「処暑」の「処」は落ち着くという意味を持つ漢字です。暑さが落ち着く、それが「処暑」。毎日続く残暑を考えると落ち着くようにはとても思えませんが、季節は確実に動いています。
空の色や浮かぶ雲、目や耳にするあれこれが何か今までとは違うと気づく時、夏にも変化が訪れたと感じることでしょう。昔の人も残暑の続く中にふっと暑さの違いを感じていったのではないでしょうか。秋の兆しを探してみましょう。
「つくつくぼうし」が鳴きだせば夏の終わりが見えてきます
夏の蝉といえばミンミンゼミやニイニイゼミ、アブラゼミそれにクマゼミのようにうるさいくらいに鳴き声が響き、蝉しぐれは夏の盛りの象徴です。そんな中でいつの間にか鳴きだしているのが「つくつくぼうし」。鳴き声がそのまま名前になりました。「法師蝉」とも呼ばれます。
蝉の仲間の中では遅く鳴き始めるために、長かった夏の終わりを感じるのでしょうか。中国語で「寒蝉」とよぶのも涼しくなってから姿を現すからとのこと。声高で鳴きながらも何か憂いを含んだような声に、過ぎ行く夏の名残りとやってくる秋の予感が入り混じる風情が感じられるのかもしれません。
≪尽く尽くと何急かすなる法師蝉≫ 文挾夫佐恵
≪鳴き立ててつくつく法師死ぬる日ぞ≫ 夏目漱石
俳人たちの心も何か急かされるような、ざわめきを感じているようです。小学生の頃つくつくぼうしが鳴きだすと親からいつも「つくつくぼうしが鳴きだしたから、夏休みの宿題を早くやりなさい」と言われたことを思い出します。楽しかった夏の終わりが目の前に現れて感じる焦りや寂しさは、ちょっと切なくて懐かしい「つくつくぼうし」の鳴き声につながっているようです。
空気が澄めば見えてくる「星月夜」
「星月夜」素敵なことばです。「月」という字が入っていますが「星月夜」に月はありません。月と同じくらい明るい星の輝く夜をあらわす秋の季語です。暑さが収まりはじめると空気も澄み、空の星が美しく楽しめるようになってきます。夜も明るい都心ではなかなか難しいですが、郊外へ向かえば夜ともなれば戸外に涼風をもとめることもあるでしょう。空を見上げれば星の輝きをいくつか目にできそうではありませんか?
≪オアシスに汲む水蒼し星月夜≫ 田中俊尾
≪一海里陸離るれば星月夜≫ たなかしらほ
旅の折りのひと夜を切り取った句が多く詠まれているようです。「星月夜」を眺められるような旅の空は、きっとさまざまな思いを抱いていることでしょう。十七音に旅情以上の広がりが加わっているようです。
≪少年の家を包みし星月夜≫ 小川背泳子
「星月夜」は雄大な宇宙をも表します。宇宙の大きさは優しさとなって温かさを生み出しているような句になっていませんか。
電気のなかった時代に夜を包んだのは底知れぬ闇。「星月夜」が照らす闇は、今の私たちが予想できないくらい明るいものだったことでしょう。暑さが収まる「処暑」は星明かりが美しく感じられる季節でもあります。
「穂並」と「穂波」どちらも実りへ期待が高まります
夏から秋へ。暑さが収まればいよいよと実りの季節です。夏の強い日差しの下で稲は青々と力強く伸びていきました。今や稲穂が出そろってきたようです。このように稲穂が整然と並んでいるようすを「穂並」といいます。
≪美しき稲の穂並の朝日かな≫ 路通
もう一つ「穂波」は稲穂が風にそよいで波のようになることです。元気に上を向いて生えそろい並んでいる稲穂が、実を充実させるのはこれからです。
≪おろおろと軽き稲穂を掌に広ぐ≫ 山本小品
雪解けとともに苗代作りから始まった米作りも最終段階。緑一色の田んぼから水が抜かれ次第に黄色く色づいていくにしたがい、稲穂が頭を垂れていきます。その姿に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という教訓が思い出されます。収穫まで一年をかける米作りは、日本の風土を形作るとともにつつましさを大切にする考えや、自然に寄り添った心の豊かさなど、日本人の情操の基となっているようです。
「禾乃登(こくもつすなわちみのる)」は「処暑」の末候、稲が実る時期を表します。暑さに耐えて貯めたエネルギーがこれから実りとなっていく変わり目の時。残暑ももう少しの辛抱、気づかぬとも少しずつ秋は近づいています。