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2代目ジムニー(JA71) で、30年前に初代パジェロで放浪した北海道の旅を思い出して、蟹を茹でる【クルマ×アウトドア 】


たまには思い出に浸ってみるのも悪くない。30年前、初代三菱パジェロでした北海道放浪の旅。自由で気ままな旅だった。それを思い出しつつ、2代目スズキ・ジムニーで出かけてみた。今日のランチは「蟹」だ。蟹を茹でてみる。


TEXT &PHOTO◎伊倉道男(IKURA Michio)/SUBARU

クラシックカーが注目を浴びている。クルマに限らずビンテージな物、憧れていた物を手に入れたいと願う人は多く、アウトドアでもその傾向がある。理由はそれぞれあると思うが、僕の場合、懐かしい時代へのタイムスリップを楽しんでいる。




今回は、初代パジェロと僕の放浪の旅のひとコマを、当時を懐かしく振り返りながら再現してみようと思う。

ダンロップ 山岳3人用テント。OTM-3301。一時プロモンテというブランドに変更された。付属のフライは上のみでサイドのフライはオプション。ファスナーとホックの夏用の入り口、冬はファスナーが凍結して開けられないので、反対側には吹き流しの形をした出入り口が設けられている。すっぽりとテントを覆う冬用の外ばりもある。当時、国産の山岳テントの代表格だ。

当時使っていた飯ごうとストーブ。ストーブはコールマンピーク1 400A。1984年製。このピーク1より前に使用していたガスのストーブも、その後買ったガスのストーブもかなり昔に壊れてしまった。残っているのはこれだけ。僕にとって信頼のピーク1。

かれこれ30年ほど前、舞台は鮪で有名な青森県、大間での出来事から始まる。


朝一番の函館行きのフェリー(一日2便)に乗り遅れた僕は、午後の便にはまだ相当時間があったので、高台に上がり、これから向かう北海道、津軽海峡をただぼうっと眺めていた。傍らの愛車は、初代パジェロ。カタログのメインカラーのブラックで、カタログと同じライン入り。よくわからないままの購入で、オプションのヘビーデューティサスペンション、ノンスリップデフ、リヤヒーターまでオーダーしていた。


ディーラーの担当者に、「本当に買うのですか? スタリオンの方が良くないですか?」と、言われたことを憶えている。4WDやアウトドアの魅力がまだ浸透していない、そんな時代であった。

初代三菱パジェロ PHOTO◎三菱自動車

夏の終わりの大間の暖かい日差しのなかで、トマトが真っ赤に育っていた。その畑でトマトを収穫している人に声を掛けられた。まだかなりパジェロが珍しかったからだろう。


「どこへ行くの?」


「北海道へ行こうと思うのですが、朝のフェリーに乗り遅れてしまって」


「どのくらいの期間行くの?」


「決めてはいないのですけれど、資金が尽きるまで。2カ月くらいかな」


「ええ!それは大変だ。これあげるから、持っていきな」


段ボールいっぱいに、収穫されたばかりの真っ赤のトマトが詰まっている。僕は生のトマトを食べられないのだが有難く頂戴し、パジェロの後ろに積み込んだ。

ノルディスクのシュラフ。マットを使わないと羽毛が上方や左右に逃げてしまい、下からの冷えがきつかったのが想い出だ。

無事函館に到着し、北の大地を走り出す。森町を抜け、走るのが嫌になってきたころ広い駐車場を見つけたので、そこで夜を明かすことにした。当時のパジェロはショートのみで、寝るスペースはない。そこで、あまり推奨はできないけれど助手席を外してフラットになるように台を作り、リヤシートも外して長いフラットなスペースで寝られるようにしてあった。シートは運転席ひとつである。疲れが溜まっていたのだろう。朝まで一度も目も覚まさずに熟睡した。

秋の日差しのなか。すべての土地を畑や田にするのではなく、少しだけ場所をとり、そこに樹を植える。夏の農作業時に、日差しから身を守る場所になる。同時にコミニケーションの場ともなる。昔の人の知恵と思いやり。

起きてみると目の前に自衛隊の人達が大きなアンテナを立てている。その作業を見ながら、朝食の魚肉ソーセージをマヨネーズで食べていた。そうだあのトマト、彼らに食べてもらおう。そう思って声をかけた。


