正月三ヶ日も瞬く間に過ぎ、1月5日より二十四節気「小寒」となりました。ここより立春までの一か月が「寒中」となり、もっとも寒さの厳しい時期です。野山で生きる生き物たちには本当に厳しい季節でしょう。そんな中、元気な姿を見せてくれるキツツキ。前編では代表種三種を紹介しましたが、後編ではキツツキの名につく「ゲラ」という名の由来の考察、そして冬に渡ってくるキツツキの珍種「アリスイ」についてご紹介します。
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冬は「キツツキ」と出会える絶好の季節です【前編】
テラツツキ、ケラツツキ。キツツキの古名から「ゲラ」の意味を考える
時は6世紀、飛鳥時代。当時の外来宗教である仏教を国として受け入れるか否か、という国家方針と、何代にもわたる天皇の後継争いが絡み合い、587年、用明天皇の崩御をきっかけにして、崇仏派の蘇我馬子&聖徳太子勢と、廃仏派の穴穂部皇子(あなほべのみこ)&物部守屋勢が激突、大規模な内乱「丁未の乱」が勃発します。
伝説では、武力に勝る廃仏派の物部勢に苦戦する崇仏派の蘇我勢でしたが、聖徳太子が仏教の守護神四天王像を彫り廃仏派打倒の暁には寺院を建立することを誓って祈ったことで、物部守屋が討たれ、廃仏派は敗走、壊滅して決着した、と伝わります。
聖徳太子は誓願を守り四天王像を安置する寺院四天王寺を593年に建立しました。しかし、討たれた物部守屋は死してなお怨霊となって敵・聖徳太子に祟ります。四天王寺や、後に建立された法隆寺を、「天良豆豆木(てらつつき)」なるキツツキに似た妖鳥の群れとなって襲い、その建材をつついて寺を瓦解させようとしたのです。太子は霊力によって鷹に化身をし、仏法を守った、と鎌倉時代の『源平盛衰記』巻十「守屋成啄木鳥事」に記されています。
この伝説の口伝はそれ以前からあったと考えられます。また、平安中期の承平年間(930年代)に編纂された辞書『和名類聚抄』(源順 みなもとのしたごう)には、キツツキについて、
斲木 爾雅集注云斲木 一名鴷 音列 和名天良豆々木 好食樹中蠹者也
と記述されています。読み下しますと「斲木(たくぼく)は別名を鴷、和名では天良豆々木(てらつつき)と言う。樹木の中の虫を好んで食べる」となり、平安時代ごろにはキツツキを中国に倣って「タクボク」「レツ」と言ったり、「テラツツキ」という和名で呼んでいたことがわかります。
鎌倉期の歌集にはキツツキを「寺啄」とあらわした和歌が散見されます。
こうした故事や文献から、平安~鎌倉期ごろまでの中世の貴族や武家などの上流階級ではキツツキをテラツツキと言っていたことが、とりあえずわかります。
「きつつき」という名は古代から受け継がれてきたかも?
もっとも、妖鳥「寺啄」伝説をそのまま信じることもできませんから、まず「テラツツキ」という名があり、後にその名にちなんだ仏教訓話が創作された、と考えるほうが正しいかもしれません。この「テラ」が中世期に次第に「ケラ」に変化し、現在のキツツキの種名につく「ゲラ」の元になったとするのが定説となっています。
ですが、この解釈では「テラ」や「ケラ」がもともとどこから来たのかは説明できていません。つまり「てらつつき」とか「けらつつき」という名称が、これまでの解釈ですと不自然なのです。
「テラ」は天照大神の名にも織り込まれているように「照る/照らす」など、もともと拓けた明るい場所(平野や平和をあらわす『たいらか』という語もここから来て、平城京や平安京、平氏の名にも反映されるのですが)をあらわし、ここから仏法による浄土を求める聖地を「てら」と呼ぶようにもなったと思われますが、これは森林性のキツツキとはどうも関連性は見出せません。
「ケラ」というと、オケラやトビゲラ、カワゲラなどの昆虫名や、小さく取るに足らない切れ端や隅っこにあるものを「けら」と言い、木屑を意味する「こけら」や「虫けら」などの言葉がありますね。キツツキが木をつついて木屑(こけら)を生み出すから、という関連はありそうですが、キツツキは木くずをつついてるわけではありません。また、「虫けらをつつくから」という解釈もおかしく、キツツキは虫をつついているのではなく、虫を探して木をつついているのです。
