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物質中の電子の広がりを可視化


理化学研究所放射光科学研究センター物理・化学系ビームライン基盤グループ軟X線分光利用システム開発チームの久我健太郎客員研究員、可視化物質科学研究グループ量子状態可視化研究チームの木須孝幸チームリーダー、大阪大学大学院基礎工学研究科の関山明教授、藤原秀紀助教らの共同研究グループ※は、直線偏光[1]制御した硬X線[2]を用いた内殻光電子分光[3]により、局在性[4]の弱いイッテルビウム(Yb)[5]化合物における4f電子[6]の電子軌道波動関数[7]を決定した。

 本研究成果は、本実験手法が、従来から利用された局在電子モデル[4]が成り立つ希土類[5]化合物だけでなく、原理的には遷移金属[8]を含む局在性の弱い化合物でも適応可能なことを示したことから、機能性材料開発が加速すると期待できる。




 今回、共同研究グループは、大型放射光施設「SPring-8」[9]にて硬X線の電場成分を水平あるいは垂直方向に直線偏光制御し、イッテルビウム化合物β-YbAlB4(Al:アルミニウム、B:ホウ素)に当てた際に放出される電子の放出方向やエネルギーを詳細に調べた。その結果、イッテルビウムが持つ4f電子の波動関数を精密決定することができ、さらにその空間分布が局在電子モデルから予想されるものと大きく異なっていることが分かった。これは、イッテルビウムが持つ4f電子がホウ素に由来する伝導電子[10]と強く混成[10]した軌道混成状態[10]を形成していることを示している。




本研究は、米国の科学雑誌『Physical Review Letters』の掲載に先立ち、オンライン版(7月17日付け:日本時間7月18日)に掲載された。

背景

 物質の性質の多くは不完全殻[6]電子が担っており、不完全殻電子の状態を調べることは物質の性質を理解する上で必須。不完全殻電子は結晶場[4]で決まる電子軌道の波動関数(電荷分布)により電子同士の相互作用が大きく変わるため、その状態を知る上で波動関数の精密決定は重要だ。




 電子軌道の波動関数は、立方晶のような単純な結晶構造の物質ではパラメータが少なく、実験的に決定することは比較的容易だが、直方晶のような結晶構造の対称性が低い物質ではパラメータが多く、波動関数を精密に決定することが難しくなる。また、電子同士の相互作用が強い場合も同様に、混成効果により電荷分布が変わるとともに物質の性質が複雑に変化するため、実験結果から波動関数を決定する上で困難が伴う。そのため、これらの条件下で波動関数を精密決定した例はなかった。




 物質に光を当てた際に飛び出る光電子は、物質中の電子の化学的性質を含んでいることから、光電子を観測する光電子分光測定は物質科学において広く用いられている手法。光電子分光は、結晶場に由来する電子軌道の波動関数を観測する手段としても有効だ。特に希土類化合物に対し、電磁波である光の電場成分の方向を制御して、内殻電子に由来する光電子を数方向から観測すると、希土類化合物の性質を決める不完全殻の4f電子の軌道を知ることができる。しかし、この偏光制御内殻光電子分光はこれまで、混成が弱く(局在性が強く)結晶構造の対称性が比較的高い物質では多く成功してきたが、混成が強く(局在性が弱く)結晶構造の対称性が低い物質では成功例がなかった。

研究手法と成果

 共同研究グループは、結晶構造が対称性の低い直方晶で、かつ混成が強い希土類化合物であるβ-YbAlB4(Yb:イッテルビウム、Al:アルミニウム、B:ホウ素)に対して、直線偏光制御した硬X線を用いて光電子分光測定を行った。β-YbAlB4は、約0.08K(-273.07℃)以下で超電導[11]となり、数少ないYb化合物超電導物質の一つとして、その起源解明が求められている。そのため、超電導発現に寄与していると考えられているYb 4f電子の波動関数の精密決定は非常に重要である。そこで、Ybイオンの3d[6]内殻電子に起因する光電子を測定することにより、物質中における3d内殻電子と4f電子の相互作用を通じて、Yb 4f電子の波動関数の決定を試みた。通常、混成が弱く結晶構造の対称性が比較的高い物質では2方向程度の光電子を測定するだけで充分だが、今回は合計5方向を系統的に測定し混成が強く結晶構造の対称性が低い物質でも電子の波動関数の精密決定を可能にした。




 偏光制御硬X線光電子分光測定は、大型放射光施設「SPring-8」の理研ビームラインBL19LXUで行った。図1aが偏光制御硬X線光電子分光測定の概略図。理研ビームラインBL19LXUでは、電場成分が水平方向に偏光した硬X線を発生させることができる。垂直方向に偏光させる場合は、光路にダイヤモンド位相子[12]を2枚置くことで偏光制御した。試料は特注の試料台(図1b)を用いることで、板状の試料の面を回すθ回転と面内を回すφ回転をすることが可能。