「これ、大間の日光をたくさん浴びて育ったトマトですけれど皆さんでどうぞ!」


「私たち、このような時は生ものがほとんどないのです。ありがたくいただきます」


「え、どんな物を食べているのですか?」


すると彼らは僕の前に自衛隊の食料を何種類も持ってきて見せてくれた。モツ煮の缶詰、赤飯の缶詰。種類は多いが、お湯で温めてすぐ食べられる非常食ばかりである。


「よろしければ、これをお返しにどうぞ!」


僕は苦手な生のトマトを放浪生活にベストな食料、しかも保存の効くものに代えることができた。もちろん、これは恣意的にやったことではない。自然の流れだ。

次の舞台は、屈斜路湖のキャンプ場。そこでソロのバイクのキャンパーと出会い話をする。彼のバイクはハレー。当時、ハレーの最大排気量は1200cc。ところが限定で1340ccのFLHがあった。彼のバイクはそれだった。少し乗せてもらう。知らない者同士で一緒に時を過ごし、一緒に食事をする。これもソロの楽しみだ。 




「これね、自衛隊の食糧なのよ。滅多に手に入らないぞ。今日は一緒に食おうぜ」


「いいの?そんなに貴重な物。ありがとう」


キャンプ場はもう秋の始まりで、誰もいない。僕らふたりだけ。彼はウィスキーのサントリーレッド、僕は煙草。ふたりで夜遅くまで話し込んだ。

数年前に手に入れた国防食。ネーミングに注目。国防色と国防食に掛けてあるのが粋である。

次の朝、僕はどうやら風邪を引いたようで、だるくて起きられなかった。ハーレーの彼がテントの外から声を掛けてくれる。


「これから根室まで行ってくるからね。え? 具合悪いの?ゆっくり寝ててね」


根室?ここは屈斜路湖だぜ。かなり距離があると思いながら……薬が効いたのだろう、うつらうつらと眠りについた。

夕方近く、彼の声で目が覚める。体調は戻ったようだ。


「昨日の自衛隊食のお礼にさ、蟹買って来たよ。花咲蟹。これ茹でて一緒に食おうよ。風邪なんかすぐに治るよ」




飯ごうに水を入れて沸くまで待つ。僕らの一番大きな鍋は飯ごうなのだが、さすがに入るわけもない。花咲蟹の身体半分は外で、当然足も外。半分火を通してひっくり返す。じつは丸ごと蟹を茹でたのはこの時が初めてだ。何とか花咲蟹は炎の赤よりも赤く茹で上がった。




まだ旅は始まったばかりであったが、トマトは自衛隊の缶詰となり、食材の王様、花咲蟹へとなった。おしゃべりな僕はちょっとだけ、わらしべ長者でもあるようだ。

ジャージー、これがタラバガニだ。清里育ちの君は見たことがないだろう。じつは僕もあまり食べたことがない。

ジャージー、君は燃えやすい化学繊維でできているから、ジムニーのスペアタイヤの上で見てなさい。秋の日差しが気持ちいいでしょ!生まれ故郷の清里には敵わないか。

蟹の種類は違うが同じようにやはり飯ごうには入らない。タラバは足が長い。

「入らないじゃん。どうするの?」「なぁに、こういうことは30年前に経験しているので、大きな鍋を用意してあるんだよ」

余裕と思ったが、じつはギリギリでした。適当に塩を入れる。海水くらいが良いかな。生まれ育った環境で。沸騰して入れてから20分。

茹で上がったらクーラーボックスの氷に水を加えて一気に冷やす。約5分。

出来上がり。ごめんね、美味しく頂くよ。

足らないといけないのでさつま揚げも購入。これが僕の大好物。美味しくいただくにはごま油で焼く。

これだけでもごちそうである。生姜とヤマサの醤油で。

♬街の明かりちらちら♬ 堺正章さんのレコード「さらば恋人」のB面の「街の灯り」の歌詞。ひとりで街の明かりを見た時、僕はいつもこのフレーズを口ずさんでしまう。昭和の曲は素晴らしい。

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