高回転高出力を魅力のひとつとするモーターサイクル用エンジン。エンジンの挙動にライダーが敏感であり、商品性に直結するからこそ、フィーリングの追求には余念がない。そうした状況において、エミッションとのパフォーマンスはどのように両立しているのだろうか。ヤマハ発動機のエンジニア諸氏に訊いた。
TEXT:高橋一平(TAKAHASHI Ippey)
二輪車においてNOxの規制が本格化したのは2006年のこと。欧州でEURO3規格が導入され、それに準ずるかたちで日本国内でも「平成18・19年規制」を施行、NOx排出量はそれまでの0.3g/kmから0.15g/kmと、大幅に削減が求められることとなったのだ。
これ以前の二輪車では、ほとんどの場合、現在の自動車に用いられている三元触媒のような後処理装置を持たず、持っていたとしても排気管への二次空気を導入するエアインダクション、もしくはそれに酸化触媒(二元触媒)を組み合わせた、HCやCOの処理を目的としたものだった。NOxについては、ほぼ後処理なしでクリアできる程度の規制値だったのだ。
そもそも、一般的な自動車と比較すると、走行性能を成立させるうえでの必要最低限の要素だけで構成されると言っても過言でない、シンプルでコンパクトな二輪車では、装備の追加が容易ではないという事情があった。キロ単位はもちろんのこと数百グラム単位の重量追加でも、その場所によっては操縦性と安定性能に大きな影響を及ぼしてしまう。
さらには三元触媒に不可欠ともいえる空燃比制御に必要な電子制御インジェクションも2000年代に入ってようやく普及と、規制しようにも技術的な問題も少なくなかった。
卵が先かニワトリが先かという側面もあるが、2006年という時期はさまざまな要素が熟したタイミングでもあった。特に技術的な制約というよりも、コスト上の都合もあってインジェクション化の波が最後に訪れた原付などの小型クラスでは、この時期を待たずに前述の規制をクリアすることは現実的に不可能だったはずだ。
現在、スクーターを除く二輪車の多くはエンジン下側に触媒を装備する。4気筒などのマルチシリンダー車であれば、排気管の集合部とサイレンサーの間、もしくはもう少し下流のサイレンサー入口の内部と、その場所はだいたい決まっている。
これは前述のように二輪車ではその構成上スペースが確保できる場所が限られているためだ。触媒の都合を考えれば、エンジンの排気ポートから出てすぐの場所で排気管をまとめ、そこに置くのが良いはずだが、一般的な並列配置のマルチシリンダー車では、そこはエンジン近くまでストロークするフロントタイヤのためのスペース。仮にここに触媒を置くためには、エンジンとフロントホイールの距離を大きく取る必要があるのだが、ほんのわずかな寸法が操縦安定性に大きな影響を及ぼす二輪車において、これは大きな問題だ。そのような配置ではスポーツバイクはまず成立しない。二本のタイヤだけで地面を捉えて走る二輪車では、自動車のように後輪の舵角制御などのような“逃げ道” は存在しないからだ。
さらに言えば、排気ポートから集合部までの距離を長くとったエキゾーストパイプ(エキゾーストマニフォールド)には、二輪車の持つ大きな魅力のひとつである高い動力性能を支えるという重要な目的もある。
もちろん、このような位置に置かれる触媒の性能を最大限に引き出すべく、点火時期の遅角やエアインダクション機構による二次空気の導入など、さまざまな工夫が凝らされる。寸法こそ異なるものの、触媒そのものは自動車に用いられるそれとまったく同じ。エンジンの方で触媒の都合に合わせているというわけだ。
「 二輪だからといって(排出ガスの素性)に特別なことはありません。でないと三元触媒は使えませんから」(エンジニア氏)
興味深かったのは古き良き二輪の象徴的な存在である空冷エンジンでも、この傾向は変わらないということ。
「 空冷は温まりやすいので、触媒の早期活性化などメリットもあります。空冷だからやりづらいということはありません」(エンジニア氏)
ヤマハでは現在でも多くの空冷エンジン車をラインアップに残している(2016年執筆当時)。なかでも400ccの単気筒エンジンを搭載するSR400は、1978年から続くという超ロングセラー。当然のように当初の燃料供給はキャブレターによるものだったが、環境対応のために2009年にインジェクション化(正確には2008年に一度ラインアップから姿を消したうえでの再登場だった)。既存の継続モデルとして2017年から適応されるEURO4規制にも対応予定で、2020年からのEURO5規制についても対応を視野に開発が進められているという。
2006年から始まったEURO3に対応するだけであれば、キャブレターでも可能だったが、先々を見据えて電子制御式インジェクションを導入している。
ちなみにこのSR400、その登場は1978年だが、もともとはXT500と呼ばれる1976年登場のオフロードモデルをベースとしており、エンジンについては40年も前のものということになる。それが最新技術で現在も堂々と走り続けているとは実に感慨深い。感性にこだわり、ハンドリングなどでも独特な世界観を貫き続ける同社の姿勢が伺えるところだ。
半ば蛇足になるが、かつて北米でマスキー法が施行され、その余波が二輪車にも及び始めた頃、誰もが時代の終焉を迎えると信じて疑わなかった2ストロークエンジンを、同社は情熱的に取り組み、見事に花開かせたというエピソードがある。バイク愛好家でなくともその名を聞いたことがあるであろう、2ストローク並列2気筒のRZ250/350だ。
オートバイらしいシンプルな構造と、そのパワーフィールから人気の高かった2ストロークエンジンにこだわり、RZの前身となる空冷並列2気筒のRD400(1979年)にHCとCOを抑える排気デバイスを追加した同社は、より感性に訴える性能と環境性能を両立すべく、その次世代モデルとなるRZ250/350で水冷化を敢行(北米や欧州ではRD350LCとして販売)。水冷は当時、同クラスの二輪では前例のない最先端のメカニズムだった。
水冷化によって環境性能を確保しながら、かつてないハイパフォーマンスの獲得に成功したRZ250/350は、空前の大ヒットとなり1980年代初頭から1990年代前半にかけてのバイクブームのきっかけのひとつとなり、他社からも2ストロークで追随するかたちとなって、消えかけていた火が再び燃え上がることとなった。
当時、排ガス規制の震源地となっていた北米で、さらに規制の厳しさが増していったため、RZシリーズは二代目のRD350LC2(北米仕様名。国内ではRZ350R)を最後に北米での展開を断念することになるが、北米最終モデルには酸化触媒が追加されるなど、渾身の力が込められたものになっていた。
2020年からの施行が予定されている欧州のEURO5規制は、排出ガスの基準が自動車と同等となる厳しいものになると言われる。前述のように多くの制約のなかで対応が求められる二輪車においては、困難が伴うことは間違いない。ともすると、何かしらの犠牲が求められる可能性もあるだろう。しかし、こうした同社のエピソードを聞いていると、悲観的な心配は不要に思えてくる。むしろまた何かが起きるのかもしれない。あの時のRZのように。