いま、BEV(バッテリー電気自動車)の世界ではアップルカーが話題だ。テスラに対抗できるブランドとして米・アップルが創るBEVはまさに本命であり、しかもアップルの信条である(だった?)ユニークな先進性をまとったBEVなら売れる、と言われている。しかし、アップルがそう簡単にテスラになれるとは思えない。「自動車メーカーでなくてもBEVは作れる」という話は幻想だ。「BEVが自動車産業を変える」という話は当たらずしも遠からずだが、「BEVだけ」がそのポテンシャルを持っているということではない。BEVが変えるのは自動車産業の表層だけだろう。自動車は、そう儲かる商売ではない。
TEXT◎牧野茂雄(MAKINO Shigeo)
自動車メーカーでなくてもBEVは作れる」は幻想だ
2009年ごろのことだ。中国では「超級平台」のデジタル設計図面が基本価格1億円ほどで販売されていた。いろいろとオプションを付けても2億円。ゼロから設計したらその百倍はかかるだろうから、1億円は破格の安値だ。
超級平台の英語名はスーパープラットフォーム。「平台」はプラットフォームであり、「すごいぞ!」という平台だから超級平台だった。開発したのは中国のエンジニアリング会社数社だった。その開発手法はリバースエンジニアリングであり、実車を購入し、すべての部品を取り外してBIW(ボディ・イン・ホワイト)の状態、つまり車体のドンガラにドアやボンネットフードなど「蓋もの」だけを取り付けた状態にして、そこからいろいろと調べる方法である。もちろん「蓋もの」も内装やガラス、電線、ゴムなどすべての部品を取り外し、全ドンガラ状態でボディ設計術をコピーするという開発である。
ボディ骨格は、まず目に見える部分のパネルを調べ、接合方法などを観察する。それからボディを全長方向の中心線上で真っ二つに切断し、部分ごとのパネル分割方法や接合方法を観察し、サイドメンバー、A/B/Cピラー、サイドシル、前後ホイールアーチなど衝突強度とボディ剛性に重要な部分はパネルを剥がして検証する。もう半分のボディは素材検証などに利用する。どの部位にどのような強度の素材が使われているかを調べるのだ。
一般的には、乗用車のモノコックボディは200枚程度の小さなパネルを接合して作られる。これをゼロから設計するとなると、時間も費用も経験もいる。中国のエンジニアリング会社は世界各国の主要モデルを分解してデータを取り、正確なボディ設計図面を作成し、それを販売した。「超級」と呼ばれる設計図は、たとえばセダン系、ミニバン系、SUV系といったカテゴリー別に「さまざまボディ設計からいいとこ取りした設計」であり、ボディデザインの自由度が高いという点が「売り」だった。
こうしたリバースエンジニアリングを手がける会社のうち、信頼できる大手と言われたのが上海同済同捷科技(TJイノーバ)、阿爾特汽車技術(AIT)、長城華冠(CHA)、瑞豊設計などであり、台湾にはノバデザインとスタジオX-Gene(エックス・ジェン)があった。
たとえば当時、TJイノーバが販売している「超級平台」は約300タイプあり、そのうち30タイプほどが推奨平台として「割安」に販売されていた。オーダーメイドではなく「だいたいこれくらいのボディ寸法でエンジン出力はこれくらい、車両重量は最大でこれくらい」という想定値を聞き、それに対して「お勧め」の設計を提案するという例が多いと聞いた。そのとき、割安な推奨平台を提案すると「商談成立の確率が飛躍的に高まる」と、筆者は実際にTJイノーバの幹部から聞いた。
ただし、超級平台の設計データを購入しても、そのままでは日本や欧州の衝突安全基準を満たすことはできない。ここから先がオプションだった。TJイノーバにもAITにも日本の自動車メーカーで開発現場を長く経験したベテランスタッフがいた。そういう人たちが生産指導したモデルは、中国では評判が高かった。
いっぽう、2003年にテスラ・モーターズが自動車メーカーとして立ち上がったとき、支援したのはロータス・エンジニアリングだった。テスラ・ロードスターのプロトタイプはロータス・エリーゼのオリジナル部分が8割がた残っていた。いまではテスラといえばイーロン・マスクCEO(最高経営責任者)の会社という等式が世の中に浸透しているが、創業者は電気系エンジニアのマーティン・エバーハート(Martin Eberhard)とコンピューター・エンジニアのマーク・ターペニング(Marc Tarpenning)であり、マスクCEOはテスラ設立後に投資家として参画した。彼はエンジニアではない。
