「半夏生(はんげしょう)」、ふだん聞き慣れないことばですが、今の季節を象徴することばとして人々に親しまれてきました。
「半分夏が生まれる?」7月を表すにはピッタリな気もしますが、はて?どんな季節なのでしょう? 私たちの生活からは少し遠い気もする七十二候ですが、昔の人の季節感を知るよいチャンスと興味が湧いてきました。ちょっと不思議なことば「半夏生」について繙いてみましょう。
もとを正せば「半夏」とは、仏教修行のひとつだった!?
仏教が生まれたインドでは雨のシーズンに外へ出るのが困難になるため、遊行の旅ではなく一定の場所に籠もっての修行「安居(あんご)」が行われました。4月15日から7月15日までの90日間です。これを「夏安居(げあんご)」といい「半夏」とは90日間の中日、45日目をいいます。
「夏安居」の修行は、日本でも同じ時期に各地のお寺で行われるようになっていきました。僧侶の夏の修行が後半へと入る「半夏」はおよそ6月半ば、農家では田植えがそろそろ終わりを迎える時期と重なります。
お坊さんの修行が農作業の目安のことばとなっていったことから、人々の生活の近くにお寺さんがあった時代のようすが感じられます。「夏安居」が終わると「盂蘭盆」へ、ご先祖の供養の時となります。田植えを終えて一段落、お盆が次の季節への橋渡しとなっているようです。
「半夏」生まれの「半夏生」はこの時季に大活躍!
お坊さんの修行の1日「半夏」が田植えを終える時期も意味するようになりました。では今の季節を「半夏生」というのはなぜでしょう。
それは、この時季に生えてくるサトイモ科の多年草「烏柄杓(カラスビシャク)」を「半夏」とよんだことに由来します。「半夏」が生えてきたから田植えも早く終えないといけないなぁ、と言ってひとつの目安としたのですね。
生えてくるのが注目される「烏柄杓」は毒を持っていますが、根は乾燥させて漢方薬となります。咳止め、吐き気止め、解熱に利用された薬草なのです。
「半夏生」とは「半夏」と呼んだ「烏柄杓」が生えてくる頃、そしてこれが生えてきたらそろそろ田植えも終わりにしなければならない時期、というわけです。
「ハンゲショウ」という音から連想して「半夏生」と名づけられたのが「片白草」です。緑の葉の半分くらいが白くなる植物で、まるで半分白粉を塗った「半化粧」したよう、というわけです。じつはこれも漢方薬。ドクダミ科の多年草で茎や葉が胃腸薬や痰止めとして使われました。
梅雨から夏へ、田植えを終えるこの頃を表す第三十候「半夏生」は季節だけでなく、その頃採れる薬草の名前にも使われるほど、人々にとって大切な時季なのだということがわかります。
いよいよ「文月」です
「ふづき」「ふみづき」また「文披月(ふみひらきづき)」などとよばれる7月は「七夕」の月といえます。短冊に歌や願いをしたためて笹に飾る七夕の行事にぴったりです。とはいえ、まだまだ梅雨が明け切らない新暦の空は、毎年七夕を楽しむのは難しいところです。
そこで「文月」は「文よむ月」と考えるのもいいですね。外に出て行くのをためらう雨の日、テレビは消して本を開く。ふだんじっくり見る時間がない、と置きっ放しにしていた写真集や美術書を時間をかけてページをめくっていくと、今まで気づかなかった新たな感動や発見に出会えたりします。
自分のこころが動かされたり響いたりしたことがあったら、ちょこっと何かに書きとめておくのはいかがですか。いつも使っているスケジュール帳の空いたところがいいかもしれません。あとから振り返り読んだとき、その時の自分が感じたことを知るのもまた楽しみなものです。
あるいは手紙を書くのも楽しいものです。年賀状だけのおつき合いになってしまっている方へは、一枚の葉書にささやかなことばを添えて、またスマホでつながっている友人でも、受け取る手書きの文字には格別の感動が湧いてきます。
本格的な夏を前になんとなく中途半端な時という気もしますが、日々の忙しさのなかでゆったりできる時間を見つけて「文月」を味わう、これもなかなか有意義な過ごし方ではありませんか。
参考:
小学館『精選版 日本国語大辞典』
角川学芸出版『角川俳句大歳時記』