗黒物質)とダークエネルギー(暗黒エネルギー)を一つの統合的な“流体”として扱い、宇宙全体の膨張とその力学を記述する理論です。
このモデルにゆっくりとした回転(現在の角速度 ω₀ ≈ 0.002 Gyr⁻¹)を加えると、CMBから求めた膨張速度と、超新星からの観測値がうまく一致することが数値シミュレーションで示されました。
では「宇宙が回転している」とは、どういうことなのでしょうか。
ここで言う回転は、空間の中のものが動いているのではなく、「空間そのものが角運動量を持っている」という考え方です。これは、空間と時間をあわせて扱う「時空」が、わずかにねじれているような状態です。
研究チームは、非膨張系の物理座標を使った数理モデルで、この時空の回転が膨張に与える影響を計算しました。
論文ではこのような図で、宇宙の膨張を粒子の“外向きの流れ”としてモデル化しており、その流れにわずかな回転を加えることで観測と整合する拡がり方になると説明しています。
宇宙が回転していると聞いて、多くの物理学者が真っ先に懸念するのが、「閉じた時間的ループ(Closed Time-like Curve, CTC)」の問題です。
私たちは「宇宙が回ると言われる」と、球体のようなものが回っている様子をイメージしてしまいがちですが、宇宙とは何らかの空間に浮かぶ物体ではなく、それ自体が時空(時間と空間)で構成された構造体です。
このような構造が回転した場合、時間まで回転するという解釈が生まれてくるのです。
そのため宇宙が回転していると、時空の構造がねじれ、ある特定の経路を通って未来から過去に戻るような“閉じた時間的ループ(CTC)”が生じる可能性があるのです。
これは理論的には“タイムトラベル”と同等の現象を意味し、因果律(原因と結果の順序)を破る深刻な問題となります。
こうした懸念に対処するため、今回のモデルでは、回転の強さを光速以下に抑えることで、こうしたループが発生しないように設計されています。
具体的には、宇宙の観測可能な地平面の内部で、どの点においても物体の運動が光速未満にとどまるよう、回転の強さ(ω₀)を制限しているのです。これにより、因果律(原因が結果に先立つというルール)を破るような構造にはなりません。
「宇宙全体がゆっくりと回っている」というアイデアは、にわかには信じがたいかもしれません。
しかし、今まで説明できなかった“観測のズレ”を自然に解消できるとすれば、私たちの宇宙観を塗り替える発見になる可能性があります。
もちろん、この説はまだ仮説にすぎません。今後は一般相対論を用いたより正確なモデルの構築や、他の観測データとの整合性の検証が求められます。
それでも、「星も銀河も、ブラックホールもすべて回っているなら、宇宙全体も回っていてもおかしくはないのでは?」というシンプルな問いから始まったこの研究には、科学の原点である“素朴な疑問”の力強さを感じさせられます。
海外のネット上では、宇宙が回転しているというこの仮説が、宇宙が巨大な回転ブラックホールの内部に存在するというアイデアと関連するのではないか? という話でも盛り上がっています。これは、宇宙の起源や構造に関する我々の空想の幅も広げてくれます。
私たちが見上げる夜空は、もしかすると、壮大な回転の中で静かに広がっているのかもしれません。
参考文献
UH astronomer finds the universe could be spinning
https://www.hawaii.edu/news/2025/04/14/universe-could-be-spinning/
元論文
Can rotation solve the Hubble Puzzle?
https://doi.org/10.1093/mnras/staf446
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部