2008年に発表されたテスラ・ロードスター(発売は2009年7月)は、ロータス・エリーゼのボディに三相交流電動モーターを載せ、リチウムイオン2次電池(何度も繰り返し充放電できるのが2次電池。使い捨ての電池は1次電池)はラップトップコンピューターなどで使われていた汎用の18650を6831本使い53kWhの電力を得ていた。当初はマグナ・インターナショナルが2段変速機の開発で関わり、これを搭載する予定だったが、のちにボルグワーナー製1段減速ギヤに変更された。
ロータスのボディは衝突安全基準を満たしており、きちんとしたシャシー性能も備えていた。危険回避性能=1次安全性(アクティブ・セーフティ)と衝突安全性能=2次安全性(パッシブ・セーフティ)が最初から確保されているという点はテスラにとって幸運だった。自動車に問われる社会性能は「安全」と「環境」であり、そのうち安全分野はロータス・エンジニアリングと、ほかのエンジニアリング会社が請け負った。
もちろん、現在でもマグナ・インターナショナルやリカルドのようなエンジニアリング会社に「クルマを作りたい」と依頼すれば、あらゆる仕事を請け負ってくれる。お金さえ払えばOK。前述の中国のエンジニアリング会社は中国企業からBEVの開発・設計を請け負った。エンジニアリング会社は車両走行実験もやってくれる。サスペンションやステアリングのチューニングである。
また、製造に必要な図面も作成してくれる。工業製品は設計図面だけでは製品にならない。どういうふうに製造するかの手順や要件を入れた製造図面がいる。ここもエンジニアリング会社は支援してくれる。エンジンやトランスミッションを設計してほしければ、前述のマグナやリカルドのほかにもAVL、FEV、IAVといったエンジニアリング会社が手伝ってくれる。丸投げもOKだ。
ただしエンジニアリング会社は部品の製造は受けてくれない。部品はそれぞれの専門サプライヤー(供給事業者)にお願いするしか手がない。ここでもお金さえ払えば必要な要件を満たした部品の設計は請け負ってくれる。
その後テスラは、モデルSから自前のボディを設計するようになるが、モデルSについていえばすべて社内で設計したわけではない。エンジニアリング会社が関わっている。同時にテスラは自動車メーカーで経験を積んだスタッフを雇用した。そしてトヨタから格安でカリフォルニア州の車両工場を譲り受け、ここでの生産準備も経験のあるコンサルティング会社が関わり、設備メーカーの支援を受け、量産準備を整えた。
もう20年以上前から「BEVになれば自動車の部品点数が劇的に減る。だれでも自動車を作れるようになる」と言われてきた。たしかにICE(内燃エンジン)車に比べれば排ガスがなく、この分野の規制からは逃れられる。しかし衝突安全性や歩行者保護規定はICE車とまったく同じであり、ボディ設計にはノウハウがいる。
また、BEVは油圧系が不要かというと、そうではない。メカニカル(機械式)ブレーキの作動は油圧である。まだ電動ブレーキは実用化されていない。ブレーキ・バイ・ワイヤーという電子制御機構は実用化されたが、最終的にブレーキ摩擦材をブレーキディスクに押し付ける動作は油圧だ。ステアリングはICEでもいまや電動が主流だから、ここは共通。エアコンはICEも電動コンプレッサーを使うからこれも同じ。ただしエンジン熱をヒーターに使えるICE車と違ってBEVはヒーターも電動になる。
ICE車でコストがかかるのはパワートレーン(エンジン+変速機)だから、これを電動モーターに置き換えられる点は、たしかにコストと設計の煩雑さから解放されるから恩恵だ。その代わりBEVには2次電池がいる。そこそこまともな航続距離を得ようと思うと、車両製造原価の30%以上は2次電池代になる。これはたしかに、コスト配分で「自動車産業の構造を変える」要素にはなる。
BEVに異業種から新規参入する場合、とにかく2次電池コストは「下げたい」と思うだろう。中国から買ってくる? ただし中国製の2次電池にも松・竹・梅があり、安全性の面できちんと品質を確保している2次電池はそれ相応の値段になる。日本製よりは安いが、車両製造コストの20%以下に電池代を収めるのは難しいだろう。
それとソフトウェアだ。「もはやクルマもソフトウェアの時代」というのは正解である。しかし、これもとっくの昔に起きた変革であり、現在はコネクテッド(外部ネットワークとの接続)やADAS(高度運転支援)という付加機能のソフトウェアが話題になっているだけで、その考え方の基本は「クルマは新しいものを何でも引き受けてくれるビジネス・プラットフォーム」という、自動車業界を外から見たときの印象をベースにしたものだ。そう簡単に自動車メーカーは買ってくれない。納入までのハードルは高い。けして売り手市場ではない。