【図1 偏光制御硬X線光電子分光測定の概略図】a) 硬X線の発生から光電子検出までの概略図。理研ビームラインBL19LXUでは、電場成分が水平方向に偏光した硬X線を発生させることができる。垂直方向に偏光させる場合は、図のように光路にダイヤモンド位相子を2枚置く。 b) 試料台と試料の回転方向。試料台を回すθ回転(360°)と、試料を回すφ回転(90°)が可能。

 Yb 3d内殻電子の偏光制御硬X線光電子分光測定の結果、五つの測定方向(θ回転とφ回転の組合せとして(0°,0°)(45°,0°)(60°,0°)(60°,45°)(60°,90°))のそれぞれに対する、水平偏光と垂直偏光によって異なる光電子スペクトルを得た(図2b,c)。この実験結果は「3d内殻電子が飛び出た後にできた空洞が外側にある4f電子と相互作用することによる光電子のエネルギー変化」と、「3d内殻電子が4f電子を越えて飛び出る確率の方向依存性と偏光依存性と光電子エネルギー依存性」に起因し、いずれも4f電子の電荷分布(波動関数)を反映している。




 また、これらの測定結果と合致するよう調整した局在電子モデルを用いて計算した結果(図2d)から、各スペクトルとの定性的な比較ながら、試料のb軸回転(θ回転)から波動関数の主な成分がJz[7] = ±5/2であることが推測された。さらに、試料のc軸回転(φ回転)からは、誤差0.04%の精度で他のJz(±1/2、±3/2、±7/2など)を含まないことが示され、Yb4f電子の波動関数がJz = ±5/2純状態であることが分かった。

【図2 偏光制御硬X線光電子分光の測定結果と計算結果】a) 実験時の硬X線、試料、光電子分析器の配置と試料の回転方向。硬X線の進行方向と光電子検出器方向は水平面内にある。b軸は、紙面に垂直な方向である。 b) φ = 0°における各θでの偏光制御硬X線内殻光電子分光の測定結果。 c) θ = 60°における各φでの偏光制御硬X線内殻光電子分光の測定結果。 d) 測定結果と合致する4f電子の波動関数を局在電子モデルで計算した結果。

 しかし定量的な比較においては、測定結果の水平偏光と垂直偏光の差が、局在電子モデルを用いた計算結果における差と比べて数倍小さいことから、測定結果から推測されるYb 4f電子電荷分布(図3a)は、局在電子モデル計算による電荷分布(図3b)と比べて、球状に近くなった軌道混成状態を形成していると推測される。また、局在電子モデル計算によるJz = ±5/2純状態における電荷分布が隣接するホウ素の方向に延びていることから、測定結果から推測される電荷分布はホウ素に由来する伝導電子と混成していることが分かる(図3)。

【図3 β-YbAlB4におけるYb 4f電子の電荷分布と隣接するホウ素とアルミニウム】aは測定結果から推測される4f電子の電荷分布、bは局在電子モデルにおけるJz = ±5/2純状態の場合の4f電子の電荷分布。bの電荷分布は隣接するホウ素の方向に延びていることから、ホウ素に由来する伝導電子と混成してaのように球状に近くなっていると推測される。透明な赤い球はイッテルビウムを表す。

 本研究は、結晶構造の対称性が低い直方晶かつ混成の強い系で、電子軌道の波動関数を精密に決定した初めての例。本実験手法は不完全殻として4f電子を持つ希土類化合物だけではなく、原理的には3d、4d、5d電子が不完全殻である遷移金属化合物でも可能であるため、グリーンイノベーション用材料[13]や脱レアアース磁性材料[13]などの機能性材料開発を加速させると期待できる。




 また、現状では時間的な制限により限られた方向での測定を余儀なくされ、混成の異方性や電荷分布を決定することは困難だった。しかし今後、次世代放射光施設の完成とともに測定の効率化が進めば、詳細な方向依存性の測定が可能になり、混成の異方性や電荷分布を実験的に決定できると考えられる。

1.直線偏光


電磁波である可視光やX線は、その進行方向と互いに垂直な2方向に電場成分と磁場成分を持つ。普段私たちが目にする可視光は電場成分がランダムな方向を向いているが、特殊な条件下で発生した場合は、全ての電磁場の電場成分が一方向にそろうことがあり、この状況を直線偏光と呼ぶ。


2.硬X線


波長が0.3ナノメートル(1nmは10億分の1メートル)以下のX線を指す。これに対して、波長が0.3~数十nm付近X線領域は軟X線という。


3.内殻光電子分光


物質に数電子ボルト以上のエネルギーを持った電磁波を当てると、電子が物質から飛び出す。飛び出た電子を光電子といい、任意の光電子のエネルギーに対応する光電子の量を分析することを光電子分光という。内殻光電子分光は、イッテルビウムイオンにおける3d電子のように、強く原子に束縛されている電子が飛び出た場合の光電子分光に対応する。光電子の運動エネルギーは、電磁波のエネルギーから原子内の電子の束縛エネルギー、光電子が飛び出ることでできた空洞による物質内のエネルギー変化、仕事関数を引いたものである。本実験では、3d電子が飛び出ることによりできた空洞が4f電子と相互作用することによるエネルギー変化と、光電子が飛び出る確率の方向依存性と偏光依存性と光電子エネルギー依存性を利用して、4f電子の波動関数を決定した。


