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人生どこでどうなるかわからない。自分でもスーパーカーに乗るとは思ってもみなかった


ボクは庶民の出である。


正直言うと、両親はずっと賃貸住まいで、終生持ち家を持たなかった。
つまり、裕福ではなかったということだ(貧しくもなかったが)。


だから、ボクはなんの後ろ盾もないし、誰からの援助も受けることができなかった。


人生とは変化の連続である


ボクは以前、フェアレディZ(Z32)に乗っていたことがある。


そして、何度かスポーツカーや、スーパーカーの集まりに参加したこともある。


そのとき、ボクはスーパーカーに乗る人々を見て、「異星人のように、自分とは縁遠い存在だ」と思ったものだ。


そして異星人たちの乗るフェラーリやランボルギーニは、UFOと同じくらい、ボクとは違う次元に存在する乗り物だった。


そう考えると、あの頃「異次元の乗り物」だと考えていたスーパーカーに乗り、自分が「異星人のようだ」と考えていたスーパーカーオーナーとなったのは、人生どうなるかわからないという典型例のようなものだ。


jun masuda


ただ、ボクはこう思う。


「そうなりたい」と思わなければ、「なりたい自分になれない」のだ、と。


かつてボクはスーパーカーミーティングに参加し、スーパーカーオーナーたちと話をした。

そして彼らを異星人のように感じはしたが、同時に「彼らのようになりたい」とも考えた。


そのときはスーパーカーについて、「どれだけ手を伸ばしても手が届かない」存在だと考えていたから、具体的に「彼らのようになるために」なにか努力をしたわけでもない。


ただ、漠然とでも、ボクは「スーパーカーを自分のものとして、自分のガレージに収めたい」と考えた。


それでも人生に転機が訪れ、スーパーカーに乗ることができた。


もし彼らに出会わなければ、転機が訪れたとしても、ボクは永遠にスーパーカーを手に入れようとすら思わなかったかもしれない。


可能性はとても重要だ


ボクがここで述べたいのは、可能性の話だ。

たとえば、ボクは過去にいくつかのカークラブに属したことがあるが、いずれも「排他的」だった。


特定車種のクラブだから仕方がない部分はあるものの、そのクルマに乗っている限り、クラブのメンバーは「仲間」として接してくれたが、そのクルマを売ってしまうと、その瞬間からボクは仲間ではなくなるのが寂しかった。


jun masuda


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