- 週間ランキング
しかし、アラミド繊維にはいくつかの欠点があります。
高い剛性を持つ一方で、柔軟性には限界があります。
例えば、防弾チョッキや航空機の構造材など、衝撃耐性や剛性が求められる分野には適していますが、極端に曲げたりねじったりする用途には向いていません。
そのため、衣類や医療用の縫合糸のような、しなやかさが求められる用途では十分に機能しません。
また、アラミド繊維の製造には高温・高圧の化学プロセスが必要であり、その過程で有害な廃棄物や温室効果ガスが発生します。
さらに、分解されにくいため廃棄後のリサイクルが困難で、環境への負荷が大きいという問題もあります。
そのため、より持続可能な代替素材の開発が求められているのです。
そこで注目されるのが、クモの糸です。
クモの糸は、アラミド繊維に匹敵する強度を持ちながら、驚異的な伸縮性を兼ね備えています。
さらに、タンパク質由来の素材であるため、生分解性が高く、環境に優しいという特長もあります。
しかし、クモの糸の人工的な再現は極めて困難でした。その理由は、その分子構造にあります。
タンパク質「スピドロイン(spidroin)」でできたクモの糸は、分子レベルで見ると、非常に精密なβシート構造(beta-sheet structure)を形成しています。
これは、タンパク質の分子が層のように並び、強固な結びつきを作ることで、並外れた強度を生み出す仕組みです。
この構造のおかげで、クモの糸は衝撃に強く、しなやかさも兼ね備えています。
クモはこの性質を活かし、獲物を捕まえる網を作るだけでなく、自身の移動や安全確保にも利用しています。
クモの糸を人工的に作るだけでは、天然のものと同じ強度やしなやかさを再現できません。
なぜなら、クモは糸を紡ぎながら、一部を強く引っ張ることで分子を整列させ、別の部分では緩めて柔軟性を保つという、極めて精密な調整を行っているからです。
まるで職人が織物を織るように、クモは環境に応じて糸の特性を変えているのです。
そこで今回の研究では、クモの糸を引き伸ばすことで強度を向上させるという新たな方法に注目しました。
ノースウェスタン大学とワシントン大学の研究チームは、人工的に作られたクモ糸を引き伸ばしたときに起こる変化を徹底的に調べました。
その結果、糸を引っ張ると分子が整列し、水素結合が増加することがわかりました。
これにより、引き伸ばされたクモの糸は、未処理のものと比べて最大250%の強度向上を示し、さらに高い弾力性を持つようになったのです。
研究を主導したノースウェスタン大学のシナン・ケテン(Sinan Keten)教授は、クモの糸が引き伸ばされることで強くなることは以前から知られていたものの、その理由は解明されていなかったと述べています。
しかし、今回の研究では分子動力学法というコンピューターシミュレーション手法を用いて、ナノスケールで何が起きているのかを解析することで、引き伸ばしが糸の強度にどのように影響するのかを明らかにしました。
この発見は、人工クモ糸の製造プロセスを最適化し、より実用的な素材へと進化させる道を開くものです。
今回の研究成果により、人工クモ糸の実用化が大きく前進しました。
この技術が確立されれば、医療分野では強靭で生体適合性のあるクモ糸が、外科用縫合糸や人工血管として活用される日が来るかもしれません。
また、防弾ベストや宇宙服の新素材としての利用も期待できます。
さらに、環境負荷の低減にも貢献できるでしょう。
クモの糸が未来の材料科学を変える日が、もうすぐそこまで来ているのかもしれません。
参考文献
Stretching spider silk makes it strongerhttps://www.mccormick.northwestern.edu/news/articles/2025/03/stretching-spider-silk-makes-it-stronger/
元論文
Nanoconfinement enables remarkable mechanical enhancement in biomimetic spider silk fibers
https://doi.org/10.1126/sciadv.adr3833
https://www.doi.org/10.1126/sciadv.adr3833
ライター
相川 葵: 工学出身のライター。歴史やSF作品と絡めた科学の話が好き。イメージしやすい科学の解説をしていくことを目指す。
編集者
ナゾロジー 編集部