2020年1月のCES(筆者が通っていた時代はコンシューマー・エレクトロニクス・ショーと呼ばれていた)でソニーが披露したVISION-Sは大きなサプライズだった。「ソニーが自動車に参入か?」とメディアは興奮した。しかしVISION-Sは、コンセプトメイキングと設計思想はソニー流だが、実車は前述のマグナ・インターナショナルのなかのマグナ・シュタイアーが製作した。部品を提供したのはロベルト・ボッシュ、ZFフリードリヒスハーフェン、コンチネンタルの独系メガ(大手)サプライヤー3社であり、半導体はアメリカのエヌヴィディア(NVIDIA)とクァルコムが供給した。ボディ素材は独・ベンテラーが提供した。
ソニーというネームバリューとブランドイメージ、それとソニーらしい「自動車」のためのコンセプトがあれば、あとの開発はお金でほぼ解決できる。しかし、自動車の量産を始めるまでにはいくつもの準備が必要になる。おいそれと参入はできない。
アップルはいま、ソニーよりもネームバリューとブランドイメージがある。資金もある。アップルが「自動車を作りたい」といえば、「協力します!」と名乗り出る企業は多いだろう。東芝が自前の2次電池「SiCB」を提供する契約を結んだとのウワサもあるが、真偽のほどは定かではない。
では、BEVに2次電池を供給する電池メーカーは儲かるのか? 韓国のLG化学はこの分野に参入して十数年だが、EU(欧州連合)の補助金を利用してポーランドに工場を建て、欧州の自動車メーカーに大量供給するようになって初めて車載電池部門が単年度黒字になった。ただし過去の投資をすべて回収できるだけの利益を上げていない。2008年からテスラに2次電池を供給しているパナソニックは、2021年3が月決算で初めて、テスラとの事業が黒字になる見通しだという。日産とNECが共同で2007年に設立した電池メーカーであるオートモーティブエナジーサプライは2018年に中国に売却された。利益が出ていれば売却などあり得ないから、ここも利益が出ていなかったのだろう。
では、自動車メーカーは儲かるのか
世界中のメジャーな自動車メーカーは、工場など膨大な固定資産と従業員を抱え、さまざまな業種と取引し、世の中にお金を回している。売上高営業利益率は高くてもせいぜい7〜8%。1兆円を売り上げて、本業である自動車の製造・販売で得られる利益は700〜800億円である。
世の中がコロナ禍になる前、2019年3月期の企業決算を振り返ると、トヨタは売上高営業利益率8.16%。NTTは14.25%でソフトバンクは24.51%。「携帯電話料金は高すぎる」との批判はこの数字が元ネタだ。表に日本を代表する大企業の2019年3月決算をまとめてあるのでご覧いただきたい。
筆者は新聞記者時代から数えて自動車産業取材歴39年になる。その間の変革もけして小さいものではなかった。いつくか挙げると、まずキャブレター(気化器)がなくなった。三國工業などは業態を変えるのに苦労した。アフターマーケットで売るカーコンポも消えた。パイオニア、アルパイン、クラリオン、ケンウッド、富士通テン、三洋など、数多くあったブランドのなかには会社が消えたところもある。パーソナル無線などは、わずか2年ほどのブームだった。ヘッドライトはシールドビームからハロゲン球へ、さらにディスチャージランプ、LEDと目まぐるしく変わった。
世の中が憶えていないだけで、自動車産業の内部でもパラダイムシフトがあり、業態が変わったサプライヤーがあり、製造原価の比率も変わった。いま、ICEがなくなるとか変速機がなくなるとか言われ始めたが、そういうことは過去に何度もあったから、筆者はBEVだ、コネクテッドだ、自動運転だと言われても、過去に見てきた変革のほうが印象に残っているから「ふーん」で終わる。
経団連機械記者クラブ詰めだったころ、他業種の経営者の方々からはよく「自動車業界はいいですね」「どんな具合なのですか」と訊かれたが。決まってこう答えた。
「毎年5000億円の設備投資をして、1車種500億円以上の研究開発費を遣って新車を開発して、もし2〜3モデルを失敗すると会社が傾きます」
この状況はいまも変わっていない。よほどうまくやらないと異業種からの参入は無理だ。アップル、グーグル、アマゾン……世界を見渡せばその程度だ。ベトナムの投資グループであり不動産業の大手でもあるビンファストがBMWから旧型BMW5シリーズ(09年~16年に生産)とX5(13年~18年に生産)の設計を購入し「高級車メーカーになる」と宣言したのは2018年だった。量産は2019年に始まる予定だったが、まだ音沙汰がない。