人類史を振り返ってみると、いつの時代にも忌まわしき蛮行が散見されます。

1932年から1972年にかけてアメリカで行われたタスキギー梅毒実験もその一つです。

この事件を知っているという方は少ないでしょうが、これは「アメリカ合衆国の歴史上おそらく最も忌まわしい人体実験」の一つであると言われています。

その実験では一体何が行われ、どんな人々が被害に遭ったのでしょうか?

目次

  • 「タスキギー梅毒実験」とは何だったのか?
  • 非倫理的な人体実験!内部告発から終焉へ

「タスキギー梅毒実験」とは何だったのか?

タスキギー梅毒実験が行われたのは、アメリカ南東部アラバマ州のメイコン郡にあるタスキギーです。

タスキギーは歴史的に住民の大半をアフリカ系アメリカ人が占める町であり、2020年の国勢調査では住民の約96%が黒人となっています。

この実験はアメリカ公衆衛生局(PHS)主導のもと1932年から実施され、タスキギーに暮らす貧しい黒人労働者たちを対象に臨床実験が始まりました。

その研究目的は「梅毒を治療せずに放置した場合の症状の進行を長期にわたって観察すること」でした。

被験者として登録されたのは、黒人の小作農たち約600名です。

そのうち、399名は実験開始前から梅毒に感染しており、残りの201名は梅毒にかかっておらず、比較対象群として追跡されています。

彼らには米国政府の特別な医療プログラムに参加しているという説明がされていましたが、研究の真の目的は伝えていませんでした。

タスキギー実験の被験者から採血する医師 / Credit: ja.wikipedia

そもそも彼らのほとんどは正規の教育を受けていない貧しい労働者たちで、自分たちが研究に参加しているという認識すら持っておらず、無料で診療が受けられるようになったと逆に喜ばれていたといいます。

これは当時のアフリカ系アメリカ人コミュニティでは、医療アクセスが非常に制限されていたという事情も関係しています。彼らにとって診療が受けられるという事自体が貴重な機会だったのです。

そのためこの研究では、症状に苦しんでいる患者にも「悪い血液の治療をしている」という説明をしていました。

”悪い血液(Bad blood)”とは、貧血や倦怠感などの症状を含め、当時のアメリカ南部の黒人社会において最大の死亡原因を指す言葉として使われていたものです。

しかし実際は彼らが受けていたのは診療ではなく、単なる梅毒の進行状況を調べるための検査でした。

梅毒トレポネーマの電子顕微鏡の写真 / Credit: ja.wikipedia

そもそも「梅毒」とは、どんな病気なのでしょうか?

梅毒は梅毒トレポネーマという細菌に感染することで起こる感染症です。

主に性行為によって感染し、発症すると性器や口内にしこりやただれが発生し、痛みや痒みのない発疹が全身に広がります。

治療をしないまま放置すると、数年から数十年かけて心臓や血管、脳などの臓器に病変が生じ、最悪の場合は死にいたるケースもあります。

元々、この臨床実験は6カ月程度実施するだけの予定だったようです。しかし、実際にはその後40年間にもわたって継続されました。

上述した通り、被験者たちはこの実験プログラムにおいて「治療を受けている」と認識していました。

それは実際、研究者側も治療しているという虚偽の説明をしていたためです。しかし、実際には何の治療もせずに、ただ採血やプラセボ(偽薬)の投与を続けていただけでした。

梅毒トレポネーマに侵された病理組織 / Credit: ja.wikipedia

ただ、この研究が始まった1930年代は、まだ梅毒に有効な治療法自体が確立されていませんでした。

その後、1940年代に抗生物質の「ペニシリン」が梅毒に有効であることが明らかになるのです。

ところが、梅毒の有効な治療法が明らかになって以降も、この研究プログラムは終了せず、被験者にあえて適切な治療をしないまま継続されたのです。

タスキギーの人々はただ、梅毒を放っておくとどうなるかを調べるために、実験のモルモットにされたのです。

非倫理的な人体実験!内部告発から終焉へ

タスキギー梅毒実験の驚くべき点は、それがまったく秘密にされていなかったことでした。

PHSの研究者らは1936年から権威ある医学雑誌に実験結果を公表しており、1955年には研究対象となった男性患者の30%超が梅毒症状の進行によって死亡したことも報告していたのです。

タスキギー実験の内容は研究者の間ではかなりオープンであったにも関わらず、数十年もの間、誰も抗議することがありませんでした。

採血される被験者(1953年ごろ) / Credit: ja.wikipedia

しかし悪の所業を黙って見過ごさなかった人物がついに現れます。

1965年12月、若き疫学者のピーター・バクストン(Peter Buxtun、当時27歳)は公衆衛生局に雇われて、タスキギー梅毒実験の調査に赴きました。

そこでバクストンはタスキギー梅毒実験の真実を知り、自らが目撃したことに驚きを隠せませんでした。

彼は「アメリカ公衆衛生局がそんなことをやっているなんて、とても信じたくなかった」と話しています。

バクストンは1966年に調査報告をまとめた抗議文書をアメリカ疾病予防管理センター(CDC)に送り、直ちに実験を中止するよう嘆願しました。

しかしCDCはバクストンの申し出を却下し、この臨床実験が「完了」するまで継続する必要があると確認されたのみでした。

このときの「完了」とは「被験者が全員死亡して解剖を受けるまで」を意味したといいます。

内部告発を行ったバクストン(1937〜2024) / Credit: en.wikipedia

それでもバクストンは諦めませんでした。

最終的にバクストンは1970年代に入って、タスキギー梅毒実験の実情をマスコミにリーク。

この内部告発はアメリカ国内に大きな波紋を呼び、さらには国際的な非難を受ける問題にまで発展しました。

そして1972年10月、タスキギー梅毒実験はついに中止され、生き残った患者たちも直ちに適切な治療を受けました。

被験者たちの集合写真 / Credit: ja.wikipedia

しかし実験の被害者は少なくありませんでした。

この研究が終焉する1972年までに生きていたタスキギーの被験者はわずか74名で、最初の399名のうち、28名は梅毒の悪化で死亡し、100名が梅毒の合併症で亡くなっています。

また彼らの配偶者40名にも梅毒の感染が確認され、19名の子供が生まれつき梅毒を持った状態で生まれました。

こうした非倫理的な所業ゆえに、タスキギー梅毒実験は「アメリカ合衆国の歴史上おそらく最も忌まわしい人体実験」の一つと言われています。

1997年5月16日には、当時の合衆国大統領ビル・クリントンが、実験の被害者に対し合衆国を代表して公式に謝罪をしました。

クリントンは「アメリカ政府がしたことは恥ずべきことだ…アフリカ系アメリカ人市民の皆さん、連邦政府が明らかに人種差別的な調査を画策したことを残念に思います」と述べています。

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参考文献

Remembering the Tuskegee experiment: when rural Alabama Black men were intentionally exposed to syphilis with no treatment
https://www.zmescience.com/science/news-science/what-was-tuskegee-experiment/

ライター

大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。 他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。 趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。

編集者

ナゾロジー 編集部

情報提供元: ナゾロジー
記事名:「 「梅毒をわざと治療しない」アメリカ史上もっとも忌まわしき人体実験とは?