ですから、樹木をつつくという、他のどんな鳥類にも見られない特異で明確な習性がある鳥を名付けるのに、「木つつき」以上にストレートな名前はないはずです。方言でもキツツキを「キコヅキ」「コタタキ」「キタタキ」など、その習性から名付けられた名前が多く見られます。
これは沓冠(くつかぶり/くつこうぶり)折句(和歌や俳句の各句の初音と終音を取りだし、つなげて表向きの意味とは異なる暗号を込めたもの。現在のサブカルチャーで盛んな『縦読み』もその単純なものです)詠みにはなるのですが、万葉集巻一・五十六の、
河の上(へ)の つらつら椿 つらつらに 見れども飽かず 巨勢(こせ)の春野は (春日蔵首老)
という土地賛め歌(呪術歌)には、沓冠折句で「きつつ」という言葉が織り込まれており、これはキツツキをあらわしていると考えられます。ですから、「きつつき」という名も古くからあり、受け継がれてきたと考えられるのです。
では「てら」や「けら」はどこから来ているのかと考えると、キツツキの「たらっ・たららららら…」と聞こえる木をつつくオノマトペの「たら」、アカゲラやアオゲラの「ケレッケレッ」と鳴く鳴き声がそれぞれそもそもの語源だったのではないでしょうか。「きつつき」というベースに、「てらきつつき」「たらきつつき」「けらきつつき」などのバリエーションが生まれ、間にはさまった「き」が一時期省略された。しかし、自然に再び復活して「キツツキ」という名が定着。一方接頭語の「てら」「けら」は種小名をあらわす「ゲラ」として分離されて残存したのではないでしょうか。そうでなければ江戸初期の松尾芭蕉の句、
木啄(きつつき)も 庵は破らず 夏木立
の自然な発句も説明がつきません。江戸時代になって突然キツツキを「きつつき」と言うようになったとは到底考えられないからです。
アリクイ?キツツキ界の変わり者【アリスイ】
さて、そんな特徴的な木をつつく習性で知られるキツツキですが、その仲間には、「木をつつかないキツツキ」がいるのです。アリスイ属です。
アリスイ(蟻吸 Jynx torquilla)は、キツツキ科アリスイ属に属し、同属の模式種(代表する種)ともなっています。体長約17~18cm、ツバメほどの大きさの小型で華奢なキツツキ類です。分布域はユーラシア大陸とアフリカ大陸、そしてイギリスと日本ですが、キツツキでは珍しい渡り鳥で、夏は冷涼な亜寒帯で繁殖し、冬は温暖な温帯地域で越冬する習性をもち、国内では夏に北海道や東北北部で過ごし、冬になると東北以南の本州や九州、四国に移動します。また、大陸からも冬には本州以南に渡りをしてくる個体が多く、冬の暖地はアリスイの個体数が増えるため、観察する絶好の季節になります。
体色は、地色が褐色から灰褐色で、そこに黒から茶褐色の細かく複雑な縞・斑紋が全身に入り、爬虫類や魚の鱗のような印象を与えます。
尾羽は他のキツツキ類のように靴ベラ状に発達しておらず、スズメやヒヨドリと変わりありません。木にとまるときにも普通に枝にとまり、垂直の樹幹で木をつつくという生態はもちません。
湿気のある環境を好み、冬の疎林や葦原、休耕中の水田など、ひらけた見晴らしのよい環境でよくその姿を見ることができるのですが、褐色に斑と縞の入った保護色のため、よほど気を付けていないと見逃してしまいます。
舌の長さは約10cmで、キツツキの中でも特に長く、人間に換算すると1メートルの舌を持つことになります。これは体長に比した舌の長さでは世界一の鳥類です。
この長い舌で、アリの巣に舌を差し入れて捕食することから「アリスイ」という名が付いています。
危険な地上をえさ場とすることから警戒心が強く、柔軟な体をくねらせて常に周囲を見まわし、首を180度真後ろに向けながら、長い舌をちろちろと出すその姿から、「ヘビっぽい」と、時に野鳥マニアの間でも嫌う声が聞かれますが、筆者はこの個性豊かなアリスイが大好きで、これほどかわいい鳥はそうそういないとすら思います。
つがいで子育てする種がほとんどのキツツキ類の中では、育雛はメスのみで行う独立派。オスもメスも常に単独で行動します。
鳴き声は「きゅーい、きゅーい」と聞こえるよくとおる哀愁に満ちた響きで、よくモズの鳴き声にも間違われます。冬の枯野を歩いていて、その鳴き声で「モズかな?アリスイかな?」とわくわくして見まわすのも冬の個人的あるあるです。
この冬、お近くの葦原や田圃で、珍鳥アリスイを探してみてはいかがでしょうか。
(参考・参照)
熊本の野鳥百科 大田眞也 マインド
日本の野鳥山渓カラー名鑑 高野伸二 山と渓谷社