4.結晶場、局在電子モデル、局在性


結晶中のイオンが作る静電場を「結晶場」と呼び、結晶場は電子に対して特定の電子軌道のみを取るようにする。この結晶場中に結晶場以外の相互作用がなく、不完全殻を持つイオンを置いた場合のことを「局在電子モデル」と呼ぶ。局在電子モデルに混成を加えると、不完全殻の性質が弱まり局在電子モデルと異なる性質を持つようになるが、その度合いを「局在性」と呼ぶ。


5.イッテルビウム、希土類


希土類は、周期表で第3族にある、スカンジウム(Sc)、イットリウム(Y)と原子番号57のランタンから原子番号71のルテニウム(ランタノイド)の計17元素のこと。イッテルビウムは(Yb)は原子番号70の希土類元素である。


6.3d電子、4f電子、不完全殻


原子に束縛されている電子は、量子力学的な波の性質により電子軌道が大きく制限される。軌道の形はs軌道、p軌道、d軌道、f軌道と呼ばれる名前で分類され、s軌道は球状だがp軌道、d軌道、f軌道となるにつれて形状が複雑になる。元素により一部異なるが、エネルギーは1s、2s、2p、3s、3p、3d、4s、4p、4d、4f、5s、5p、5dの順に高くなり、一つのs軌道に電子は2個、p軌道に6個、d軌道に10個、f軌道に14個の電子が占有できる。原子内で最もエネルギーが高く、部分的にしか電子が占有されていない軌道を「不完全殻」と呼ぶ。多くの希土類元素イオンは4f電子を不完全殻としている。


7.電子軌道波動関数、Jz


電子軌道波動関数は局在電子モデルにおける電荷分布を表す。通常、4f電子の場合は全角運動量のz成分(Jz = ±1/2, ±3/2, ±5/2, ...)を用いて表現し、波動関数はこれらの表現の線形結合で表される。ただし、その線形結合は結晶構造の対称性により大きく制限される。


8.遷移金属


周期表の第3族~第11族に存在する元素で、原子番号が増えても[6]で説明した軌道が持つエネルギーの順に電子が入らない。第4族~第10族の遷移金属イオンはd電子が不完全殻であり、第3族のランタノイドの場合はf電子が不完全殻である。希土類も遷移金属に含まれる。


9.大型放射光施設「SPring-8」


SPring-8(Super Photon ring-8 GeV)は、兵庫県播磨科学公園都市にある世界最高レベルの放射光を生み出すことができる大型放射光施設である。放射光とは、電子を光と殆ど同じ速度まで加速し、磁石により進行方向が曲げられる際に生じる細く強力な電磁波のことである。SPring-8では、素粒子、原子核、固体物理、古科学といった基礎研究から、ナノテクノロジー・バイオテクノロジーといった応用研究、産業利用、科学捜査等の幅広い研究が行われている。


10.伝導電子、混成、軌道混成状態


有機分子やケイ素、ダイヤモンドなどで共有結合する原子は、s軌道とp軌道が混ざり合い混成軌道を形成する。同様なことが遷移金属化合物における3d電子と伝導電子、あるいは希土類金属化合物における4f電子と伝導電子との間にも生じる。「伝導電子」とはほとんど原子に束縛されていない電子のことであり、その中でも束縛エネルギーがほぼゼロであるものが自由電子である。混成した際の4f電子の電荷分布は、局在電子モデルにおける電荷分布と異なっており、混成した軌道における電荷分布を「軌道混成状態」と呼ぶ。


11.超電導


電気抵抗率がある温度以下でゼロになる現象。どの超電導体も伝導電子間の引力により引き起こされると考えられているが、その引力の起源はさまざまである。


12.ダイヤモンド位相子


ダイヤモンド単結晶に対しブラッグ回折条件の近傍でX線を当てると、透過したX線のダイヤモンドに対する水平偏光成分と垂直偏光成分の間に位相差が生じる。この性質を利用し、下図のように位相をπずらすことで、水平偏光から垂直偏光へ切り替えることができる。


13.グリーンイノベーション用材料、脱レアアース磁性材料


エネルギー、環境分野における技術革新のことをグリーンイノベーションと呼ぶ。例えば発電、電気自動車、機械動作などは磁石を利用したモーターを使用しているが、磁石の機能を向上させることでエネルギー消費量を抑制できる。現在、高機能磁石を得るため、レアアース(希土類)であるネオジムやジスプロシウムを使用している。しかし、レアアースには資源リスクが伴っているため、国を挙げてレアアースを使用せず同等以上の性能を持つ高機能材料開発が進められている。磁性は結晶場が決める電子軌道と密接な関係があるため、高機能磁石開発における基礎研究に本研究が役立つことが期待される。

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