「変化」というのは、それを毎日見てているとなかなか気づかなかったりもする。しかし何かが確実な変化を遂げている限り、いつかはどこかのタイミングで「あ、そういえば変わったな……」と気づかされるものだ。
ここ最近、不肖筆者が遅まきながらというか恥ずかしながらというか、とにかく気づいたのが「高速道路および空いている一般幹線道路における、自家用車の平均速度の低下」だ。
最近は97%ぐらいのドライバーが法定速度を守っている?
や、平均速度の低下といってもスピードガンなどで測ってエクセルで集計しているわけではないので、あくまで感覚的なものである。また最近に限らず以前から、法定速度ないしはそれに毛が生えた程度の速度で、紳士淑女的に運転するドライバーのほうが圧倒的に多かっただろう。
しかし数年前までは「うおおおおおおおお!」とばかりに公道を馬鹿げた速度で疾走したり、比較的混雑した3車線の高速道路を、右へ左へと縫うように前車たちを追い越していくクルマの数も、それなりに多かったはずだ。
しかし最近では(これまた感覚的な数字に過ぎないが)97%ぐらいのドライバーは、例えば高速道路を基本的には100km/h前後のスピードでトコトコ巡航しているように見える。もちろん筆者も、今ではそんなトコトコ系の1人だ。
そして今も残る3%はどんなクルマかと言えば、
・一部の高性能ドイツ車や一部の国産Lサイズミニバンのオラオラ運転
・一部の国産ハイブリッドカーの爆走ドライブ
・一部商用トラックの特攻運転
といった感じだろうか。そしてそれら3%は、以前からもちろんそうではあったのだが、最近では特に「アタマが悪そうに見える」ようになったと感じている。
この変化(と筆者が感じているもの)の奥底にあるのは、主に2つの要因だろう。
「社会の気分」と「機材の刷新」が平均速度を低下させた
要因のひとつは「社会的共同メンタリティーの変化」だ。
まぁ「社会的共同メンタリティー」なんつー言葉は筆者の勝手な造語で、学問的にはそんな単語は存在していないはずだが、言わんとするニュアンスはおわかりいただけると思う。要するに現時点の社会を構成している人員の総意というか、総意に近い、表層意識と潜在意識の中間ぐらいの場所にぼんやりと存在している、ある程度のコンセンサスである。
そのコンセンサスが今、「公道でいちいち飛ばす奴は馬鹿」と言ってるのだ。